試験にはたぶん出ない古語クイズ(2023/01/02)

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答えは「①ゲートボール」でした。
「毬杖(ぎっちょう)」という遊びで、槌(つち)の形をした杖で木の鞠(まり)を打ち合います。

『年中行事絵巻』(『岩波日本史辞典』から引用)

この絵は平安時代の『年中行事絵巻』のものです。遊び方がやや異なりますが、現代の「羽根突き」の元になったという説があります。また、時代が下った江戸時代には遊びの要素がほぼ失われ、装飾した杖を正月飾りにするようになりましたが、一説にはこの「毬杖(ぎっちょう)」が「左義長(さぎちょう)」(どんど焼き)の語源とも言われています。

【 原文 】
また、南都には大きなる球丁(ぎつちやう)の玉をつくッて、これは平相国(へいしやうこく)の頭(かうべ)と名付けて、「打て」「踏め」なンぞ申しける。

【 現代語訳 】
また、興福寺では大きな毬杖(ぎっちょう)の球を作り、平清盛(きよもり)の頭と見なして「打て」「踏め」と言い合った。

『平家物語』、筆者訳)

上記は『平家物語』からの引用で、平安末期の権力者・平清盛に反発する興福寺(奈良)の様子を描いています。恐れを知らぬ過激なパフォーマンスで、作中ではこの後、清盛の怒りを買った興福寺は焼き打ちされてしまいます。
(「治承・寿永の乱」の「南都焼き打ち」)

ちなみにこの「毬杖(ぎっちょう)」は、乗馬して球を打つ「打毬(だきゅう)」というスポーツが簡素化したものというのが定説です。

「打毬」はペルシアの「ポロ」を起源とし、中国・朝鮮半島を経由して奈良~平安時代に日本に伝来したと言われています。平安時代、五月の節句に宮中行事として執り行われていたものの鎌倉時代に衰退し、江戸中期に八代将軍・徳川吉宗が奨励したことで再び脚光を浴びました。――「白馬にまたがってポロをする将軍さま」の時代劇を想像するとちょっと笑ってしまいますが、ほぼ史実です。

幕末の十四代将軍・家茂も打毬を好んだと言われており、出身地である紀州藩(和歌山県)には当時の様子が絵画として残されています。

また、次の十五代将軍・慶喜も好きだったことが知られています。
幕末から明治維新に掛けては、従来の「騎馬兵を主軸とする部隊編成」での戦闘が廃れ、「銃や大砲を効率的に運用するための近代的な歩兵部隊」が主流になっていった時期ですので、二人の打毬好きは懐古趣味的な意味合いが強かったのではないか――と個人的に想像します。

打毬について詳しく知りたい方は、下記の宮内庁のサイトをご参照ください。江戸中期とほぼ同じスタイルが引き継がれているそうです。


【 主な参考文献 】

『新版 平家物語』(講談社学術文庫、杉本圭三郎 全訳註)
『岩波日本史辞典』
『旺文社 全訳古語辞典』
『大修館 新全訳古語辞典』
『平安時代儀式年中行事事典』(阿部猛 他 編)
・皇室に伝わる文化(宮内庁)
 https://www.kunaicho.go.jp/culture/

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


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