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『生欲』に寄せるセルフライナーノーツ

こんばんは。日淡水玉です。
(こんばんはとは限りませんね…
でも、これを書いている夜からお届けします、という意味で。)

2022年6月23日に
2nd album『生欲』リリース致しました

前作『花と阿婆擦恋』リリースから1年と3ヶ月
待っていてくださった皆様も
その間に新しく出逢った皆様も
今こうしてこのセルフライナーノーツに接していただき
ありがとうございます

わたしは音楽をやる人間なので
こうして歌詞以外の言葉を紡ぐことが正しいのかどうか
なんともわからないけれども

補足的に、というよりは
もっと深掘りしていただくきっかけになれば
大変嬉しいと思い
綴っています

まずはここに『生欲』の音源リンクを
置いておきます
読みながらBGM的にでも
読み終わってからでも
お好きに味わってみてください

それでは、早速

◾️『生欲』(せいよく)タイトルについて

人間の本能の3大欲求といえば
食欲・睡眠欲・性欲ですが
その中でひとつだけ
第二者がいなくては完全には埋められない欲求
それが性欲だとわたしは思っています

そして
「自分にとっての第二者」に成り得る他者、を求めることは
生きていく上で 確かにひとつの
目的や 希望や 絶望だったりします

性欲の矛先も 生きていく目的地も
他者なしでは成り立たないという点で重なり
「せいよく」を『生欲』として
本アルバムに命名しました

1st e.p.『自己喪失』
前作『花と阿婆擦恋』
少しずつ光の方向が
「死」よりも「生」に
向いて来ているのかなと
自分では感じています

あくまで自分の中の希死念慮は据えたまま、
ですが
これからも少しは続いていきそうな
「生きること」に
少しだけ ほんの少しだけど
興味が移ったような
そんな気持ちです

◾️一曲目『明ける終焉』

この『明ける終焉』という曲はここ一年位
ライブの一曲目に据えて演奏しています
まさしくプロローグ的位置付けの
短い楽曲になっています

ひと段落めで黒→紅→光→影と
色の印象が流れていて
裏ではアルペジオからのワルツのように変遷しています
リズムが三拍子なのもわたしにしては珍しいですね
軽やかに孤独と踊るようなイメージです

サビと終わりの一部のみ
鍵盤を高音まで使っていて
命が咲き乱れ終焉していく様子と
それを照らす月の弦を
ピアノのメロディの描くカーブの印象で
表現しています

「居ない貴方」「潰えた影」は
単純に月の光が届かず見えないだけなのか
その絶望がある種のエゴイズムなのか
真性の喪失なのか

聴く時の気持ちによっても違いそうですね

短い楽曲ですが
その分イントロからサビ終わりまでの数十秒間で
瞬時に喉元に日淡水玉の世界を突き付けるような
静かで攻撃的な楽曲だと思っています


◾️二曲目『かみさまごっこ』

もしかしたらわたしの楽曲の中でも
最も「人生(ひとをうみ、ひとがうまれ、ひとがいきること)」
というものへの憎しみが強い曲と
言えるかもしれません

その内容を解説するのも少々憚られますが
この楽曲のライナーノーツとしては
避けて通れないことに言及します
あくまでわたしという人間の価値観であって
押し付けるものではないということを
ご理解いただければと思います

わたしは生きることがずっと辛く苦しく
何度生きることを辞めようと考えたか知れません
それはわたしに限った事象ではなくて
きっと沢山の人がその経験があると思います
生きることはかくも苦しいことであるとわかっているのに
自身の痛みを和らげる為に
未来の不安を和らげる為に
「しあわせ」な人生の一部の構築の為に
そんなエゴとしか呼べない理由で
新たな命をこの世界に
いとも簡単に
「愛」と名付けた免罪符を盾に
創り出すことが
どんなに罪深いことであるかを
歌詞の中で滔々と綴っています

「また命をつくって 神様ごっこ」
は抜粋にしてこの曲の歌詞の全てかもしれません

というわけで
歌詞が(めずらしく?)メッセージ性が強いので
なるべく楽曲は聴きやすいリズムで…と
心掛けて作曲しました
ピアノのフレーズも
トイピアノのような
ちょっとおもちゃみたいなイメージです
跳ねるリズムが多めなのもこの楽曲の特徴です

