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【小説】きっと、よくあるはなし【2/3】


第二話



今日は名木原先輩に会えるだろうか。

 晶が朝起きてまず思うことはそれだった。
これまで以上に朝の洗面台を独占する時間が長くなり、晶が使い始める前に慶は自分の支度を済ませるよう努めている。
そして内心「自転車乗るから髪のセットはあまり意味がないのでは」と思っていたが、口にはしなかった。

 学校に到着する頃には家を出た時よりも髪は乱れている。
それでも「自分の相方は誰が見ても可愛い」と慶は自負していた。
どんなに自分のことを「可愛い」と冗談本気問わず周りに言われても、慶にとって一番可愛い女の子は晶なのだ。


 クラスが違うと駐輪場もやや離れてしまい、双子はそれぞれの場所へと自転車を進めた。
晶はいつもの場所に駐輪するとロックをかけリュックを抱え踵を返した。

 そこに予告なく登場したのは名木原仁だった。
そしてまた一瞬硬直してしまう晶は、自転車を押しながらこっちへ向かってくる先輩の姿に見惚れずにはいられない。
 後輩の視線に気付いたのか、その人は「?」を浮かべたように何とも言えない顔をしている。

晶は会釈をすると黙ってすれ違った。

 先に駐輪して待ってくれていた慶も「どうしたの?」と心配するほど晶はまだ緊張が続いている。

「名木原先輩いた」

「え。どこ?僕まだ会ったことないんだけど」

「キョロったらだめ!自然にして」

「晶の方が不自然だよ」

「だって何度見てもカッコ良すぎるんだもん!朝から会えて嬉しいけど、やばいぃ。」

 朝から大変だと笑う慶に後ろからクラスメイトが肩を組んできた。
先を行く晶はそのことにも気づかず昇降口で靴を履き替えていると三佐倉が丁度現れた。

「はよ。名木原先輩に会っただろ?」

「なんで知ってんの!?」

「そんな顔してる。面白すぎる」

 そんなにわかりやすいのか。慶にはよく言われるが。
その慶はというと、友達と楽しそうに話しているようなので晶はもう声をかけずにこのまま自分の教室に向かうことにした。

「いつも一緒に登校してる?」

三佐倉が靴箱の先で友人と楽しそうにしている慶を見て問う。

「うん。当然でしょ。何で?」

「いや。仲良いなと思っただけ」

 双子だし、同じ学校だし、別々に行く理由がない。
晶にとっては単純当たり前のことだ。

「もし、晶か慶のどっちかに彼氏彼女ができたらどうすんの?」

「良かったねぇってなるんじゃない?別に変わんないと思うけど。中学の時彼氏いたけど、慶とは今まで通りだったし。まあ、こんな感じだったよ」

「それ、思い込みじゃなくて?気付いてなかっただけとか。晶が」

晶は足を止めた。

・・・そうだろうか。

 あの頃、自分は何かを見落としていたり、気付かずにいたのだろうか。
慶の気遣いや変化に気付かず、1人で舞い上がっていたんだろうか。

「悪い。気にすんなって」

「・・・うん」

 先を行く三佐倉について行き、教室に入るといつものように里香たちが声をかけてくれた。
 朝練がなく、普通に登校してきた三佐倉の周りにはあっという間に友人たちが集まってくる。
こんなふうに慶も7組で過ごしているんだろうか。
 慶の恋の話はあまり聞いたことがない。「付き合ってって言われた。でも断った」という報告が過去2回だけ。

 でもいつか、慶に彼女ができたら自分はどうするだろうか。
彼女は、姉とはいえ晶が今のように慶にくっついているのは嫌だろうか。
その子と友達になれたりするんだそうか。

 思った以上に想像は難しく、時生と付き合っていた時の慶がどんな様子だった改めて考えてみたがうまく思い出せなかった。

「晶!!」

 ホームルームが始まり、起立の号令に従って立ち上がった瞬間目の前が真っ白になった。


 晶が目を覚ました時、一瞬自宅の自分の部屋かと思ったが、静かに辺りを見て保健室の静養コーナーだと気付いた。
 貧血で倒れた後、割とすぐにその場で意識を取り戻したが、恥ずかしさもあり、教室から去りたくて、また念の為にも保健室へ行った。
受診も検討したが、保護者へ連絡しこのまま保健室で様子を見るに留めた。

「変なことを考えていたせいだ。」

晶は独り言を天井に向かって吐いた。

『もし、晶か慶のどっちかに彼氏彼女ができたらどうすんの?』

『思い込みじゃなくて?気付いてなかっただけとか。』

 三佐倉の問いかけが蘇る。
答えられないし、否定もできない自分が信じられなかった。
 慶とのことでこんなことがあるなんて。
自分たちはお互いをよくわかっているし、感覚としては親友とも家族姉弟とも違う。
2人でひとつというわけでもない。
説明が難しいが、とにかく唯一無二、相棒のような絶対的信頼の相手。

 それなのにどうして急に「予想できない2人の姿」を目の当たりにしてしまうんだろう。

 晶は制服を整え、ベッドを降りた。
壁の時計を見るとやがて3限目が終わる頃で、予定通りであれば3組は現文の授業が行われているはず。
 途中から教室に入るのも注目を浴びそうなので休み時間になるのを待とうと考えたところで、カーテンの向こう、ドアが静かに開けられたようだ。
誰かが保健室に入ってくる気配を感じた。

 養護の先生が不在なのか、「失礼します」という低い声の断りに返事がなく、その人はまた静かにドアを閉め、中にはいって来た。
 晶は静養室に身を潜めるようにして、その生徒が去るのを待つことにする。

 カチャカチャと器具を扱う音がするが、なんとなく極力その音も小さくしようと気をつかっている様子が伺える。
怪我をしたのか、保健室の主がいないならばと自分で処置をしようとしているらしい。

