女の部屋

 自分で自分の手首を噛んだ。付いた歯形も次に見る時には消えてしまっている。そう知っているから目に刻み付けたけど、自分で付けた傷はただの汚れだから、些細な快楽もなんの情欲も湧いてはくれなかった。
指を舐める。少し前に染み込ませたはずのアルコールの匂いはもうしない。あの棒状のスナック菓子を食べたときみたいな、強くも弱くもない塩気だけが舌に刺さる。なんだか居心地が悪い。

 こんなことをやったって、どうせ10分後には虚しくなって、変に声を出して笑ってしまうのに。舌先で腕をなぞって下唇で脇の下を舐めて、何も感じないことをただ感じる。風呂上がりに塗ったボディクリームの匂いも、自覚するほどの体臭もない。自分の体の味気なさは、過ぎていくだけで終わっていく日々と同じだから、心地よくて面白みがない。

 親指で首を押して、ちょうどいい痛さを確かめても、それを覚えてもらえる他人はいないから、結局全ては自分で処理をするしかない。虚しいのに時々楽しくて、愉しいのにいつだって空しい。しょうもない女優に倣ってわざとらしく声をあげて、こんなので満たされて堪るかって啖呵を切る。深い吐息が部屋に充満して、辺りが雌の臭気で満ちて、淡い靄がかかる。今日も動物であることが嬉しい。今日も人間は愚かで愛おしい。達観した気になってみても、残るのは欲ばかりで下らない。

 抱く予定もない男を抱いて、触られる予定もない女に殴られた。何も起こっていないこの部屋で、私は、何かが起こった夜よりもずっと丁寧に、辛さを味わった。痛覚はいつになく敏感で、擦れるほどに意味を持つ。私は誰の私でもないから、ずっと汚くて、同じくらいに、ずっと清潔なままである。

 触れられないと知っているなら手を伸ばすことだってできるんだけどね。触ってしまったら終わってしまう。始まる前に終わってしまう。醒めて、覚めて、冷めて、消えてしまいたいと思ってしまう。

 ねぇ幸せになれなくてもいいから、やっぱりいつか、攫ってくださる?そうしたら私はどうせまた抜け出して、逃げ出して、今日と同じ憂鬱に、少しの興奮を垂らして血になることができるから。約束なんてクソくらえって、嘲り笑って欲しいだけ。

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