最後の「天を咎める権利はその手にないのだと」
の部分はヘッドホンやイヤホンで
LとRに全集中で是非聴いていただきたいです
天の声、です

なお、いつもタイトルには洋題をつけるのですが
この曲はフランス語で
「こわれたかみさま」と
いう意味でつけました


◾️三曲目『夜の惑星』

この曲も元々ライブでやっていたのですが
実は2日くらいで原曲を仕上げました
というのは
この曲には仮タイトルがあって
その仮タイトルは
わたしが音楽をリスナーとして掘り下げて聴くきっかけを作ってくれた
大好きな、心から敬愛する方が
ポロッと発した言葉だったのですが
その言葉を聞いた瞬間に
「わたしはこの言葉を冠した楽曲を作らなくては」と
謎の使命感に駆られ
急いで、かつ試行錯誤しながら
短時間で作詞作曲をして出来た曲でした

そんな方の言葉から作り上げた歌詞は
わたしの重すぎる愛ゆえに(?)
多分いつもより幾分かは可愛らしくなっていて
わたしの楽曲の世界の主成分である
2人だけの愛憎の世界、というよりも
「ダーリン」という呼称がサビにあるように
優しさや愛情が上回る世界線のストーリーで
その裏に儚さや寂しさや虚無感が見え隠れするような
歌詞になりました

楽曲としても
重く暗くなりすぎないように
メジャーキーのコードを
いつもより多めにしています

高音のピアノのメロディは
降り注ぎながら踊る流星群のイメージです

愛とやさしさ高配合で作ったこの楽曲は
ライブでも音源でも
色々な方からお褒めの言葉をいただくことがあって
いつもより聴きやすさを追求したぶん
ちゃんと届いてくれてとても嬉しいです

もう金輪際こんな曲は書けないと思いますが…

◾️四曲目『通電』

今回のアルバム『生欲』の
仮タイトルは「通電」でした

ですので
『通電』は表題曲として扱っている楽曲です

基本的に二者間の愛憎怨念を
歌詞に落とし込むことが多いですが
この曲は主人公の視点の生活を歌っています

たとえば深夜
もうこの世界のだれも
自分以外意識がないんじゃないかと
思うような時間に

テレビもスマホも
音を消して
静寂に落ちていくように
精神が堕ちて 堕ちて
堕ちていく最中

ふと気づく瞬間があります
ジリジリと
低く、静かに通う
電気の音に

その瞬間
全てを呑み込んでくれていた
自分を守ってくれていたあたたかい闇に
裏切られたような
強い嫌悪感に襲われることがあります

スマホの充電
食材を入れた冷蔵庫
さっき煙草を吸ったときのままの換気扇
暑さをやわらげる為のクーラー

結局わたしは
どんなに死にたいと願っていても
1秒後を生きようとしていて
それを立証するように通電の音が
この部屋いっぱいに広がっているのだと
気付かされるのです

耐えられなくなって
全ての電源を断ち切る
その行為すら
通電に支配されているがゆえの行動であると
気付いたとき

生活を辞めたい自分と
「通電 断ち切って」安心する自分

この小さな部屋で
通電に支配されて
絶望したり安心したりする
そんなくだらないことを繰り返す自分が
心底愚かしくて仕方ない

そんな生活の歌詞です

「繰り返す」という言葉が
反復して出てきますが
今日を病んで、それなのにまたきっと明日も生きてしまう
繰り返す、繰り返す、戒めの言葉です

洋題は「(un)energized」

通電することで、消耗していく状態を
(un)で表現しました

■五曲目『やわらかな不自由』

『やわらかな不自由』も、1年半くらいライブでやっている楽曲です
前作『花と阿婆擦恋』制作期間中に
作った楽曲だったと記憶しています
それまで作っていたどの楽曲よりも
自分自身の意志を投影していると感じた曲です

洋題の「comfortable discomforts」は
まさに、という語感でとても気に入っています

やさしさの顔をした獣
愛のふりをしたエゴ
そんな相反する本質を持った他者たちへの
諦めと苦しみを歌っています

2曲目に収録している「かみさまごっこ」と
通じる世界の歌詞になっていると思います

あまりに自分らしい言葉と楽曲世界なので
補足する言葉がほとんど見当たらないのですが

「時刻表通りに進めない命を愛の形と呼ぶ成れの果て」は
いわゆる
親の敷いたレールについてで
敷いたレールの上を歩きなさい、もさることながら
敷いたレールの上を歩けない子を愛すると言う自分自身への陶酔
への強すぎる憎しみ、です