「おーい、仁。大丈夫そうか?」

 今度は大きめにガラっと音がした。先ほどと違って、後から現れた者は不躾にドアを開けたようだが、晶はそのことよりも呼ばれた名の方が気になってしまう。

仁・・・

「うん。適当にやったら戻る」

低くて穏やかな声。

『是非、前向きにご検討を』

あの日、そう言ってチラシをくれた人の声を覚えているわけではないけれど、でも・・・

「なら、先戻っとくわ」

再び大きく音を立てて扉が閉じられた。

「あいつ、音考えろよ・・・」

 晶は立ち上がり深呼吸をすると、その人と自分を隔てるカーテンまで進んだ。
そっと見てみるか、潔く開けてみるか。
それともやはり、彼が去るのを待つか・・・。

 カーテンがシャッという音を立てる。
音に反応して体育服を着たその人は自ら処置する手を止めた。
背中のゼッケンには『名木原』の文字。

名木原仁が目の前にいる。

仁は振り向き晶にペコっと軽い会釈をした。

「かっ、・・・こんにちは」

一瞬「かっこいい、その角度」と心の声が漏れかかり、慌てて挨拶に切り替えた晶は内心また倒れるかと思った。
しかし、この場でそれだけは絶対に避けたい。

「すみません。騒がしかったですよね?」

振り向いたまま仁は申し訳なさそうに再び会釈をした。

「いえ。全然です!・・・怪我、ですか?」

「うん。ちょっと。」

 仁は再び背を向けて処置を進める。
膝にできた擦過傷が一瞬晶にも見えた。
それにシートを貼って傷を保護すると、使った道具やゴミを手際よく片付けた。

 突っ立ったままの晶に仁は「じゃあ」とまた会釈をする。

「お、お大事に。名木原先輩」

 晶は不自然なほど深く礼を返す。
先輩の顔は見れないけど名前を呼んでみた。

 仁はそのまま保健室を去るかと思ったが足を止めた。
軽く咳払いをしたかと思うと「あの・・・」と小さく声がしたので晶は先輩の顔を見た。

「そっちは・・・大丈夫、ですか?」

 晶は突然のことにぽかんと間抜けな顔になってしまう。
せっかく先輩が話しかけてくれたのに、頭がうまく回転できない。

『大丈夫』とは?貧血で倒れたこと先輩が知ってるとか?授業のこと?さっき騒がしかったかと心配してくれたこと?それとも今の自分は先輩が心配するほど顔面蒼白にでもなっているのだろうか。

「具合悪いんじゃないの?休んでたんでしょ?」

先輩はカーテンを指差した。

「あ。大丈夫です!ただの貧血で、もう平気なんです!」

「そう・・・じゃあ、そちらもお大事に。」

なんで先輩もそんなにぎこちないんですか?

 でも頬をかく先輩は少し可愛い。
そして、体育服の短パンに両手を突っ込むとこっちを見て口角を上げた。

ああ、だめだ。やっぱりかっこいい。良すぎる。

仁を目の前にすると自分の見当識も判断能力も低下すると晶は自覚してきた。

「名前、何ですか?」

ナマエ、ナンデスカ

名前を訊かれた!?
突然すぎる!
焦って簡単な自分自身の名前すら出ない。
せっかく先輩が自分に興味を示してくれたのに。

「自転車のとこで会ったよね?」

やっぱりあの時の「不審女子」の印象が強く残っているようで晶は絶望しそうになる。
よりにもよって、あれかと。
おまけに今朝も似たようなことを・・・

「あの時はすみませんでした!」

慌てて頭を下げるが、優しい先輩は「気にしてない」と笑ってくれる。

かっこいい上に優しいなんて、出来すぎです先輩。

「別にそんな謝ることじゃないよ。今朝も会ったし・・・ちょっと気になったから、名前、訊いてみました。」

「えっと、水戸晶といいます。水戸黄門の水戸に、水晶の晶って書きます」

 自分でも予想外なほど律儀にそこまで説明してしまい、晶は先輩の反応を伺う。
先輩は更に口角を上げて「晶さん」と確認するように呼んでくれた。
先輩が自分の名前を呼んでくれる日が来るなんて。
どうしよう、またいきなり目が覚めて静養室の天井が見えたら。
夢オチだったらショック。

「あの、先輩。もしよかったら、また声をかけてもいいですか?」

 その上品で綺麗な口角が下がってしまったらどうしようかと不安になりながら晶は思い切って尋ねてみた。
けれど、不安は一瞬にして消えた。

「いいよ」

 綺麗な口角のまま、その人は扉を閉めて去った。
晶はもう一度カーテンの向こうのベッドに飛び込むか、このまま窓の外に向かって「夢じゃない!名木原仁先輩かっこいいーっ!」って叫びたかった。
もちろんどちらも実行することはなく、保健室の連絡表に退室の旨を記入し自分の教室に戻ることにした。


 夕方、いつものように慶が昇降口の前で待ってくれていた。
晶の顔を見てホッとしたように微笑む。
午前中倒れたことを知っているのだろう。

「顔色、いいみたいだね」

「うん。大丈夫。あのね、慶に聞いてほしいことあるんだ」

「その顔は、もしかして先輩のこと?」

 晶が笑みをこぼすと慶は「なんかいいことあったの?」と興味を示してくれた。
ほら、やっぱり自分たちはお互いのことに関心を示し、安心したり心配したりしてその存在を極自然に受け入れている。

「あのね、あのねー」

「ゆっくり聞くから自転車取りに行こ」

 すぐにでも聞いてほしそうにしている姉を慶は肩をポンポンしながらまずは落ち着くよにと促す。
本当は自転車置き場まで慶と腕を組んでスキップしながら行きたいところだが、あまりにも浮かれすぎだと周囲に引かれそうなので自重する。
 それでも顔がニヤけてしまうので晶は両手で鼻と口を覆いながら足を進めるていると、慶が心配そうに「ちゃんと前向いて」と注意する。

 自転車を出す際、今朝仁が留たあたりを見るとその人の自転車があった。
まだ学校のどこかにいる。
帰りたくないような気持ちになってしまうが、弟が待っているので晶は自分の自転車を出すことにした。



