現代語訳『伽婢子』 幽霊逢夫話(4)

「黄泉路ではどこに住んでいるのか」
「あなたのご先祖である、野路《のじ》姓の初代の方が一の座におり、鬼の王のような風格です。以後の方々は天地に満ち帰り、黄泉路にはいらっしゃいません。あなたの祖父母と父母、姉弟は同じ場所にいて、わたしは姑《しゅうとめ》の右に座っています」
「神霊たちの住む場所がそのように定まっているのは分かったが、どうして元の身体に戻って生き返らないのだ」
「人は死ぬと魂《こん》は陽《よう》に、魄《はく》は陰《いん》に帰ります。黄泉路には司命《しめい》・司録《しろく》という役人がいて、人のすべてを記録し、元の肉体は土となります。この鬼録《きろく》に掲載されると、思うまま帰ることができなくなるのです。例えるならば、夢の中で自分の肉体がある場所を把握していないまま、魂魄だけで様々なものを見るようなものです。わたしも死去してからのことは、死んだ場所を覚えておらず、葬礼《そうれい》があった場所も埋葬された地も知りません」
 嘆き悲しみながら話をしているうちに深夜の時分を過ぎた。
「ところで、死んで黄泉路に集まった男女が互いに夫婦になることもあるのか」
「そのような事例もありますが、道理を知る男性は再び妻を求めず、妻が死去した後に黄泉路で行き逢って再び契りを結びます。女性も貞節な者は新たに夫を持たず、娑婆《しゃば》の夫が死去した後に再会して夫婦となります。生前、心が邪《よこしま》でみだりに悪事を働いた者は、死後、男女を問わず地獄へと落とされ、夫婦となることが叶《かな》いません。現世の人が罪を犯して牢獄《ろうごく》に入れられ、夫婦で一緒に住めないようなものです。わたしも西国のさる高家の方に妻にならないかと誘われましたが、貞潔の心があるのでお断りし、一人で住んでおります」
 忠太はひどく耐え難い思いで悲しんだ。千夜を今宵の一夜にして、もっと夜が長く続いて欲しいと嘆いたが、やがて鳥の声や鐘の音がし、既に明け方の雲が棚引き、そこかしこで人々の袖が見える頃になった。
 妻は泣く泣く小袖の襟《えり》を解き、形見として渡しながら歌を詠んだ。

  別れての形見なりけり藤衣ゑりにつつみし玉の涙は
 (藤のつるで織った喪服の襟《えり》に包んだ涙を、別れた後のわたしの形見として持っていてくれませんか)

 忠太は涙ながら形見の品を受け取った。
「黄泉路にいてもわたしのことを忘れないでいてくれるなら、これを見て心を慰めてくれ」
 そう言って、取り出した白銀の香炉を妻に渡しながら返歌を詠んだ。

  亡き魂《たま》よ異なる道に帰《かへ》るとも思ひ忘るな袖の移り香
 (亡き妻の魂よ。黄泉路に戻っても、わたしの袖の移り香を忘れないでいてくれ)

「次にお前と再会できるのはいつになるのだ」
「今から四十年、長い契りをお待ちください」
 妻は声を惜しまずに泣き叫びながら出て行ったが、その姿は次第に朝明けの霧の間に隠れて見えなくなった。
 俗世を嫌った忠太は剃髪《ていはつ》して衣を墨に染め、諸国を行脚して定住しなかった。その後、高野山に登り、経を読んで念仏を唱えて妻の菩提《ぼだい》を弔い、同じ蓮華《れんげ》の台に座して往生することを願ったという。

(了)

 今回で『幽霊逢夫話』は終わりです。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
『伽婢子』は市井の人々の男女関係をテーマにした作品が多く収録されていますが、作者の特徴というよりも江戸という時代の風潮で、室町末期から始まり、江戸時代に大流行した浄瑠璃と同じ流れだと思います。

 次回からは新しいエピソードをお届けします。それではまた。


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