「終わりと始まる繰り返すだけの日々は飽き飽きさ」
なのに
無償の愛を謳われ 生きることを強いられる
愛ってなんでしょうか
生きることってなんでしょうか
生活をすることはこんなに苦しむべきことなのでしょうか

最後のCメロ
「流線形など何処にもなかった」の裏の
高音の鍵盤のメロディラインが気に入っています


■六曲目『いばらの掌』

「優しい言葉は苦手なの」
という歌詞から始まる楽曲

わたしは
女の子女の子している音楽が苦手なので
「なの」という語尾で終わる歌詞は
ほとんど書いたことが無かったと思うのですが

この楽曲を象徴するその言葉は
どうしても、自分自身が
対面で人に向ける言葉に
近づける必要があったので
話し言葉のように やわらかい言葉遣いにしました

この楽曲の背景のイメージは
東京 です
吐いて捨てるほど人間の蠢く雑踏の中で
ほとんどの人間に生きているうちに出逢うことは無くて
ただそのすべてに生活があって
きっと愛と呼ぶものがあって

外に出るたびに
そんな夥しい数の生活で溢れかえっていることに
ぞっとするような気持ちであること

そしてその有象無象の雑踏の中から
きっと 自分にとってのたったひとりを
探しているのだろうけれど

自傷のように拒絶ばかり繰り返した
いばらだらけの掌では
あなたを傷つけることしかできませんでした

ならひとりで痛みだけを抱えて
死ぬまで生きていきます

という歌詞になっています

今これを書いていて気づいたのですが
前作『花と阿婆擦恋』の
1曲目と13曲目では
リアルに収録した渋谷の雑踏の音をサンプリングしていて

わたしの中の
生きることへのイメージは
前作と変わらず
渋谷の雑踏の中に紛れているのかも知れないですね

楽曲の話に戻りまして

歌詞画像の二枚目の英歌詞は
楽曲の最後のパートで重ねているコーラスの歌詞です

楽曲を作る際に
歌詞を先行して作ってあとで作曲する派のわたしですが
最後のパートにコーラスを入れようと考えた時
いつもと逆の制作順でだいぶ悩みました

もう鍵盤自体は完成したあとだったので
この楽曲の音の世界も、歌の世界も、歌詞の世界も壊さずに
コーラスを入れるにはどうしたらよいか
かなり悩んだうえで
英歌詞でのコーラスにすることにしました

本編のボーカルの言葉と意味とぶつからないように
単語と韻を考える作業は
大変だったけれど
自分自身に試されているようで
すごくわくわくしました

意訳を載せておきます
(でも、お好きに解釈なさってください)

「嘘がまた語り掛けてくる
時間だけがすぎていく
嘘を愛したところで
誰にも 何の意味もない
ただ壊れ堕ちていく
陽が昇ったとして
わたしの日が照らされることはない
愛してほしかった
愛されたかった
いっそ血の深く 沈めてほしい
あなたの嘘は きっと美しいのでしょう」


■MV『通電』について

『通電』をMVにしたのは
もちろん表題曲である(であった)からなのですが
1音目から圧のある楽曲として
開始コンマ1秒から日淡水玉の世界観に
ズブズブに溺れていただきたかったので
この楽曲をチョイスしました

今回MVは自分で編集したのですが
色彩にかなり注力して制作しました

生活をする自分
平行世界の自分
歌を紡ぐ自分

ライナーノーツで触れたように
「繰り返す」という言葉が何度も出てくるのですが
その言葉を軸に置いて
短い尺で切り替わるシーンを繋げています

このMV見ると煙草が吸いたくてたまらなくなります

アルバムジャケットと同じ衣装・世界観で撮影しました

『生欲』アルバムジャケット


■MV『いばらの掌』について

『通電』と真逆の映像世界を創りたくて
『いばらの掌』もMV楽曲にしました

『通電』MVが攻撃力強めなのに対して
『いばらの掌』は
やわらかくて やさしい
とにかくゆっくりと沁み込むように届いてほしいと思って
シーンの切り替えも『通電』と対称的に長めにしています

