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日本人の美意識

古今和歌集 仮名序

倭歌(やまとうた)は、
人の心を種として、
よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、
ことわざ繁(しげ)きものなれば、
心に、思ふことを、
見るもの聞くものにつけて、
言ひ出だせるなり。
花に鳴く鶯、
水に住むかはづの声を聞けば、
生きとし生けるもの、
いづれか歌をよまざりける。
力をもいれずして、天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女(をとこをうな)の仲をもやはらげ、
猛き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。


この古今和歌集仮名序は
紀貫之が書いたとされ
上記は冒頭の一節ですが

現代の私たちが読んでも頷ける
唸らされる
そうか、日本人て、日本語て
そういうものだったんだねと
まさに原初の一滴を
誰の心にもくれるような
珠玉の名文となっています。

その波紋、影響の大きさを
後世に日本人の美意識を決定づけた一節
と評した方もいました
なるほど。

花に鳴く鶯
水に住む蛙の声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌を詠まざりける。

まずこのやまとことばだけですら
思い浮かべて美しい。
美しいのみならず
私たち日本人はその生きとし生ける一部として
呼応して歌うのだと。

力をも入れずして
天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女の仲をもやはらげ
猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

祈り願い捧げる
歌の尊さの全ての本質が
この一文に籠められて光を放っている。

古今集は平安を讃えられた延喜の帝
醍醐天皇の勅撰和歌集
当時和歌は暮らしと社交の一部であり
神事まつりごとの一部だった。

よろずのことのはよ歌になれ

日本人の暮らしが変わり
歌うように生きることが
まるでピンと来ない人が大勢になったとしても

四季のうつろいの中に
一人心を慰められるその感性は
美意識は
おそらく貫かれて
これからも絶えることがない
之を貫くと書いて貫之
素晴らしすぎです

この一文に
貫之に
一瞬で恋に落ちた中学生の日のことを
私も忘れることはないでしょう
そして
この一文に出逢う度に
心の種を揺さぶられ
己れの中に新たに芽吹く若葉を
探すことでしょう

感謝合掌

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