 保健室で会った、一年生の女子にいきなり名前を尋ねて不躾だっただろうかとあれから反省していた仁は、放課後その子が元気そうに笑っている姿を見かけてホッとした。

 部室を出ると、彼女が自転車を押しながら正門の方へ向かっていく姿が見えた。
保健室では青白い顔をしたり、赤くなったり、具合が悪いのだろうと心配したが、すっかり良くなったように見える。
 隣を歩く男子はおそらく一年生だろう。
とても仲良さそうで、彼に笑いかけるその笑顔を仁は可愛いなと思った。



 マックの窓際のカウンター席。
いつもの場所が空いていたので双子はまたポテトをシェアしながら会話に夢中になった。

「え!すご!頑張ったね晶!ほんとすごい!」

「名木原先輩声もいいんだよー。あと、ドアもこうやって静かに閉めてたし、ぜったいお育ちいいよ。」

 晶が先輩をベタ褒めする様子に慶も「いいね」と微笑んでくれた。
慶と恋愛について話すとき、意見が合わないということはあまりない。
と、いうより慶が否定することがほとんどない。
するとしたら晶が自虐的な場合くらいだ。
今も終始「良かったね」「晶可愛いからいけるよ」などと応援してくれる。

「慶は?いないの?気になる子」

なぜ急にこっちに話を振るのかと驚いた様子の慶にやや疑惑が浮かんだ。
これはもしかしたら・・・

「え?いるの?そうでしょ?」

「いや、いないから」

「はー?嘘だ!いるってその反応は!」

「いない…っあ、」

 慶の細い腕を握り白状させようとしていたが、窓の外を見て慶が何かに気づいたようだ。
晶も同じ方向に視線を移す。
 明らかにこちらを見ている背の高い人。
大人びて整った顔をしているが中学の制服を着ている。
その制服は自分たちの母校のものではない。
 それにしても見すぎだろうと不審に思ったが、イケメン中学生は一瞬晶を見てその後慶の方を見ると無表情で会釈して去った。
 慶の方は以外にも小さく手を振ったので晶はひどく驚いた。

「え?知ってる子?」

「うん。」

「誰?」

「えっと…友達、かな」

何?その曖昧な言い方は。
しかもちょっとはにかんだ顔。
我が弟ながら可愛い。
晶はそれ以上訊かず、「へえ」と返したが、気になる。
何で他所の中学の?歳下の?イケメンだけどあんな無愛想な?
トモダチ?

「それで…、なんだっけ?その名木原先輩とはその後はなんにもないの?」

 慶はやや強引に話を戻したように感じるが、先輩の話に引き戻されるのは簡単で晶は続きを聞いてほしかったので、目を輝かせる。

「今日はそれ以降会ってないんだけどね。でも『また話しかけていいですか?』って訊いたらね、『いいよ』って!もー、そん時の顔がきまりすぎててレベチ!!」

「すごいじゃん!なんか、キュンてするね!」

「キュンどころじゃないんです!あの顔で言われてこっちはまた倒れそうだったんだから!」

「はは。それは大変だ。けど、聞いた感じだと名木原先輩って優しそうだね。温厚というか」

「そう。先輩はきっと性格も良さそうなんだー。だからたぶん、いやぜったいモテる。ぜったいライバルいっぱいいる。彼女も既にいるかもしんないぃ」

うっとりしたり、絶望したり、表情がくるくる変わる姉を冷静に見ている弟は真剣に考察する。

「んー。彼女いる人がまた声をかけてもいいって了承してくれるかな?」

「逆にダメって言う?まぁ、社交辞令的にいいよって言ったのかなとも思ったんだけど」

「だったら晶に名前訊く?彼女がいるなら他の女子と必要以上に関わろうとしないんじゃない?そういうの気にしない人だったり、だらしない人ならともかく。」

 弟の言葉に期待してしまいそうになるが、先輩がどんな人かはまだ何もわからない。
晶自身の主観と僅かな今日の会話くらいでは何も判断できない。
そうわかっていても、良く見えてしまうから恋はやっかいだ。

「でも、晶のこと名前も含めて覚えてもらったし。今からだよ!頑張って!」

「うん!まだまだ恐れ多いけど、ちょっとずつ仲良くなりたい。」

 恋は焦らずとらいうけれど、正直焦りしかない。
晶はストローを咥えると小さくため息を落とした。
慶も夕方の空を遠く眺めた。

今から何が始まるのだろうか。


 晶は帰宅後に先輩のインスタにフォローリクエストを送った。
アカウントを探すのは容易だった。
三佐倉のフォロワーの中に「JIN」という人はただ1人だけ。
テニスのラケットの写真をアイコンにしてあり、プロフィールにはテニスボールの絵文字が一つ記されていてすぐに確信できた。

 リクエストしてもしばらく待たされると覚悟していたが、意外にも承認とフォローバックのリクエストもすぐに受け取ることができた。



 SNSで繋がったとはいえ、緊張と恐縮でDMなどのやり取りもできないまま高校総体が開幕した。
 週末は学校の授業も公欠者が多い為、登校する生徒は午前中は自習、午後からは下校するか応援へ行くかに別れた。

「晶どうする?テニス部応援行く?」

「んー、行きたけど。里香は部活なんでしょ?」

「3年生の卒部公演近いからね。ダンス部もバリバリ忙しいよ」

「だったよねー。慶も図書館行くらしいし。あー、どうすれば」

 派手に頭を抱えてしまっている晶に笑いながら里香は「行ってこい行ってこい」とアドバイスする。
しかし、そうは言っても単独で乗り込むのは躊躇してしまう。
 応援は制服で行くように学校から指示されている。どこの生徒か周囲にすぐバレるし、こっそり見るなんてことは不可能。
されど、名木原先輩を応援したいし、テニスしている姿も拝みたい!
 そもそも試合の進捗がわからない。
けれど、三佐倉にメッセージ送ったが返信がないということは、まだスマホはさわれない状況…つまり試合続いていると推測はできた。

