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『MUDLARKS』GORCH BROTHERS 2.1

2022年10月6日 19時開演
@下北沢ザ・スズナリ
¥5,800

今年の頭に観た『空鉄砲』に相当ヤラれたんだけど、その記憶も褪せぬうちに発表されたこの公演。同じキャストの三人芝居、しかも同じスズナリでの公演! これは観ねばなるまい・・・!!
というわけでワクワク楽しみにして待っていた。海外戯曲はあまり得意じゃないけど、この三人ならきっと大丈夫!
そして観終わって、いま。
面白かった・・・のか?
アタシ、楽しめてた・・・?
と、微妙な気持ち。
御三方の芝居のうまさと魅力は堪能したけれど、お話自体はどうだろう・・・とぼんやり考えてるけどよくわからない。ストーリーが難しいんじゃなくて、自分が面白いと感じたのかがよくわからない。

あらすじ
舞台はイギリス、エセックスの工業地帯。灰色の街。灰色の空。
遠くに揺らめくロンドンの光。幼馴染の17歳の少年チャーリー(田中穂先)とウエイン(永島敬三)がテムズ川の川縁に隠れている。ついさっき橋のうえで起こした「なにか」の興奮さめやらず、息も切れ切れの2人。そこにはぐれていたジェイク(玉置玲央)が現れるが、体は震え嘔吐し、明らかに様子がおかしい。ジェイクは「なにか」の顛末を見たらしい。
そして鳴り続けるチャーリーの携帯電話。

追い詰められたジェイクの口から、ついに「起こしたことの真実」が語られる。凍てつくような夜が更けていく中、ぶつかり合う少年たちの恐怖、狂気、焦燥、それから夢。未来が見えない街で未来を変えようともがく少年たち。
その行き場のない苛立ちが露わになり3人の関係が歪み始める。

公式サイトより

※ネタバレ気にせず書いています

床には黒い布が広げられて、うねったドレープがぬかるみを表現してるのかな。手前やや下手にタイヤがいくつか積んであり、上手奥に脚立と踏み台。ほぼ素舞台のようなセット。
ライブハウスで楽器のセッテイングをしている時のようなSE。ハウリングやスネアの音がひとしきり鳴った後、パンキッシュな曲が流れる。イギリスっぽい~。(脚本のヴィッキー・ドノヒューは昔バンドをやってたそう)
ロープを手にした3人が登場し、ひとしきり戯れあうパフォーマンスがあり、その後ストーリーがスタートする。

チャーリーとウエインは「やってやった!」「こんなすごいこと、誰もやってない」とハイテンションではしゃいでるが、何のことはない。橋の上から下の道路に瓦礫を落とすというくだらない悪戯だ。けれどそれはトラックに当たり運転手が死亡するという大事故に。
はぐれていたジェイクは橋の上からその顛末を見て、事故現場にいた人たちに目撃されてしまう。
テムズ川の河岸に隠れている3人は

舞台を観るためにネタバレを避けてた・・・てわけじゃないんだけど、あらすじを読んだくらいで、他の文章や動画なども未見のまま観劇した。観終わった今、ちょっとずつ公式サイトの座談やパンフの文章を読んだり、舞台となったエセックス州やロンドン、テムズ川辺りを眺めたりしている。物語の世界を少しずつ補完。
チャーリーが吸引してたスプレー缶は制汗剤かな、ああいうものでもラリったりするんだな、とか。

観劇時。3人の言動がこども過ぎるし、まったく共感できなくてちょっと引き気味だった。
自分が真面目だった訳じゃないけど、ああいう不良?チンピラ?たちに虐められたり被害を被った側の人間としてはケッと思ったりもして。(中学時代は持ち物を捨てられたり汚されたり、給食も毎日半分くらいしか食べられなかったし、私にとって大切な図書室は荒らされ閉鎖された)
「俺たち誰にも迷惑かけてないよね」「誰も傷つけてない」ってウエインが言う度イラっとした。んな訳ないっつーの。
なのでちょっと、ヴィッキーが言うように彼らを愛するのは、アタシにとってはなかなか難しかった。

