時間はつねに流れているため、どのタイミングで「表現の自由」が行使されているのかということについてわたしたちはつねに注意して見ていく必要がある。

割引あり

日本国憲法第21条には、以下のようなことが書かれている。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法(昭和二十一年憲法)

ジャニー喜多川の性加害問題について調査しているBBCが、SMILE-UP.の東山社長にインタビューした際、BBCから「SMILE-UPは二次被害を止めるための行動をとるべきではないか」という質問がなされた。それに対し東山は表現の自由を理由に否定的な回答をした。

あるいは、いわゆる「萌え絵」がなにかしら公共的な場所で使用されたあと、「このような絵を使用するのはいかがなものか」という議論が発生した際に、擁護派がしばしば定型的に表現の自由をもちだす。

東山にしても、公共的な場における萌え絵の使用について擁護したい人にしても、二次加害をした者、萌え絵を採用した者がすでに表現の自由を行使していることについての視点が欠けていると思われる。二次加害者がなにか人を傷つける発言をするときも、萌え絵が公共的な事業などに採用されるときも、検閲を受けていない。だからこそ表立ってそれらが表現された。だからこそそのあとに議論が巻き起こった。
二次加害を問題視している側、萌え絵の採用を問題視している側――わたしは両方に含まれる――は、そのセカンドフェイズにおける責任を問うている。そのフェイズにおいて批判的な意見が多く二次加害ができない、萌え絵が使えないという結論になったときでもなお、表現の自由は侵されていない。いつでも二次加害者はまた非人道的な言葉を、萌え絵を使いたい人は
萌え絵を世に出すことそれ自体はできる。批判が多く実質的にできませんという状態は、自由が侵されていることにはならない。

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