「ほいじゃ、わたし部活いくよー」

「うん…がんばれぇ」

 晶は昇降口で里香を見送ると、とりあえず自転車を取りゆっくり押しながら学校を後にした。

 結局、テニスコートへ向かう勇気は出なかった。
会場で見つけれる自身もないけど、また不審者みたいに思われたら困る。

 まっすぐ自宅に帰ると夕方前に三佐倉からメッセージが来た。
試合は全て終わり、北乃高校は3年生の選手がベスト8まで進むことができたらしい。

『今から打ち上げ。ストーリーあげるわ。名木原先輩との』

「三佐倉!ナイス!」

 両手を挙げて1人喜ぶ。
 三佐倉は、いつかのようにインスタのストーリーズをその日は頻回に上げた。
 焼き肉店での打ち上げの様子は男子高校生が馬鹿騒ぎしているだけの絵にしか見えなかったが、時々映り込んでいる仁には毎回うっとりした。
例え手ぶれしていても「名木原先輩だ」と晶にはわかった。
雰囲気だけでイケメンが伝わる。


 翌日、小島に「上げすぎ」と責められる。

「通知切ってろよ。」

「そうだけどウザいんだもんお前。俺は塾なのに、お前楽しそうなのがしゃくだわ」

小島の苦情を笑いながら聞いている里香は三佐倉の味方をするように、反論してくる。

「小島見苦しいな。晶なんかもっとくれだったよね?むしろ名木原先輩だけくれ状態」

「まぁ、否定しませんけど」

「はぁ?あれで足りんかった?どんだけだよ。」

更新した三佐倉本人でさえ呆れている。

「なに?なに?先輩って?誰誰!」

晶推しの小島にすれば聞き捨てならないことだ。
里香が小島に「知らんの?推しの推しを」と煽ると、すぐさま反応し「晶!誰だ!どんなやつ?」と問い詰める。
面白がる里香を横目に晶は小島の前に掌を向けた。

「小島、落ち着こ、一回」

「テニス部の名木原先輩。つか、推しっていうより、好きな人」

「三佐倉!なんで言うの!」

 晶は恥ずかしくて机に突っ伏し、里香は愉快に笑い、小島は絶望したように惚ける中、三佐倉は1人落ち着きスマホを操作する。

『今日は練習中止 ミーティングに変更 放課後2−9に集合』

 まさに話題の人物から1通メッセージが発信された。
三佐倉はテニス部のグループLINE内にあるその連絡に確認を意図するリアクションをした。



 部活動は3年生が引退して、2年生が主軸となる。
三佐倉の話では、名木原仁は副キャプテンになったらしい。
役割りも相まってこれから部活動が忙しくなるのかと晶は少し寂しさを感じていた。
 学年も違えば、先輩は部活もあるので、帰る時間もわからないし、よほどの偶然がなければ会う確率も少ない。

 前に三佐倉が言ったようにマネージャーをすればよかっただろうか?
『部内恋愛禁止』とある以上、恋愛は無理でも近くで応援したり、何かしらのサポートができたはず。
けれど、三佐倉が言うにはマネージャーは今も足りているらしい。
ましてや邪な動機で入るわけにはいかない。


 その後も晶は仁に偶然会えないだろうかと毎日のように願っていたが、そう簡単には行かなかった。
たまに後ろ姿を見かけたり、一度も姿を見ない日すらあった。
けれど、運よくすれ違うことがあればお互いに会釈を交わし、先輩がニコッとしてくれただけで晶はその日1日が幸せになる。
 自分に笑いかけてくれるなんて、夢か現実か一瞬わからなくなるくらいだった。


 定期考査が近くなり、部活動が一斉に休みとなり、放課後の生徒たちは自習室や図書室、あるいは各教室でテスト勉強に勤しむ日々が始まった。

「晶、自習室行こか」

「え、お前ら自習室で勉強するん?」

 2人で自習室に向かおうとした晶と里香を三佐倉が引き留めた。
苦手な問題を教えてもらうつもりだったが、自習室はその名の通り黙々と自習する場なので話ができず、三佐倉には都合が悪い。

「んー。早く行かないと場所なくなっちゃうんだけどな。晶どうする?」

「まじ頼む!今日は俺に付き合ってくれ」

「私はいいよ。教室でも。里香がいいならね」

三佐倉は歓喜し、急いで自ら机をセッティングし始めた。

「あ。先に2人で始めててよ。私、慶のとこ行ってくる。すぐ戻るから」

 晶は隣の棟に繋がる渡り廊下の方に向かった。
慶に先に帰るよう直接言おうと思って急いだが、慶もこちらに向かっていたようでちょうど渡り廊下で出会わせた。

「慶、ちょうどよかった。ごめん今日里香たちと残って勉強することになったから先に帰ってて」

「おけ。わかった。僕は市立図書館で勉強して帰るね。LINE気づかないかもだからそれ言おうと思ってちょうどそっち行ってた」

こういうタイミングの良さはお互いさすが双子だと思った。

「慶最近あそこの図書館行くね。」

「うん。慣れると居心地いいよ」

 渡り廊下で互いに要件を伝え合うことができ、双子はそこで別れた。
踵を返した晶だったが、思いもよらない人が目の前をこちらへ向かって歩いてきていた。

名木原先輩・・・

 晶は一瞬足がすくんでしまったが、改めて前に進みだすと、先輩がこちらに微笑んでくれた。
意図せず笑みが溢れてしまい、晶は俯きながら会釈をした。

「こんにちは」

 仁の方から声をかけてくれたことに驚き、すぐに返すことができなかったが何とか顔を上げた。
晶が「こんにちは」と返すと仁はすれ違う際晶を見て更に微笑んでくれた。
 嬉しさにたまらずその後駆け出した晶は、振り返った仁がその姿を見ていたことに気づくことはなかった。


