介護の仕事って大変そうだよね~。と言われるけど実際そんなに大変なんかじゃなくて、だけどたまにすごく大変だったりもする。という話

    こんばんは、こんにちは。たまには真面目な話でもしましょうか。ということで。お仕事の話でもどうでしょう。

 さて、私は今、介護の仕事をしている。訪問介護員、いわゆる“ヘルパーさん”というやつである。今の仕事を始めたのは6月の初めなのでまだ丸2か月程しか経っていない。しかし、私は以前2年程、認知症対応型グループホームに勤務していたので、まぁそれくらいの介護経験がある。

介護の仕事をしているというと、大変そうだと言われたりする。仕事というものの特性上、大変でない仕事などないのかもしれない。それを踏まえると、別に特段大変じゃあないんだよな。と思っていた。多分私には介護の仕事がそこそこ向いているというのも、その理由の一つかもしれない。今でも、手放しに、大変な仕事なんです!なんて、言ってあげるつもりはない。

グループホームでは、認知症の利用者の介護をする。1つのグループである9人を、日中は2人以上で、夜間は1人で、介助、見守りしていた。夜勤帯は1人での勤務で、夜には就寝、朝には起床の介助、声掛けを行い、朝食の準備や、家事等の業務をする。後は、2時間に1度の安否確認や、トイレ誘導、オムツ交換や、必要に応じて体位変換(寝返りが打てない人に床ずれのできないように体の向きを変えること)等をする。

認知症の人の介護って大変そう。そういうイメージが強いかもしれない。だけど少なくとも私にとっては、ものすごく大変なことではなかった。例えば、認知症の人は私たちの思い通りには行動してくれない。だけどそんなの当たり前のことで、高齢者だからといって、認知症のある人だからといって、思い通りに行動してくれるはずなんてない。私だって、誰かの準備した通りに生活なんてできない。だけど、無理強いをする必要はなくて、苦手なことを手伝う、やってくれるようなタイミングで声をかけたりする。そういう向き合い方でいい。
なかには、耳の遠い人や、うまく話せない人もいる。だけど、だから大変とは限らなくて、口から出る言葉だけが真実ではないこともまた、認知症の人に限った特別なことでもなんでもない。

 それに、介護の仕事をしていると、20代の私は重宝される。そして、同職の人は割と優しい、人が多い。

 意外と楽しんでいる様子が伝わったかは分からないが、考え方によっては大変なことばかりではないと分かってもらえたこととして。ここから、たまにすごく大変だったりする話でも、いかがでしょう。

 そもそも、私が介護の仕事を始めたのは、なんとなくだった。なんとなく、興味があったから、だ。身近に認知症の人はいなかったし、社会福祉への貢献がしたい!という強い熱意などもなかった。なんとなくできそうな気がした。まぁ現実なんて、それくらいのものである。
そして介護の仕事をしていて、それまでに経験した他の仕事(得意ではない接客業と、ブラック企業である工場での作業)よりは、やりがい的なもの、ちょっと楽しいと思える瞬間みたいなもの、もあった。
普段誰かの介助で食事をしている人が、自力で食べてくれた。それは、そのための工夫を考えて、その工夫がうまくいって、その人の意欲を活かして、生活の質を向上できたということであり、介護という仕事の本質は、世話をすること。ではなくて、こういうところにある。

