現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(8)

「信玄の父・信虎《のぶとら》は剛毅《ごうき》で不敵な人物だったが、一方で偏屈で頑固な人となりだった。信玄がまだ晴信《はるのぶ》と名乗っていた頃、信虎は嫡男の信玄を追放して次男の信繁《のぶしげ》に家督を譲ろうとしたため、信玄は舅《しゅうと》の今川義元《よしもと》と結託して信虎を追放し、家督を奪い返した。信虎は北条氏真《うじざね》の庇護の下、駿河《するが》で蟄居《ちっきょ》させられ、魂が抜けたような有様で月日を送った。その後、信玄は自分の不孝を思い知り、信虎を甲府に呼び戻して孝行しようと思ったが、その際にお前は次のように諫《いさ》めたな。『信虎公がお戻りになったら、きっとまた悪心で家中を乱すことになるでしょう。ただ、このまま捨て置くのがよろしいかと存じます』と。結局、信虎は今も駿府《すんぷ》で流浪し、信玄に後代まで親不孝の名を残すことになった。お前の奸計《かんけい》はまったくもって不義である。これが二つ目の罪だ」
(続く)

 長野業正《なりまさ》による、山本勘助の罪の追求が続きます。今回は信玄が父・信虎を追放した際の経緯に関して、最後まで信虎を呼び戻さなかったことを糾弾しています。ただ、これは後世(江戸時代)の儒教の考えに寄り添ったもので、戦国時代の人々が信玄の親不孝を非難したかどうかは少し疑問が残ります。
 先に「三つの大罪がある」と宣言していますので、残り一つです。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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