 教室に戻ると里香や三佐倉が「どうした?名木原先輩にでも会ったか」と浮かれている晶を揶揄った。

「弟くんも一緒に勉強すればいいのにね。」

「慶って1人じゃないと集中できないタイプだから。私はそうでもないんだけど」

 似ているようでそうでない双子の特性。
周囲には時々意外性が舞い込むことがあり、その度に「へー」と反応がある。

「なのに図書館で勉強?自宅とかでなく?」

三佐倉が眉を寄せて質問する。

「そこは慣れたんだって。周囲の人も何かに集中しているから自分もそこに紛れていいんじゃないかな。逆に気にならないんだよ」

 繊細な慶らしい特性だと晶は自分で説明しながら改めて弟の性格を客観的に考えてみた。
 周囲に気を遣ったり、自分を主張できないことが本人はコンプレックスだと言うけれど、晶はいつも「優しいんだよ、慶は。そんなところ尊敬する。いつもありがとう」と弟を肯定した。



 定期考査最終日、放課後の昇降口。
解放された生徒たちが部活や遊びへと散っていく姿があった。

「お待たせ、晶。帰ろ」

「慶、今ね、三佐倉待ってて。ちょっとだけごめん」

「全然いいよ。どうかした?」

「それがよくわからんくて、『ちょっと待ってろ』って。何だろ。時々偉そうなんよねー」

 双子揃って「何待ちなんだ」とぼんやり三佐倉を待った。

「やっとテスト終わったねー。自身ないけど」

「慶は大丈夫だよ。問題は私です。見てよ、ペンだこできたの久しぶりなんだけど」

 歪になっている右手の指を慶に見せながら愚痴を溢すと、覗き込む慶は「お疲れ様。すぐに治るよ」と笑った。

「あ、そういえば昨日帰り結構遅かったね。」

「うん。図書館閉館した後寄り道してしまって。もう少し勉強しときたくって」

「さすが。でも、連絡してよね。閉館時間過ぎてもなかなか帰らないからママも心配してたよ。今は男女関係なく夜道は危ないよ」

慶は「ごめん」と苦笑いしてその場を収めた。
晶は時々母親のように心配して小言を言うけれど、慶にとっては嬉しかった。

「はぁ、三佐倉まだかな」

 晶がキョロキョロと見回すと、棟出入り口の方から三佐倉が出てきた。
晶は反射的に手を振ったが、三佐倉の後から仁が出てきたことに気づき一瞬で緊張し固まってしまった。

「名木原先輩。なんで・・・」

 慶は「え。本物」とやや興奮して小声で呟くと晶と仁を交互に見た。
三佐倉と一緒に仁がこちらを見据えて双子の方に近づいてくる。
慶が「あの人が」と小さくリアクションを漏らす。

「こ、こんにちは」

 ぺこりと頭を下げた晶に、仁は自分の手に持っていた紙パックのジュースを差し出した。
校内の自販機に並ぶ見慣れたカフェオレだった。

「はい。これどうぞ」

晶と慶は差し出されたジュースと先輩を交互に見る。そのリズムが不思議なほど揃っている。
三佐倉も何が起きたか分からず様子を伺う。

「嫌いじゃなかったら、飲んで」

「ありがとうございます。い、いただきます」

 突然の先輩からのプレゼントに晶は驚きはしたが、ただただ嬉しくて、水滴を纏った紙パックを宝物を見つめるように見つめる。

「じゃ。帰り気をつけて。三佐倉、部活行くぞ」

仁は慶にも軽く会釈すると踵を返し立ち去る。
三佐倉は慌てて自分のいちごミルクを慶に差し出す。

「慶には、こっちやる」

「ぼ、僕?あ、ありが、と」

「晶、テスト勉強の借り返したからな。ちょっと、予定と違ったけど」

「は?え。どゆこと?」

 答えはないまま先輩を追いかけて三佐倉は行ってしまった。

 多分、このジュースは消費期限ギリギリまで冷蔵庫に保管されるだろう。『晶』というお札を貼られて。


 その夜、三佐倉からDMが届いた。
『本当は、先輩からもらったジュースをお前にあげようと思ってたけど、先輩からダイレクトに行ったな 笑』


 「名木原先輩って、彼女いないの?」

質問したのは里香の方だった。

「はっきりとしたことはわかんない。でも、彼女いる人が名前訊いたりジュースくれたりするかな、とは思うんだけど。」

「だよね。三佐倉に調べさせようか?」

「こ、怖い」

「ああ、だから今までちゃんと探ってないんだ。あ。噂をすれば」

 教室の窓から中庭を覗くと名木原仁が数人の友人と歩いている。あまり見かけない体育服姿だ。
スラリとした手脚に惹かれる。

「いてもおかしくないよね。あれだけかっこいいんだから。はぁ・・・」

「どうかな?人には好みってのがあんじゃん。実際、あたし的にはそうでも…」

 里香は晶の深いため息を聞きながら、なぜ友人は見た目も可愛く、明るく性格もいい、女としての武器は持ち合わせている思うのにこうも消極的なのだろうかと考える。
晶の方こそモテそうだし、彼氏がいておかしくないと思うが、本人は自覚がないようだ。
 高校入学の直前まで彼氏がいたとは聞いたが、特にひどい別れ方をしたわけでもなく、それが何かのトラウマになっている様子もない。
 割と気持ちの切り替えができて、すぐに新しい恋を見つけてその人に夢中になったはいいが、自分から積極的なアプローチはできないらしい。
見た目以上に「ふつうの女の子」のようだ。

