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クリープハイプという呪い

    現メンバーが出揃って10周年というお祝いムードのなか、こんなクソみたいなタイトルを付けてしまう私で申し訳ない。クリープハイプというロックバンドの話をしていく。

 彼らの曲を聴き始めたのは高校生の頃だった。初めて聴いたときに、凄く綺麗な声だなと感動した。その甲高い声はボーカル本人にとってはコンプレックスだったようだが、私は、こんな声で歌えたらいいのになと思った。いつの間にか彼らの楽曲のファンになり、動画をみて、CDを借りて、DVDを買って、CDを買った。それは小学生のとき以来に購入したCDで、CDを買うということ自体にも大きくときめいた。彼らのライブに初めて行ったとき、新曲の歌詞をみたとき、新しいアルバムを聴いたとき、彼らは何度もときめきをくれた。

 それなのにどうして呪いなどという言葉を使わざるを得ないのか。飽きっぽい私は何年も好きでいるうちに何度も飽きてしまいそうになった。というか、飽きてしまうのではないかという不安に駆られた。過去に限らず現在進行形で、大好きと大嫌いの間でのたうち回っている。死ぬまで一生とは言わずとも、まだ愛していたいから。そういう、自分でもよくわからない気持ちになったときに、尾崎世界観の歌は、私を呪い殺そうとする。私がクリープハイプにハマるとどめを刺したのは社会の窓という曲で、聴いたときに、耳の裏が疼くような、自分には処理しきれないほどの衝撃を受けた。その歌詞の内容はストーリー仕立てのMVとリンクする。主人公は「凄く大好きだったあのバンド」が売れていって遠い存在になっていくことを受け容れられずにいる。「アルバムの7曲目位で歌われる位がちょうど良い」主人公の訳アリOLの気持ちを、「あたしのこの気持ちは絶対 シングルカットさせないし」と尾崎世界観は歌う。この楽曲は勿論シングル曲だし、それでいてアルバムの7曲目だ。そしてこのCDをリリースしたのは、メジャーデビューシングルと、タイアップの付いた3rdシングルとの間のタイミングだった。ある程度売れてからも尚売れたいと言っているのに、こんな大衆的とは言い難いドラマをみせてくるなんて。私は当時この主人公にはなり得なかった、彼らが失いたくないと願っていたのかもしれない昔からのファンではなかった。だけど、だからこそこのバンドに、ハマってしまったのだと思う。

     「アルバムの7曲目」に呪いをかけた彼らは、「カップリング」にも呪いをかけている。「バンド」にも、「世界観」というボーカル自身の芸名にも、なんなら彼の本名にまで、彼(ら)は呪いをかけている。そんな彼がファンを呪っていない筈もなく、私はどっぷり、呪われてしまった。「結局ここに帰ってくる」瞬間、「今も愛してる」と思ってしまう瞬間、「今でもまだ好きだよ」と思う瞬間、「愛してないわけない」、「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」、「離さないでいてくれるなら なんでも叶えてあげるから」。こんな胡散臭い言葉たちなんて、愛してしまった時点で正義なんだから、みすみすこの手を離せるかよ。

 キスくらいじゃあ呪いは解けない。どうせ1回きりなんだから気持ちがいいだけの、あんなことやこんなことも、今度があったらしよう。

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