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最近読んだ本たちについて


 毎年恒例、夏の文庫本フェアがやってきた。「新潮文庫の100冊」(新潮文庫)、「カドイカさんとひらけば夏休みフェア」(角川文庫)、「ナツイチ」(集英社文庫)の三点。特に新潮文庫は特典の栞のために、僕は毎年必ず本屋へ足を運び、新品で購入している。金のない貧乏学生なので、新品の文庫を買うのにも躊躇してしまうのだ。だからこそ、アタリの本だったらいい本に巡り合えたと思うし、合わない本を選んでしまったら「なにくそ!」と後悔する。ほどよいギャンブル性のある行為でもある。

 今年はひとまず『人間失格』(新潮・プレミアムカバー)と『君の顔では泣けない』(角川)を買った。『人間失格』は実はまだちゃんと読んだことがなく、280円という新品の文庫本にしてはこれ以上ない安さだったので買ってしまった。しかも、プレミアムカバー版。余談だが、毎年出版される新潮100冊のプレミアムカバーの素材やデザインが僕は大好きである。単色+金色文字のタイトルと筆者名というシンプルなデザインが恰好よく、カバーの厚紙のような質感もさわり心地がいい。本棚にざっと並べて見栄えするような美しさもある。

 プレミアムカバーは毎年8冊選定されるのだが、なんらかの癒着があるのか知らないが『人間失格』と『こころ』は毎年必ず選ばれるので、あと6冊が何になるのかというのが我々読書ファン(というか僕)の気になるところ。個人的には、村上春樹のプレミアムカバーをもっと増やしてほしい。何年か前の『東京奇譚集』がすごいよかった。中身の文章変わっていないんだけれど、高級感があるし読むときにも高揚感が少しだけアガるので、ぜひもっと村上春樹の供給を上げてほしいという勝手な願いである。


 話が逸れた。『人間失格』である。

 巷で感じる「太宰らしさ」が如実に表現された作品だなと感じられた。超自意識過剰な価値観が前面に押し出されているだけでなく、半自伝的小説だと言われるだけのリアルな描写がいやらしい。卑屈さが文章という文章からにじみ出ており、他者と幾度となく交わっても永遠に虚無感が続いているのがなんとも悲しい。恵まれた環境と恵まれた風体で、ここまで人間は堕落するものだという虚しさのほうが強かった。

 当然、葉蔵=太宰だと考えて文章を読んだのだが、作家論的に読むと背景事情がなんとなく読み解けてくる。いまでいうところの愛着障害だろうか。頭が下手に良いことと、時代の荒波に呑まれたことも幸いした。もし太宰が勉強できなくて何十年か早く生まれていたならば、東京に逃げ道をつくることもなかったのではないだろうか。親元を離れて東京に行ったことが原因して、女・酒・薬に溺れ、退廃した生活を送っていった。人間の弱さに漬けこむ材料が溢れるほどに揃っているのが、都会だ。元来、精神の潰されていた人間が足を踏み入れたならば、地に堕ちるのは自然の摂理といえよう。      

 まあ、たとえ田舎に残っていたとしても、田舎特有の鬱屈した空気感に押しつぶされて結局自殺していたかもしれない。どうだろうか、僕には分析できかねる。『人間失格』の考察については、今度詳しい人に尋ねてみたい。


『君の顔では泣けない』は、最近デビューしたばかりの新鋭で、必然的に初めて読む小説家である。君島彼方。名前だけ見ればはハンサムだ。表紙カバーの裏を見て生まれ年を確認すると、現在30いくつだという。なるほど、朝井世代か、と合点がいくと同時に朝井リョウがどれだけ早く世に出版物を出してきたのかに驚愕したりする。

 まず面白い点は、これまで幾度となく擦られてきた「男女入れ替え」という設定の新たな視点を見出したことである。男女が入れ替わってそのまま月日が経過する、といった斬新なアイデアを作品に落とし込んだだけではなく、それによって生じるさまざまなライフイベントの困難さを隠すことなく文章に落とし込んだことである。

 特に、男女が入れ替わったことによって生じる、性生活の混乱をはっきり描いている。外見女性で中身男の坂平りくの一人称で物語が進んでいくのだが、男で生きているだけでは気づかないであろう部分までえぐりとって描写している。陸は女性としての性的活動に戸惑い困惑しつつも、なんとか身体を慣れさせようと「努力」する。これらのオープンな性描写は、キャラが必然的に現状に立ち向かおうと「努力」する性格、つまり誠実さと真面目さを持った主人公に仕上げることができる。

 しかし、内面を整えただけでは問題は解決せず、社会との接点において壁が立ちふさがる。家族はもちろんのこと、人間関係、部活動、恋愛事情――。なにもかも違う生活に主人公は戸惑い、そして彼らを騙して元の女を演じていることに罪悪感を覚える。この罪悪感というのがいままでの「入れ替わり」物語になかった視点であり、他人の人生を背負っていて、それを壊してしまうかもしれないその恐怖と常に戦っている陸の感情が、ストーリーを通してずっと残っているところが印象的だった。

 非常に繊細な陸とは対照的に、ケロッと入れ替わりの生活を過ごしているのが、もう一人の主人公、水村まなみだ。ここの二人の対比がどうにも愛おしい。恋とか愛とか、そういう言葉としての表現よりも強い「共犯者」のような関係性をつくりあげているのが、水村まなみという存在である。その自由奔放さと明るい性格は、陸に勇気を与え、同時に小さな傷も与える。俺がこんなに悩んでいるのに、なぜお前は平気な顔をしているのか、ということを。しかし、まなみもまなみで男性として生きることに不安を抱いていたことは、本文中でも示唆されている。

 ジェンダーが語られ、男性が女性がと主語を大きくして語ることが憚れるようになったこの時代だが、作者は性の差異の先にあるその人の生活や人生に焦点を当てている。人間の普遍的なライフイベントで生じる不安や困惑を共有し、お互いに見守り合うパートナーの存在が、読者の共感を呼んだのだと僕は考えている。


 なんだか、真面目な書評のような文章を書いてしまった。
 今夏の文庫本出版社売り尽くし祭りは粒ぞろいなので、ぜひ皆様にも手に取ってもらいたいものである。

 

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