現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その20)

 さて、三位中将《さんみのちゅうじょう》は年が明けると権中納言《ごんちゅうなごん》に昇進した。
 緑の空が晴れ渡ったあるのどやかな昼時、ふと思い出した権中納言は、先日に笠宿《かさやど》りをさせてもらった屋敷を訪れてみようと、忍んで音羽山《おとわやま》に出掛けた。「もし、あの屋敷で美しい女性を見つけたらどうしよう」と、漠然とした期待に胸を膨らませる様は、あまり好ましいとは言えなかった。
 人の出入りが多い時期は終わり、忍んで馬を走らせた権中納言は黄昏《たそがれ》時に夕闇に紛れるように到着した。屋敷の様子を知りたいと思って辺りを見回すと、身を隠せそうな柳の茂みが近くにあったので、木陰伝いに近寄ってしばらく聞き耳を立てていると、やがて箏《そう》の音が聞こえてきた。
 場所柄のせいだろうか、何気なく爪弾かれる音色は普段、都で聞き慣れたものと比較にならないほどに素晴らしく、権中納言は心底驚いた。
(続く)

 物語が大きく動き始めます。
 女三宮《おんなさんのみや》のことしか頭になく、これまで他の女には一切見向きもしなかった権中納言(元・三位中将)ですが、訪問した音羽山の屋敷で箏《そう》(琴《こと》の一種)の素晴らしい音色を耳にし、心が揺れます。――彼の行動は「好き者」そのものですが、いったいどうしてしまったのでしょうか。

 ちなみに、空の色として使われている「緑」は深い藍色のことです。あまり使わない表現なので違和感があるかもしれませんが、緑と青は近しい色で、緑色に対して「青」と表現するのと似たようなものだと思えばいいかと思います。(例:信号機の「青」)

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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