現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その21)

 権中納言《ごんちゅうなごん》は妹君の琴《こと》を絶賛し、誇りに思っていたが、この演奏はそれ以上の腕前だった。
「それにしても、とても愛らしくあどけない響きだ。しかも、奥ゆかしい揺《ゆ》の音《ね》が妹と非常によく似ている」
 思い掛けずすっかり心変わりし、近くの小柴垣《こしばがき》のもとに無理やり伝い寄って目を凝らすと、簾《すだれ》が押し上げてあり、部屋の中の様子がはっきりと見て取れた。
 五、六人の若い女房が簀子《すのこ》まで出て来て、庭の桜の開花具合を確かめているようである。箏《そう》の女は柱の陰に隠れてはっきりと見えないが、零《こぼ》れ掛かった額髪《ひたいがみ》や髪の様子は言いようもなく美しい。「移り気な心が見せている幻なのだろうか」と思いながらじっと見つめると、何もかもがこれまで見たことのない素晴らしさである。かつて夕べの空の下、庭の前栽《せんざい》を見つめる女三宮《おんなさんのみや》の姿を垣間見《かいまみ》したときに尽き果ててたはずの魂がまだ残っていたのか、瞬時に身体が砕けるほどの衝撃が走った。
「これほどの美しさとは何とも恐ろしい。実は物の怪《け》で、正面から見ると恐ろしい形相であったらどうしよう」
 都から離れた地で目にした光景は、現実のこととは思えなかった。
(続く)

 見事な琴《こと》の演奏をしていたのは主人公の姫君でした。権中納言のいる場所からはあまりよく見えませんが、その美しい横顔に一目惚《ぼ》れし、すっかり心が奪われてしまったようです。

 琴は王朝物語にしばしば登場する楽器です。貴族女性の教養の一つで、男が美しい女を垣間見するきっかけの小道具としてよく使用されます。
 この世に生を受けた瞬間からいやが応でも身体に流れる「血」とは異なり、琴の奏法はいにしえの時代から細々と伝授されてきた「秘伝」とも言うべきものです。主に母親から娘へと受け継がれますが、教わる側・教える側の双方に才能がなければ途切れてしまうため、琴の見事な演奏は自身の美しさだけでなく、血統の高尚さも意味します。
 ただ、姫君の場合は少し事情が複雑で、物心がつく前に母親から引き離されているため、恐らく尼君から伝授された宮廷仕込みのものだったに違いありません。

 新しい年と春の訪れ、そして美しい姫君との運命的な出会い。果たして権中納言の恋は実りますでしょうか。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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