LIVE(on the)SEATのセトリバレのないセトリの話

 さて、私は(少なくとも)成人した頃からそこそこの頻度で音楽ライブというものに行っていた。しかし昨今のとあるウイルスの影響を鑑み鑑みられ、ここ半年以上生の音楽を爆音で浴びることなく時は過ぎた。その間に、家でライブをみるという享楽などもあった。そして今日、久方ぶりに私は音楽ライブに行った。

 ライブの感想というのは文字にしてしまうと味気なく、同じバンドのライブだと、何度も足を運ぶとまぁそれなりに同じ感想になっていく。勿論、説明するとそうなるというだけで、そこにはその日の感情がある。感想が同じになるというのは決して悪いことではない。変わらないおいしさが同じ味という意味ではないのと同様である。

 私は元より、方向性の違う他人にとっては大変どうでもいいことばかりを考える性癖がある。それを踏まえていただきつつ、今夜気づいてしまったことについて話したい。

 今日行ったライブは着席ライブというやつだった。座ってみてね、声は出さないでね、勿論マスクお願いね。みたいなやつ。それについての妙、居心地の良さみたいなものや、多少の違和感や楽しみ方について話しても良いのだけれど、そんなことより、話したいことがある。

そんなことと言ったのは、根本的なところは変わらないからだったりする。私が形態の変化を差し置いて話したいのは、ただのセットリストの話だ。

 セットリスト、セトリ、という言葉を知らなかった頃が懐かしい。あの頃の私はまだ未成年だった。それよりも前の私は、セットリストについてなんて考える必要もなかった。

あれから、様々なライブに行った。ドームでのアイドルのライブや、ライブハウスでのロックバンドのライブ。アルバムリリースに託けたライブや、何周年だよ記念のライブ、など。その度にSNS上に、セトリという言葉や、それに対しての評価をみた。

 勘の良い人はタイトルでわかっただろうが、私が今日行ってきたのは、UNISON SQUARE GARDENというロックバンドのライブなので、彼らのセットリストの話をする。

 結論から言うなら、私は気づいてしまったのだ。だから居ても立ってもいられなくなって、ここに吐き出している。私が気づいてしまったのは、彼らのライブのセットリストが必然であるということだ。

それっぽい運命的なワードを使ったことは承知している。だが、今夜方彼らのライブをみてそう確信してしまったのだから仕方がない。

 このバンドのセットリスト担当者は、セトリを考えるのが趣味だと自称している。何度も、これをやろう、あれをやろうと考えて決まったセットリストは、その日の偶然のようにも思える。だが、今夜あの場所で鳴っていた曲たちは、今夜あの場所に必要だった曲たちである。このご時世に、この時代に、鳴るべくして鳴っていた。根拠は、私が今日のライブでそう確信したというだけであるが、つまり私にとってこれは、紛れもない真実ということでもある。

 ロックバンドの存在の意義や必然性に口を出す義理は滅法無い。だが、今夜のライブで聴いた曲たちは、今夜ライブで聴くべきだった曲たちだ。あの瞬間、あの場所に鳴るべきだった曲たちだ。少なくとも私にはそう感じられた。これくらいの音楽体験が今日も嬉しいから、生活は続く。

 

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