「何してんのー」

 小島が機嫌良さそうに近づいてきたかと思うと、お決まりのように晶の隣に並ぶ。

「晶の好きな人見てたんだよ。小島も晶推しなら応援してやってよね」

「推しの恋を応援するって普通はあんまできんが」

「推しが幸せになるならいいじゃん」

「幸せにはなってほしいいけど、恋愛はうまく行ってもらうと悲しいんだが」

「小島、晶に謝れ」

「楽しそうに笑ってる推しも、失恋してしょんぼりしている推しも可愛いけど、彼ぴとラブラブしている推しを見るのは萎える」

「晶、こいつ殴っとこうか?」

「もー、2人とも何の話よ」

 友人たちの意味がわからないコントもどきを無視して再び晶は中庭を覗く。けれど、もう先輩の姿はない。

「もし、さ。告白するとして、彼女さんがいたらもちろん振られるよね。」

 里香は率直に「と思うよ」と肯定した。
しかし、晶を推す小島が「振られるとは限んないじゃ?」と意外な答えを出した。

「男は素直だからね。いいなと思う子に好意を寄せられたら、たとえ彼女がいても嬉しいもんだよ。好きと言われてはっきり振ることも出来ないかもしんないね」

「ったく、男ってやつは。もうお前どっか行け」

 身近な男子といえば、晶にはずっと慶がいたがそんな意見を聞いたことはなかった。
男の子にもいろんなタイプがいるんだろうけど、先輩はどんな人なんだろう。
 考えてみれば、名前とクラス、部活以外ほとんど何も先輩について知らない。
それは晶がいつもただ眺めて、うっとりして終わるだけだからだ。
もっと話せるようになりたい。
もっと仲良くなりたい。
もっと先輩のことを知りたい。

晶の中でまた大きく先輩への気持ちが膨らんだ。


「三佐倉、名木原先輩って・・・彼女いる?」

「え。知らん」

「訊いてみて」

「・・・自分で訊けば」

できないから頼んでいるのに。
この前はサプライズしてくれるくらいに協力的だったが、いつもの三佐倉に戻っている。

「じゃあ、先輩ってどんな人?部活の時とか厳しい?」

「おいおい、どうしたよ」

「先輩のこと知りたいんだもん」

「もん、て・・・」

 晶が意図せず目を輝かせて甘えるように頼み事をしてくる。
三佐倉は「わざとやっていたら恐ろしいな」と思う。
先輩にもそうやって直接訊いてみればいいのにと言いたかったが、言葉にはしなかった。

「厳しくはない。穏やかっつうか、優しいほうだと思う」

それを聞いて晶は嬉しそうにまた目を輝かせる。

「いい人だし、俺的にはおすすめするぞ」

「がち!?そっかぁ〜性格もいいんだぁ〜やばいなぁー。あれ?同性からの評価いいってことはそれって完璧じゃない?ますますハードル高いよね。モテモテだよね。あー、無理だってぇ」

「情緒どうにかせえ」

「無理ぃ」



 放課後、課題を進めるため1人図書室へ向かうと、慶の姿があった。どうやら慶も1人のようだ。
近づくと気づいてニコッとしてくれた弟に晶は癒される。

「珍しいね。市立図書館じゃないんだ」

「今日は休館日なんだ。世界史の課題、明日までに提出だから」

「そっか。こっちは生物の課題。隣誰も使ってない?」

慶は肯定し、迎え入れた。
それぞれ資料を広げ、レポート作成に勤しむ。時々はお互いの進捗を確認するようにして適度な煽りを得たりもした。
 双子故に、言葉を交わさなくてもお互いの意図が通じる。
カラーペンやマーカーを借りるなど、静かな空間でもコミニュケーションにも特に困らない。

「これ…、何?」

「え?…あ。」

慶のペンケースの中に見慣れないアクリルの塊を見つけた。

「東第一中、松川?…って誰?」

晶や慶の母校ではない中学と、聞き覚えもない苗字が刻まれた名札を手に取り、晶は率直に尋ねた。

「友達。図書館で時々会う…」

「へえ・・・なんで持ってんの?」

珍しく返答に困っている慶を見て、なんとなく今はこれ以上聞かないでおこうと察して晶は名札をペンケースに戻した。

「ま、いいか。課題すすめよ」

慶のペンがすぐには進まないのを横目に見て、寂しさを覚えた。
慶には晶にすら言いにくいことがあるとう事実を突きつけられ、酷く苦しくなった。

「松川」って誰!
結局数日経っても、「松川」の正体は分からないまま、慶は連日図書館での自主学習に通った。


 「そういえば、昨日部活の帰り、慶に会ったわ。図書館の帰りだって言ってた。」

 確かに慶からもそのことを聞いていた。
三佐倉が部活着のまま声をかけて来て一瞬誰だか分からなくて驚いたとも言っていた。

「うん。聞いたー。しかも家まで送ろうかって言ってくれたんだって?三佐倉のこと優しいねっだって。」

「や、だって1人だっていうし、あの時間だったから・・・今は男も女も関係ないっていうし、心配だろ。」

三佐倉の意外な優しい一面を見た気がした。
普段あっさりしていて、イメージとしてはそんなに紳士でもなかったのに。

「三佐倉優しいやん。あと、ジュースのお礼も言えたから良かったって慶が言ってたよ」

「おう」

 結局、図書館の友達『松川』についてははっきりしていないけど、もし、あの名札が今も現役のものなら…
あの日、窓越しに会釈していた中学生?なのだろうか・・・・。
慶とマックで寄り道をした際、窓の向こうの人物を慶は「友達」だと言った。
名木原仁と言葉を交わしたことに舞い上がり自分の恋バナに夢中であの時は深く追及しなかった。
しかし、名札の持ち主は彼だと直感的に感じた。
晶の知らない慶の交友関係にちょとだけ嫉妬してしまう。


 何故だろう。先輩に会うのはいつも予期できない。
決まって突然。

「こんにちは。」

「こんにちは。」

 もうこれしか無いのかというくらい決まった挨拶。
移動教室なのか、教科書やペンケースを抱えている。
半袖から伸びた腕は以前よりも陽に焼けたようだ。
仁を取り巻いていた男子生徒が「誰だ誰だ」と騒ぎ始める。

「仁の知り合い?紹介して」

「何ちゃんっていうの?」

「お前ら、うるさいよ。怖がるだろ」

仁は晶に気を遣ったようだが、その言動が周囲を余計に盛り上げてしまった。

「おっと!?怪しいな」

「仁、俺ら友達だろー。可愛い子独り占めかー」

「お前らテンション高すぎだろ」

だんだん困った顔になっていく先輩が不憫で、晶は自ら立ち去ろうと決めた。

「失礼します・・・」

「あ、ちょっと待って、」

仁に呼び止められちょっとだけビクッとなったが晶は努めて自然に振り返る。

「もしよかったら、これ三佐倉に渡してくれる?部活のなんだけど」

教科書と一緒に抱えていたファイルから差し出されたA4用紙を「わかりました」と両手で受け取ると、「ごめんね。ありがとう」と先輩は笑ってくれた。
ペコっと会釈して立ち去る背後からはまだ仁を揶揄う声が聞こえている。

