現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その3)

 かつてこの屋敷には姫君と親しく、いつも頼みにしていた弁《べん》の君という乳母がいたが、あるとき、夫が筑前守《ちくぜんのかみ》に昇進して下ることになった。
 弁の君はひどく嘆いたが、公務上の理由ですぐに出発することになっているため、引き留めるわけにもいかない。しかも、もっともらしい口実があったとしても、見捨てがたい子どもたちの世話があったため、結局、夫と共に筑前国へと下っていった。
 いつか帰ってくるだろうと姫君は待ち続けたが、数年後、ある神事の関係で国守《こくしゅ》の任期が延長することになった。筑前守は大喜びしたが、一方の姫君は古歌に詠《うた》われた「生《いき》の松原」のように悲しみ、いつまでも弁の君を恋しく思い続けた。
(続く)

 姫君の乳母である「弁の君」に関する内容です。
 姫君は両親がいない上に、多感な時期に乳母からも引き離されてしまいました。

 さて、「我身にたどる姫君」は名前が付いた登場人物が非常に多く、全員を覚えるのはかなり大変です。しばらくは姫君と尼君だけを気にして、他の女房たちの名前や細かい設定はさらっと流しておいてください。
 ただし、注意すべきことがあります。
 この作品は、本来は脇役であるはずの女房たちがストーリーに深く関わってくるため、彼女たちを完全に無視するわけにはいきません。これは、想定読者が身分の高くない女房だったか、もしくは作者が自分の境遇と重ねたのが原因だと思われます。
 実際のところ、「我身にたどる姫君」の読みにくさや品の悪さにつながる欠点の一つなのですが、作品の仕様ですので、ここで文句を言っても仕方ありません。
 ただ「読みにくい」と嘆くのではなく、あえて想定読者/仮想作者である女房たちの気持ちに寄り添って、普段は光が当たらない裏方たちが物語を動かしていく様を楽しむのもいいかと思います。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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