現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その12)

 帝は後宮に集まった多くの女たちを積極的に愛したが、その中で皇后宮《こうごうのみや》に向けられた愛情は限りなく、並ぶ者がいなかった。帝は皇后宮のあらゆる縁者に目を掛けたいと思っていたものの、世の常として、有力な後見人がいない皇后宮は非常に苦しい立場にあった。
 故院から後見を託された帝は、この上ない容姿の皇后宮を何とか后《きさき》の位に就けることができたものの、一方の皇后宮自身は、中宮《ちゅうぐう》に対する帝の愛情が自分より劣ることを心苦しく思っていた。その不安は的中し、一時は世人が心ない噂を立てたが、中宮の父・大臣が死去した後はどうにか収まった。
(続く)

 今回は帝と皇后、中宮について語られています。
 麗しい容姿の皇后は帝から最も寵愛を受けているものの、後見人がない(頼れる身内がいない)ことから、ライバルである中宮に気を使わなければいけないほど危うい位置にいます。一方、中宮は父大臣(関白)が死去した後も引き続き兄が関白の座にいますので、帝はむげに扱うことができず、二人の板挟みになっています。

 さて、ここでもう一度、関係図をご覧ください。皇后が皇族、中宮が摂関家の血筋だということが分かりますでしょうか。
 王朝物語の登場人物を血筋で分類するのは、作品を理解する上で非常に有効です。特に「我身にたどる姫君」では、容姿や性格などを決める重要な因子になっていて、「登場人物たちは血によって運命を定められ、翻弄される」と言っても過言ではありません。――これはネタバレではなく、作品を読む上で必要な「当時の常識」です。

 現代のわたしたちは「血」を遺伝子やDNAと置き換えることで、ある人物の容姿や性格が子孫にも引き継がれることをおぼろげに理解します。(ただし、人の性格は育った環境に大きく依存するため、大半は思い込み・勘違いです。)
 作品が作られた中世の人々も、肉体的特徴が子孫に引き継がれるのは経験則として知っていましたが、それ以上に、「因果応報」的な感覚で様々なものが子孫に影響を与えると感じていたようです。
 仏教における本来の「因果応報」は、前世を含めた「自分自身の業《ごう》による報《むく》い」ですが、時代が進むにつれて親から子へと引き継がれ、蓄積されていく「一族の業/一族の報い」的な色が濃くなっていきます。これは一種の「血の呪い」と言えます。
(あくまで個人的な推測ですが、恐らく戦乱の世を経て「血族の繋がり」が社会的に重視された結果だと思われます。)

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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