「マジ可愛いかったよな。推そうかな」

「なあなあ、何て子?教えろ仁」

「あーもーお前らうるせー」

 もし先輩が1人だったら、勇気を出せただろうか。
立ち止まって、挨拶して、週末どんなふうに過ごしたか訊いてみたり…。
いや、いざとなったら本当に勇気が出せたか…。情けない…。

 教室に戻り、三佐倉にプリントを渡すと「頼まれごとする仲になったか」と笑った。
偶然だし、ぜんぜんそんな仲じゃないんだけどと晶はまだまだ進展のない恋に焦ったさを感じていたが、この日はさらに偶然が起こった。


 放課後、生徒たちが散り散りになって部活や下校した後、晶が教室に残り日直の仕事を片付けているとそこに仁が現れた。

「晶さん。」

顔を上げ、教室の入り口を見る。
逆光ですぐには誰だか分からなかった。

「よかった、まだいてくれて」

急いできたらしく、仁の息が上がっている。

「名木原先輩?」

うそ!何で先輩が!?何事かと状況が把握できない。
しかも「晶さん」って、思いもしない呼び方だった。
でも先輩が言うと不思議と変でもなんでもない。

息を整えながら先輩が教室に入ってくる。

「プリント、ありがとう。いきなり押しつけて悪かったなと思って」

「いえ、全然です!ちゃんとすぐに三佐倉に渡しましたよ」

確実に任務を遂行したと晶は真剣に報告する。
ウケを狙ったつもりはなかったけれど、それがおかしかったようで仁は笑ってくれた。
以前見た口角が上品に上がった笑顔ではなく、無邪気に。
屈託なく笑うのは初めて見た。

「今日、日直だった?」

「はい。日誌書いてました。」

「それで助かった、もう下校してると思ったから。もっと早くお礼言いにこようとしたんだけど・・・」

「あれくらい何でもないですよ。私でよければいつでも」

「いや、そんなことできないよ。マネージャーにも部活の時間以外に頼み事するの躊躇するのに」

「そうなんですね・・・。あれ?部活行かなくていいんですか?」

 なんと今日は休みだそうで、先輩は急いでる様子もなく晶の座る席の前に腰掛けた。
そういえば三佐倉のテンションがおかしかったが。オフだったからか。
晶がきょとんとしていると、ペンを進めるように目で促される。
見られていると書きづらい。

「字、上手いなあ」

「あ、りがとうございます」

 もしかして、このまま書き終わるまで待っててくれたりするのかな。
期待してしまう。
早く書き終わりたいのに緊張してるからゆっくり書かないと酷い字体を先輩に晒してしまう。「上手い」と言われた以上妥協できない。

「今日は、彼氏は待ってないの?」

「へっ!?・・・誰の彼氏です、か?」

「晶さん」

「・・・彼氏はいません。」

「あれ・・・・」

 仁は横を向いて晶から視線を外すと考え込んだ。

「いつも一緒に帰ってる人、彼氏なんだと思ってた。」

「ええ!?ち、違います!弟ですっ!!」

 晶は勢いよく訂正した。
まさかそう来たかと驚くしかなかった。
しかし、より驚いたのは仁の方でそれが表情に思い切り出ている。

「弟・・・さん?こないだジュースあげた時も一緒だった子?」

晶は大きく首を縦に振る。

「私たち、双子なんです!血の繋がった正真正銘の姉弟です」

「あ、そうなんだ・・・やば」

「慶は、弟は先に帰りました。・・・彼氏はいません」

「・・・じゃあ、このまま待ってて問題ない、ってことか。」

コクっと黙って肯定するのが晶には精一杯。

「一緒帰ろっか・・・」

何が起きてる?これは現実?先輩が、あの名木原先輩が『一緒に帰ろ』って言った?
言ったよね?
撤回される前に早く日誌片付けなければ!

「急いで終わらせますね!もう少し何で」

「いいよ。ゆっくり待ってるから」

 優しい。先輩優しい。
舞い上がる晶の気持ちは先ほどと違ってペンを気持ちよく滑らせていく。
 今日は日直で、先輩の部活も休みで、何だか偶然のようだけど、そんなふうには思いたくなかった。




「うちは西駅の方です。先輩は?」

「俺は一宮病院の方。」

「んー、真逆ってほどじゃないけど、どんなふうに帰るんですか?」

「いつもは県道を行くけど、今日は西駅の方からにするよ」

「それって大丈夫なんですか?」

「そんなたいして変わんない」

 晶と仁は自転車を押しながら歩いた。
乗りながらだと話しづらいので自然とそうなった。
会話は思った以上にスムーズに繋がっていき、互いの情報が急増した。

「先輩の妹さんなら美人さんですね」

「んーどうかな。そういえば今度受験だけど俺と同じ高校は嫌だって言ってったな。」

「えー?もったいない!」

晶としてはこんなかっこいい兄がいるなら学校でも一緒にいたいと思ってつい感想が率直に漏れたが、仁は何が「もったいない」のか疑問に感じていた。

「まぁ、俺も妹が一緒だとちょっと・・・」

「そうですか?」

「晶さんたちは仲がいいね。双子だから?」

「んー。どうですかね?改めて考えても理由はわかんないです。一緒にいて当たり前というか・・・」

「ふうん」

 晶自身にもわからないことなのに、意外にも真剣に仁が考えている様子で、その横顔がとても男らしくかっこいい。
 時々風が吹いて先輩の髪を弄ぶように乱す。
風にも嫉妬してしまいそうになる。
少し乱暴に頭を振って髪を払う先輩に見惚れていると目が合ってしまった。
 自然と自転車を押す足も2人揃って止まってしまったが、視線を逸らすことはお互いできなかった。
好きですと伝えたい。
苦しい。
言えないけど目が離せない。
好きだから先輩を見てしまう。「先輩はなぜそんなにじっと見るんですか?」そう尋ねてもいいんだろうか・・・。

