嘆く必要もない

 あの子が随分と前にくれた言葉を、食べかけのままにしていることを思い出した。賞味期限は切れただろうか。歯型は残ったままだろうか。取り出してみると、なんだかとても歪な形をしていた。ゆっくりと齧る。味がしない。ただ独特のにおいだけが残っている。歯型もなんとなくは残っている。賞味期限のシールが貼ってある。貼ってあるのに、日付けは印字されていない。工場で働いていたときに聞いた、賞味期限のシールを貼る音を思い出した。得意げに両手でその道具を持って、得意げにシールを貼っていたおじさんのことも思い出した。

 味の無い言葉、思い出せない言葉。思い出せないけれど、別に忘れてしまった訳ではない。勿論、忘れてあげた訳でもない。ただ、思い出せないのだ。あの子の電話番号を指で辿った。ワンタッチで電話のかかってしまう現代を少し不憫に思う。聞きたい声が、離れているのに聞けてしまう現代を、儚く思う。だけど、だからこそ、いい時代だと信じたい。あの子の電話番号なんて本当は知らなくて、知っているのはメッセージアプリのアカウントだけ。所詮はそれだけの仲で、ワンタッチで始まってワンタッチで終わらせられる。だから、信じることしかできないね。って火曜日のお昼前。

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