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どうにかなる日々を観た(ネタバレなし)

  どうにかなる日々というアニメーション映画を観に行った。約1時間という短い時間のなかで、4つのエピソードが展開される作品。土曜日の新宿はどうやらだいぶ元気を取り戻したようで、久しぶりに沢山の人間をみた。

 どうにかなる日々。とても抽象的で、どこか心あたりがあって、投げやりなようでいて、少し前向き。背中を押されるというよりお守りみたいな、そんなタイトルだ。4つのエピソードはそれぞれ、どこかの誰かの日々を切り取ったものだ。アニメーションなのに妙な生々しさを本作に感じたのは、私やあなたの日々をそこにみたからだった。

 あの登場人物は私に似ている。別のエピソードのあの子は、私が実はなってみたかったあの子で、あの男の子は、私が偶然出会わなかった男の子だ。どこかで知っている日々。会ったこともない、ここからは触れられない彼女や彼は、正に私の目の前で日々を生きていた。過ぎ去った日は少しずつ薄くなって、1年という大きな単位で括られて、実体が不確かになっていく。だけど、私が過ごした日々は、1年ではなく1日1日で、つまりそこには毎日の24時間があって、そうやって結局どうにかなって、今の私がいる。

 この映画の登場人物は、事件や事故に巻き込まれたり、劇的な変化を遂げたりなんてしてはいない。だけど、どうにもなっていない時間がそこにあったから、どうにかなる日々になったのだ。小さい変化、環境や心境の変化を繰り返して、日々はどうにかなっていく。私の今日もあなたの明日もどうせどうにかなるみたい。悩んだって逃げたって、泣いたって笑ったって、日々はどうにかなってしまって、どうにかなっている限りは、間延びするみたいに続いていく。あの日々の苦しみに靄がかかって、今日に苦しむ今さえも、いつかどうにかなる日々に。

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