けれど3人の生い立ちや環境を考えると、悪いのは誰だって話になるよね。貧困やネグレクトとか。友人同士で囲み合い、ぬかるみから抜け出すことを妨げ合う関係。憎むべきは3人の生まれ育った環境なんだろう。彼の犯した罪が消えるわけではないけど。
そう考えて、個人的な思いはちょっと避けておくことにするか・・・
となれば、見え方・感じ方も変わってくるんだろうか。
そう思えるまでに数日かかった。この文章を書きながら、思い出し反芻し想像して。

この物語はとてつもなく悲しいということに、気づきたくなかったのかもしれないな。焦燥と怒りと絶望に満ちている世界。そのぬかるみから抜け出したくて足掻くチャーリーとジェイク。チャーリーは抜け出せないことに怒り苛立ち、ジェイクは密かに勉強して大学受験に成功し、今夜はパーティーのはずだった。だけど事故現場で顔を見られ、3人で揉み合ううちにチャーリーを刺してしまう。もう絶望しかない。
ウエインだけはここがいいと言うが、それが素直さと愚昧さなんだと思うと余計に悲しい。彼の状況が一番悲惨だろうに。父子家庭だったが父親もウエインと6歳の弟を置いて失踪。ひもじい時に食べ物をくれたのがチャーリーだからと彼に懐いてるのも悲しい。

チャーリーが斃れたあとの、ジェイクとウエイン2人のシーンが割と長くて。
きっと致命傷を負っているのに、ウエインはチャーリーを助けたがり、ジェイクは置いていこうと言う。小舟に乗って一緒に川を渡る空想の遊びをしたと思えば、ウエインにチャーリーを刺した罪を被せると言い出すジェイク。明け方、潮が満ちてチャーリーの体は流され、遠くからパトカーのサイレン。堤防の上にあがったふたりだったが、ジェイクは川に身を投じて終幕。

飛び込んじゃいそう、と思った瞬間ぽんっと堤防から飛び降りたジェイクの姿を見て、予想したのに「あっ」て思った。その時、その直後のウエインはどんな表情だったろう。ちゃんと見てなかった自分の莫迦。それとも即暗転だったのか。
もうなんだか救いようがないじゃないか、こんな話。

今回の配役は、役者さんのイメージからすると意外だという話がパンフの座談会にあった。
聞き手さんのイメージは↓のとおり。
暴力的で支配的、ザ・不良少年、チャーリー→玉置玲央
おつむ弱めだけど優しい子、ウエイン→田中穂先
いい家の子で繊細そうだが野心家、ジェイク→永島敬三
私もこの方と同じイメージだったし、役者さん自身も(少なくとも穂先くんは)自覚してるらしい。
もちろん3人ともお芝居うまいし問題なかったんだけど、上演中に「これって乱痴気ないんだよな・・・」などと思ったのだったw(乱痴気とは☝️柿食う客の公演で行われるシャッフルキャスト上演のこと)もしあったら絶対おかわりしただろうな~。3パターン全部で観てみたい。

16~17歳の少年を30代の彼らが演じることについては懸念していなかったけど、やはりなんの問題もなくティーンエイジャーだった。考えたらすごいな。もちろん見た目が若いとかそういうことじゃなくてね。
演者が30代と知って作者のヴィッキーさんが「使ってる美容クリームを教えてほしい」と言うのがお茶目w

終演後はアフタートークで、登壇者は演出の川名さんと、イギリスの劇作家サイモン・スティーヴンスさん。何とズームでの登壇(って言っていいのか?)。脚本の翻訳家さんの通訳あり。
サイモン氏の話はとても素敵だった。世界的に大変なことがたくさんあるし、パンデミックや戦争もなくならないけどオプティミズムを忘れないように生きることが大切だと言っていた。想像力は人間にしかない。明日は今日より良い世界になると信じ、想像していくのだと。
本当は役者さんか、そうでなくてもこの舞台作品についての話を聞きたかったのでちょっと残念だったが、ファンキーで楽しげな彼の話を聞いて、どっすりと重かった観劇後の気持ちをちょっぴり軽くしてくれた。

ここまで書いて、結局どうだろう。
アタシは面白いと思ったんだろうか? とりあえず、観てよかったとは思うし、乱痴気があったらまた観たいとは思ってる。

*MUDLARKSとはどぶさらい、または浮浪児のこと。
実際テムズ川の底を浚って拾ったものを売ることをマッドラーキングと呼び、そういったことで生計を立てている人をマッドラークスと言うそうな。


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