スリッパに憧れて

 道路に落ちているスリッパの片割れにドラマを求めてしまうのは、どこかで自分と重ね合わせてしまっているからだろうか。ただそこにあるというだけの事実が、ただ生きているだけという事実が、私の痛みを鮮明にする。そこには過去も未来もなくて怖い。今しかない世界では、それ以外の何もが必要ないのに、それなのに、老後の資金の心配をしなければならないなんて意味がわからない。あのスリッパは、どこかの女が男の頬に投げつけたものだろうか。それとも、保護者会に向かう誰が母の落し物だろうか。どちらにしてもあのときあそこにあった。

 あのスリッパが仮に夜中に歩き出して、どこかの家のおもちゃ箱から飛び出したおもちゃの兵隊たちと踊り出したとしても、私の人生には波も風も立たない。だけど、やれ見てろよと夜をひた待ちにしているのだとしたら、命無くとも、そのスリッパの生命力は軽く私に勝ってしまう。ただなんとなくでのうのうと生きている私とは違って、人間に憧れたり人を恨んだりして夜を心待ちにしているのなら、それは私なんかよりずっと、生きようとしているということだ。

でも、あのスリッパを見かけたときに息をしていたのは私のほうで、あのスリッパは生きてはいなかった。生きていないスリッパは、死ぬことだってできない。不意に不憫になったから、その先にあったお花屋さんで安い花でも買って横に置いてあげればよかったなと思った。

 あのスリッパが夜中に踊ることが悔しいなら、私は昼間から踊り狂えばいい。不安は全部明日へ投げ捨てて、明日後悔すればいい。後悔できるということを、過去を、未来を、恨んで幸せだと言い聞かせたらいい。君の声が聞きたかったのに、聞こえるのはただ強いだけの風の音と夜を駆ける電車の音。電気もテレビも消せなかった私から消えない君の声も表情も、あのスリッパはずっと知らないままだよ。だから戻ってきて、お願い。なんて、ワガママは寝てから、寝るのは踊ってから。日曜日、1月最後の日。夜はこれからだから、さぁ安心してお手をこちらへ。

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