 さて、身体的にも大変そうと言われる介護の仕事のなかで、私が本当に受けた大きなダメージとは、一体なんでしょう?とまぁこういう書き方をしたら、クイズ好きには答えが分かったのではないでしょうか。そう、精神的なダメージ、ですね。と、ここでエセ講義は終えて、また元の文体に戻りますね。
認知症が進行したり、その結果体も弱ったり、その後に訪れる利用者の死を受け容れたり。そういったことは、私はそんなに辛いとは感じなかった。そりゃあ長く関わっていると、元気だと嬉しいし、弱れば多少は悲しい。だけど、人の老いというのは避けられないものでもある。その人が今まで生きてきたこと、認知症を発症してからも生きてきたこと、それを知っているから、老いや死も受け容れていくことができる。
じゃあ辛かったことって何?早よ言えや。ということで。ちょっと具体的な話をしてみましょうか。
 グループホームで働いているとき、鬱の診断を受けている利用者がいた。その人は夜間の転倒リスクがとても高かった。夜間1人で勤務している間の、転倒リスクがとても高かった。そして、その勤務時間のうちには、勿論、他の8人の利用者の介護も滞りなく行うべきである。そもそも、グループホームは集団生活が可能な人が入るべき施設なので、介護職員では手に負えない人を見るのは、少し条件が違う。そして、その人は、転倒リスクが高いのに、介護職員が近づくと抵抗した。近くにいないと危ないのに、近くに行くと怒って危険。そういう状況だ。転倒してしまっても、一旦は自分1人で対処しなきゃいけないし、転倒のリスクを回避することも難しい。その人は何度も転倒していて、私の勤務中にも転倒してしまった。確か、いつの間にか起きてトイレに向かっているときに転倒して、痛いと声を上げていたのだったと思う。そのとき、勿論駆け寄って血圧を測ったり(転倒時の対処)、大丈夫ですかと声をかけたりした。そうすると、なんでこんな目に遭わされるんだと喚き続ける。他の人の介助もある。転倒した利用者の様子を見ながら見回りをして、再度戻って声をかける。なんでこんな目に遭わせるの!と喚いている。泣いている。痛いし辛いんだろうと思う。だけど私にはどうすることもできない。せいぜい、現場責任者に電話して来てもらうことくらいしかできない。今すぐ救急車で運ばれるような状況ではないから、(骨折の可能性はあるものの、頭を打ったりなどの致命的なことはない)どうすることもできない。喚いている、辛いんだろうと思う。なんでこんな目に遭わなきゃいけないの?なんでこんな目に遭わせるの?警察に相談します!なんでこんな目に遭わせるの・・・・・・・・・・・・(繰り返し)
ほら、精神疾患だけが強い人は専門外だし、こうやって私もご本人も傷を負うことになる。鬱病の人で、認知症の症状もある。ベースに鬱という病気がある。だけど私はそれへの対処がスムーズにはできないし、詳しく説明されてもいない。緊急時の対応についても、ふわっとしか聞かされていない。何が緊急時に値して、何がそうではないのか。それの線引きも聞かされていない。ああ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。そんなことを思う。
他の利用者のなかにも、転倒して、なんでこんな目に遭わせるんだ!と言った人がいた。その人もあまり情緒が安定していない人で、(恐らく鬱の診断等は得ていなかったので認知症の症状によるものなのかもしれないが、他の利用者等に比べて、手の付けられない感じではあった)殺してくれと怒って、その後に泣いた。他の8人への介助もしなければいけない。ほら、起きてきた。今現場責任者に連絡したとしても、別に根本的な解決にはならない。必ず連絡するようにとも言われていない。明日のシフトもある。どうせ朝には来る。ああ、まだ泣いている。なんでこんな目に遭わせるんだ、と。なんでこんな目に遭わせるんだ、なんでこんな目に遭わせるんだなんでこんな目に遭わせるんだ、なんで・・・・・・・・・・(繰り返し)
ああ、なんで私、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう。そんなことを思う。
しかも、それぞれ、大変な時期には、ご丁寧に夢にまで会いに来てくれちゃったりして。ああ、大変、大変だった…。そう思いだしたのは、流れで取ることになった、実務者研修という資格の自宅学習課題に取り組んでいた夜だった。胸が苦しくなった。泣きそうになった。もう1年も2年も前のことなのに、胸の表面から奥まで、全部苦しくなった。ああ、あの人たちは元気にやっているだろうか。とても、苦しくなった。

 若いのにこの仕事して偉いね。同僚は言うが、若くないのにこの仕事ができるほうが凄いと思う。様々な意味合いでの体力が必要だから。今の訪問介護の仕事だって、不遇と言えば不遇だ。自転車で炎天下を30分弱の移動、30分の身体介助と30分の家事援助。自転車で30分の移動、マスクをしたままでの入浴介助と、生活援助。お昼、炎天下、自転車で移動。買い物同行、2時間歩く。とまぁ、ここまで全部盛りのシフトもそうそうはないにせよ、冗談とも言えないところである。

    介護の仕事って大変そうだよね~。なんて安易に言ってくれちゃうけど、実際そんなに大変なんかじゃなくて、ってかそんなに単純な話でもなくて。たまにすごく大変だったりもするし、これ、もしかしてトラウマなのかな?って思うようなことが、介護の仕事2年間で2回程、工場勤務1年半で2個くらい、飲食店勤務1年と学生時代(アルバイト)の3年強で4個くらいはあった。

    正直もうあんな目には遭いたくないんですけど、それでも生きていてもいいでしょうか?会いたい人に会うためにも。ねぇ、大丈夫でしょうか。

 さて、天に職は果たしてあるのでしょうか?長い長いシンキングタイムを凌ぐバカみたいな踊りを今夜も。よろしければおひとつ、ご一緒にいかがでございましょう。

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