少し色褪せた色彩にすることで
刺々しい印象をやわらげて
かつ痛みが鈍っているような
麻痺しているような
そんなイメージで作りました

後半パート
分身/他者/祈り/女神etc.役として
わたし以外の方に登場してもらっています

縋る対象があるしあわせと
縋る対象を失うこわさと
縋る対象を失った孤独
すべての象徴としています
重要人物です

この人がいなくなったらもう無理
と言える存在の親友に大役を担ってもらいました
感謝


ちなみに前述のとおり
今回2本ともMV編集はわたしなのですが
撮影、助監督、分身役
すべてわたしの大切な親友3人が背負ってくれました
MVは正真正銘4人で作り上げた作品です

本気出せば何だって出来るんじゃないかと
思わせてくれた素敵な親友たちがいて
わたしはしあわせです

(散々しあわせじゃないような歌詞の解説をしておきながら
でも本当に思っています)


■頂いた感想に触れてみるパート

まだこれから聴いてくださる
あるいは観てくださる方もいらっしゃると思うのですが
早々にこのアルバムやMVを受け取ってくださった方から
言葉をいただいたりして
嬉しかったので
ちゃんと残しておきたいと思います
質問にも答えたりしますので
引き続きゆっくり読んでくださると嬉しいです

時代に左右されない世界観が素敵です

これはすごい、端的に、嬉しい以外の何物でもないですね・・・
ありがとうございます・・・・
お洋服でもなんでも、
流行を追うのが昔から苦手なタイプで
音楽をやっているからには
本当は流行の楽曲とかも聴いたほうが良いのだろうと
頭ではわかっているのですが
それが出来ない結果
自分でしかない音楽が出来ているのだと思いますし
こうやって言ってもらえてとても安心します
流行を追う追わないに関わらず
もう少し音楽は深堀りしなくちゃなあとは思っているので
それは別の課題としてですが
お褒めいただけるところは
素直にずっと伸ばしていきたいですね


「やわらかな不自由」は前回のアルバムとの繋がりを感じました

伝わってる・・!
前述のとおり、
まさに『花と阿婆擦恋』のアルバム制作中
(正確に言うと楽曲はすべて録り終わって諸々の作業をしていたところ)
に作った楽曲なので
汲み取り能力半端なさすぎて驚愕。。
単純に時期的にというのもあるけれど
やはり感覚や感性は日々移り変わるものなので
その時期の色が滲んでいるのかなと思います


普段あまり生活感のない楽曲が多いので、『通電』の生活を歌っているかんじが意外で良かったです

『通電』は
なるべく生身の
普段日常生活を送っている「わたし」の温度を
そのまま写し取りたくて
歌詞も飾らない言葉をなるべく選んで書いたので
伝わって 受け止めてくれて とても嬉しいです
頭の中とか 心の中とか 想像の世界ではなくて
人間らしさにこだわった楽曲になりました


崩れていくけど、そこからふと感じる光がちかちかするイメージ

まさに、『生欲』タイトルについて書いたパートの
光の刺す方向が
少しだけ「生」寄りになったことが
届いたような気がして
受け止めて頂けたような気がして
とても嬉しいです

『花と阿婆擦恋』よりも少し楽曲が明るくなりましたか?
歌詞は、暗いですけど。

笑、前作に引き続き聴いてくださってありがとうございます
きっと、たぶん、楽曲も歌詞も暗いままだと思いますが
でも前作よりはもう少し
楽曲自体を聴きやすく出来ればというのは念頭に置いていたので
そういう意味での明るさが伝わったのだったら嬉しいですね

『夜の惑星』の「ダーリン」は実在する特定の人ですか

わたしの楽曲は基本的に特定の誰かに歌ったり向けたことはありません
きっとこれからもありません
だってそれなら直接言えばいいのにと思うからです


MV『通電』がとても良いです。色味はもちろんですが、光の使い方が好きです。ザ・水玉の世界だと感じました

シンプル嬉しいですね
前述のとおり職業としてのプロフェッショナル不在で
制作したMVですので
プロットを書いたりネイルチップを作ったり
衣装や小物に至るまで
いかに自分の世界を作り上げるかだけを考えていたので
わたしらしいと言ってもらえて本当に何よりです
何度でも見てあげてください


制作したネイルチップで展示をやるべきだと思います

ありがとうございます笑
サイズも小さいですし 素人仕事なので
現実的には難しいかもしれないですが
わたしの世界を表現するツールのひとつなので
そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいです

