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空腹は一番の調味料


 今日、中学生の頃に好きだった女子が教室で殺された、という夢を見た。

 おそらく同じ夢を見るのは三回目。そして、夢を見るごとにスト―リーが変わってくる。一回目は猟奇的殺人犯の犯行(逮捕済)で、今回のパターンはなぜか教室に同級生が集まり、そのなかの一人が犯行を自白するという筋書きになっていた。

 他にも一回目にはラーメン屋の店主が事件のことを語ってたし、三回目では過去のことを俯瞰して回想する視点にも移り変わった。墓場はどこですか? と僕は近所のおじさんに訊こうとしてたり。

 夢の光景はあまり思い出すことができない。というのも、僕は日常的に夢の内容を記録している夢見太郎ではないし、誰かに語り散らかす趣味を持っているわけでもない。だから、一回目二回目の記憶は、今日見た夢が引きずってきた断片的な映像しか浮かべられない。そもそも、二回目なんてあったのか? 三度も見ていないような気がしてきた。

 それよか、なぜいま、このような怪異とも不可思議とも捉えられる悪夢を見たのだろうか。

 一言で説明するなら、「未練」だろうか。大学生になったいまでも、胸の内にどこか引っかかってるものがある。高校を挟んで大学と、数えきれないほどの新しい人たちと会ってきたが、どうしてもその一人だけを忘れることができない。執着してしまってる。忘れたい、と思ってはいるが。過去を引きずったって、いいことは一つもない。

 捉えきれなかったものが、ぽかりと頭に浮かんできている。

 ちなみにモデルとなった女の子は、普通に生きている(たぶん)。中学から消えて、街で見かけたこともないし、SNSで繋がってるわけでもないから、もしかしたら死んでるかもしれないけど。僕にって彼女はシュレディンガーの猫状態だ。そして、猫の入った箱を空ける機会は、たぶん僕の人生ではおそらく来ないだろう。別れとは、そういうものだ。

 

 中学卒業間際、机と机の間に倒れ込む身体。第一発見者は、朝に巡回をした用務員さん。臨時休校となった手前、事態を把握したのは家のテレビからだった。僕は泣かなかった。悲しくはなかった。ああ、あの子がもう見れないんだ、という虚無的な現実しか襲ってこなかった。

 仲の良かった女子たちは、ひっきりなしに泣いていた。僕は横目に見るしかなかった。未来へと花開く卒業式は、殺された少女の死を悼む追悼式となっていた。顔も名前も知らない殺人犯に、恨みを抱くことはできない。「なんで?」の疑問だけが取り出され、生きのこりの者たちに深く刻まれた。

 卒業式のあと、教室のなかで一人、僕は床にそっと目を落とす。同じ場所で、彼女は倒れていた。茶色い木目調の、綺麗に磨かれた床をじっと見ているしかなかった。

 あれから数年後、大学生になった僕は――。


        〇


 昨日、バンドサークルの発表会的な交流会に参加した。

 自分のパートはドラムで、思うような結果が出ずに不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。

 帰路に着いたのは、夜八時になっていた。自転車に乗りながら食べたファミチキが、昼を抜いたおかげで死ぬほどうまかったです。


 

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