「俺の勘違いだったら悪いんだけど…」

 目線を逸らさずにゆっくり仁が切り出す。そのゆっくりが晶を酷く緊張させる。

「チラシ、あげたよね。テニス部の勧誘の」

「はい!名木原先輩からもらいました。覚えてるんですか?」

 あの時期たくさん勧誘した中でまさか自分のことを覚えてくれているとは1ミリも思えなかった晶にとってとても衝撃だった。

「うん。覚えてる。・・・マネージャー興味なかった?」

「そうじゃないんですけど。・・・ルールもわからないし、女テニの先輩たちがマネージャーは足りてるみたいに言ってたし、」

部内恋愛禁止って書いてあったまでは言えない。

「そっか。いや、いいんだけど」

 仁が先に歩き出した。
なかなか晶が追ってこないので、仁は振り返り「暗くなるよ」と促した。
 暗くなるより前に、今この瞬間が終わってしまう。
先輩が一歩進む毎に「さよなら」って挨拶する時が近づく。

「晶さん?」

そんなのやだ・・・まださよならしたくない。
明日からまた先輩を探す毎日。ふりだしなんて嫌だ。

「好きです!」

風はなく、晶の声を邪魔する音は何もなかった。

「名木原先輩が、好きです。」

 自転車を握る手は冷えているのに汗が滲む。末端が冷たい。静寂は無限にも感じた。
仁が自転車をその場に停めてゆっくりこちらに戻ってくる。じっと見据えていてちゃんと答えようとしてくれているのがわかる。

「ありがとう」

 その先を聞くのに目を合わせてはいられず、晶は俯くしかなかった。

ああ、言ってしまった。

後悔はしてないけど後の恐怖がここまでとは想像していなかった。
でも、しっかり聞かなくてはと頭では努めて考えている。

「さっき、・・・俺も言おうとした。好きですって、」

「っ!?」

え?もう一度聞きたい!
聞き間違いじゃないかと確かめたくて仁を見上げると意外と険しい表情をしていたので一瞬怒っているのかと間違えそうになった。

「俺が先に言うべきだったよね。ごめん。ほんと」

 先輩が何に謝っているのかわからずブンブンと首を横に振った。
その姿を見て仁はやっと険しい顔を解き、切り替えるように頭を少し乱暴に振った。さっきみたいな風は無いのに。

「晶さん。俺と、付き合ってください」

 手を差し出し、手のひらを向けて「お手をどうぞ」と言わんばかりのスマートな仕草に、「王子様は本当にいるのだ」と思ってました。

「はい。喜んで・・・」

 晶は自分の手が緊張でしっとりしていることが気にはなったが、ゆっくりと先輩の手に重ねた。
 目の前の王子様は重なった手を見つめてキュッと握ると、今度は屈託なく笑ってくれた。



 急な展開とはいえ付き合うことになった晶と仁はそのまま帰宅するのを惜しんで、慶と寄り道をするマックによって小さなデートをすることにした。
互いにドリンクだけを注文して、今日は窓際を避けて座った。

 仁はチラシを渡した日の後、何度も晶を見かけたと言う。
下校の時や、休み時間に三佐倉たちと話している時など。いずれも晶が気づいていなかった。

「じゃあ、自転車置き場の不審女子が第一印象じゃなかったんですね!良かった〜」

「不審女子って。そんなふうには思わんよ」

「先輩にとって私との出会いはそれなんだと思って絶望してました」

「それでもいいけどね。最初から可愛かったよ。印象」

照れてリアクションに困るのでとりあえずストローを吸う。

「チラシ渡した時、可愛い人だなと思った。下校の時は大概弟くんと一緒の姿を見かけて、2人仲良さそうだったからカップルなんだと思ってた」

「そうだったんですか・・・・」

「姉弟だとは1ミリも思いませんでした」

時々わざと敬語っぽく話す先輩は可愛い。

「私も先輩のこと何にも知らなくて、彼女ぜったいいそうだなって思ってました。それで、三佐倉に訊いたりしちゃいました」

「・・・ああ。心当たりあるなぁ」

「名木原先輩と、こんなふうに一緒にいるのがまだ信じられません」

 晶は顔が緩んでしまうのを抑えられず、手で口元を覆いふふっと声を漏らした。
仁もその様子をみて同じように顔が緩む。

「明日は、部活で連絡も遅くなるけどごめんね。」

「わかりました。部活から帰って、一息ついて、元気残ってたら連絡してください。疲れてそのまま寝てしまっても大丈夫ですよ。」

「寝ないよ。てか、寝れない。」

「三佐倉なんてよく朝練の後教室で寝てますよ。簡単には起きないくらいです」

 机に突っ伏し寝ている三佐倉の姿が思い出されてつい笑ってしまう。
先日は小島が起こそうとしてもなかなか起きないので小島のイタズラ心によってその寝顔がインスタグラムのストーリーズに公開されたが、そのうち三佐倉本人も自らそれをシェアしていた。

「体力無いなあいつ。鍛え方が足りないみたいだから明日からメニュー追加します。」

「ふふ。厳しいんですね、名木原先輩。三佐倉は先輩のこと優しくて穏やかだって言ってましたよ。」

「・・・やっぱりメニューは現状のままにしといてやろうかな。」

 共通の友人がいるとそのおかげで話題を助けてもらえるからありがたい。
 仁は話していると、口調とか、間の取り方に落ち着いた人柄が現れる。
整った顔なのに人懐っこさがあって、低くても威圧感のない声はとても心地がいい。
だから晶は以前のように緊張でガチガチに体を硬くしてしまうまでは無く、時間はあっという間に過ぎた。

この小さなデートが終わろうとしている。

(つづく)


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