せっかくなのでネイルチップの写真を載せておきますね

MV『通電』のネイルチップ
MV『いばらの掌』のネイルチップ
MV『いばらの掌』で分身役の親友につけてもらったネイルチップ


ライブで聴いたことのある『夜の惑星』『やわらかな不自由』は親しみをもって聴きやすかったです。MV曲でも良いくらいだと思いました。特に『かみさまごっこ』のイントロはライブとのギャップが強くて違った印象で良かったです。『夜の惑星』も鍵盤がいくつか重なっていて気合いを感じました

まずはライブを見守ってくれて本当にありがとうございます
制作音源はライブ音源をそのまま収録するわけではないぶん
音源は音源として
そのものをひとつの作品として楽しんでもらえるように
アレンジを凝らしているので嬉しいです
そのうえで
『やわらかな不自由』はシンプルさが出るように注力しました
『夜の惑星』は前述の通りの制作背景なので
気合いが伝わって何よりです。笑


■『生欲』と『花と阿婆擦恋』

『生欲』と『花と阿婆擦恋』のコンセプトの一番の違いを教えてください

ご質問にして
今回のセルフライナーノーツの根幹に触れる内容ですね

端的に表現するならば
『花と阿婆擦恋』は得ることの出来ない
喪われた愛情を渇望していて
『生欲』は生きる上で避けて通ることのできない
愛情の表裏にある苦しみ痛み憎しみにフォーカスしている
と言えるでしょうか

前作『花と阿婆擦恋』を制作しようと決めた時
完成したらすべての音楽活動をやめてもよい
それくらいの気持ちで
自分の全てを詰め込むように
生きてきた人生のすべての完成形として
制作しました

もちろん制作をする中で
まだまだ表現しきれていないことに気づいて
活動を続けているわけですが

それくらい『花と阿婆擦恋』は
自分自身であるような
これですべてが終わる、というような
必死に身を削って詰め込んだ作品となりました

対して今回のアルバム『生欲』ですが
このアルバムで最後にしようとは
思いはしませんでした
楽曲制作時点の自分は
発表時にはすでに過ぎ去って
もっと考えること、歌いたいことが
絶対に出てくることがわかっていたからです

当たり前ですが
『生欲』も血を吐き身を削り制作した
大切な作品ではあるのですが

『花と阿婆擦恋』は
生きてきた人生のすべてが
静脈で生々しく波打つように
『生欲』は今この瞬間の刹那
動脈が弾ける様に鋭く鮮やかに

印象の違いとしてはそんなものを感じます

楽曲としては
『生欲』収録曲のほうが
より自分の芯に近づいた曲が多いような気がしますね
『花と阿婆擦恋』で描いていることを
深く芯まで堀り下げたような感覚です


視覚的な、ビジュアル的な面でも違いが明確で
『花と阿婆擦恋』は
ショッキングピンクの照明の中
沢山のドライフラワーに囲まれて
ドレスを着たわたしが

好きなものを詰め込んだおもちゃ箱に閉じ込められたような
毒っ気の中にも少女らしさを残していますが

『生欲』は
ヴィヴィッドなグリーンの照明で
俯いた表情でわたしが佇む
シンプルなビジュアルになっています
(レースは外せなかったですが)
あたたかさではなく
冷たさの温度で
何にも邪魔されず
シンプルに心の奥底の痛みにまで届くような
飾り気のない
バッドエンドの大人向け童話みたいなイメージになっています


■おわりに

前回のインタビュー形式のライナーノーツくらい
長くなってしまいました
ご質問ご感想をお寄せいただいた皆様
本当にあなたに届けられて嬉しく思います
こんなに歌詞を書いているのに
嬉しい語彙を本当に持ち合わせていないので
「嬉しい」「ありがとう」しか言えないけれど
その言葉に全ての喜びを代えさせていただけたら幸甚ですし
これからもわたしは
歌って弾いて言葉を紡いで世界を視覚的聴覚的に落とし込んで
そうしてしかきっと生きていけないので
どうぞ見守って着いてきてくださったら
この上ないしあわせだと思います

改めて『生欲』音源のリンク
それから繰り返し出てきた『花と阿婆擦恋』音源のリンク
そして『花と阿婆擦恋』ライナーノーツのリンクを
貼っておきます

たくさん聴いてあげてください
たくさん愛してあげてください

これからも何卒御贔屓に
日淡水玉でした


追伸
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