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ワーママ時代のモヤモヤを分解する③努力が得意な元優等生は要注意?承認欲求編

こんにちは。ロシア駐妻のMIYUです。
だいぶ、前回更新から間が空いてしまいました><!
引き続き、ワーママ時代のモヤモヤを分解してみようと思います。

先日、以下の記事でワーママ時代のモヤモヤを分解してみました。

長いこと抱えてきたモヤモヤの要因は
自分自身の判断軸が「自分軸」でなく、「他人」・「上司軸」
なってしまったこと。

そしてそうなってしまった理由は、
以下の3つではないかと考察しました。
①あらゆる固定観念に縛られていた(アンコンシャスバイアス)
②ありのままの自分を受け入れることが
 できていなかった(プライド・承認欲求の高さ)
③自分への理解が足りなかった


今回は、②ありのままの自分を受け入れることができなかった「承認欲求編」を書きたいと思います。

ちなみに①固定観念に関しては以下に書いています。
お時間ある時に覗いてみてください。

正直、自分の内面をぐりぐり書くので、ちょっと自分的に苦しさはあるのですが(自分ディスりw)、同じようにモヤモヤを抱えている人に人に「私だけじゃない!」と少しでも思っていただきたいと思い、勇気を出して書いていきたいと思います。

★1分で読めるシリーズ★
こちらのInstagramにこのnote記事をコンパクトに
まとめたものを載せています♪ 時間のない方はこちらをご覧ください♪

1. 努力や得意な元優等生〜学生時代の私〜

<小学校&中学時代>

長野の田舎で育った私は、学生時代はいわゆる優等生でした。
小学校の時から「しっかり者」と言われ、習い事をすればちょっとした賞をもらったり、何事も卒なくこなしていました。とはいえ、小学校の頃までは、あまり目立つことが好きではなく、恥ずかしがり屋で、控えめな子でした。

そんな自分に変化が訪れたのが中学校。最初のテストで学年1位をとりました。明確にランキングとして表されるため、周りの評価が一気に変わったという感覚をいまだに覚えています。
そこから「すごい」、「さすがだね!」と言われるようになりました。
通知表もほぼオール5。所属していた吹奏楽部では部長をやり、生徒会でも委員長などをやっていました。

家族・親戚の中でも褒められ、学校でも一目置かれるようになり、周囲に自分が認められることが嬉しい。なんだか、それに心地よさも感じてしまい、気づいた時には「すごい」と言われるために、に努力するようになっていました。

毎回1位を取るためにテスト前は猛勉強。完全に「いい成績を取る」ことが目的に・・・
今、思うと何を必死にそんなに勉強していたのかと思うほど。夢や目標は特になく、「高校、大学に進むにつれてやりたいことは見えてくる」という親や学校の先生のいうことを信じ、とにかく順調に敷かれたレールを歩んでまいりました笑。
ただ、部活だけは唯一純粋で好きでやっていました。みんなで音を奏で、感動を届けることができる音楽。「仲間」や「チームワーク」を大事にする自分の価値観はこの時の心地よさからくるのだろうなと思います。

<高校&大学時代>

高校は県内1・2位を争う進学校へ。もちろん田舎から出てきた私がちょっとの努力でトップに躍り出ることなどできず。最初のテストでは下から1/3に入ってしまいました。それでも、決められたことに対し、努力をすることが好きだった私は部活も勉強も両立させたい!(たぶん、それでみんなにすごいと言われたいという思いが心の底にあった・・・)と思いを抱えながらをやりながらも、超ストイックな3年間を過ごし始めます。

実は、高校まで片道1.5hかかっていました。(しかも電車は1時間の1本!w)
毎朝6:00前には家を出て、電車の中ではひたすら予習復習(学校では毎日3時間勉強しろと言われていた)、部活をやっている以上3時間の勉強時間は確保できない、だから授業中にできるだけ吸収しようと授業を真剣に聞き(つまらん授業はたまにマンガ読んでたけどw)、授業後は19時過ぎまで部活。帰宅はいつも21時前。そんな生活をストイックにしていました。
なんか書いてみたら、社会人時代の自分みたいw
そんな努力の甲斐あってか、担任の先生や友人にも「すごい」と認められるようになり、自分の承認欲求やプライドを満たしてくれました。

高校生活のほぼすべてを捧げていたと言ってもいいほどの部活(吹奏楽)では、副部長やパートリーダーを任され、まとめ役をしつつ、最後の年には、なんと県大会で「金賞」を受賞し、県代表として全国大会手前の大会に出場することができました。まさに青春を謳歌。
そして、勉強面でもコツコツ積み重ねてきた努力が報われ、努力の証と言っても過言ではない、「早稲田大学」への指定校推薦を獲得しました。勉強だけでなく、青春も謳歌したまさに文武両道の超充実した高校生活。この経験が「努力すれば報われる」という私の成功体験となってしまいました。

大学時代も概ねこんな感じです。学生NGOのサークルに入って、ボランティア経験したり、バックパッカーしたり、朝まで飲んで遊ぶ!カラオケ!みたいに、いかにも大学生!!な生活をして楽しんでましたが、勉強は努力する(実は大学時代の成績はほぼ「優」笑!)、就活も持ち前の努力を発揮して、誰もが知る大手メーカーへの内定をいただくことができました。

「学歴や肩書きなんて関係ない!」と思いながらも、有名大学・大手企業にに入ることができた私は「自分の人生結構イケてるかも!」とテングになっていたかもしれません。無意識に、ステータス・肩書きで、物事をはかってしまう自分がいました。そして、それらは私の承認欲求を満たしてくれる、、気づいた時には、このステータス・肩書きを手放すことができなくなっていたのです。

2. 私の抱いていた承認欲求の正体は?

こうして、学生時代の自分を改めて振り替えてみると、私は、決められた目標に向かって努力することができる。ある意味これは強みだけれど、その努力の原動力のベースには、「人から認められたい」という思いでした。

人から認められたいと承認欲求を持つことは悪いことだと思いません。人間は、誰だって承認欲求はあります。

 ただ、私が厄介だったことは、その先の「目的」を考えていないこと。決められたレールの上を走ってきてしまい、自分で自分の人生に責任を持つことを放棄してしまっていたことです。
 もし、私が求めている承認欲求が、自分のやりたいことを成し遂げて得られる承認欲求だったら、よかったのだと思います。
 でも、私の承認欲求は、自分のしたいことに「蓋」をして、「相手に求められる行動」をすることで得られるものでした。だから、自分のやりたいことを見失ってしまい、いつもモヤモヤしていた。
まさしくこれが努力が得意な元優等生の私が陥ってしまった罠だったのです。

 そして、この状態をまさに表している研究がありました。みなさんもご存知のマズローの5段階欲求です。4段階目が「承認欲求」となりますが、この承認欲求にも2つの意味があります。
私の抱いていた承認欲求は、「低位の承認欲求」であったのです。

低位の承認欲求:他人からの賞賛や注目、尊敬によって満たされる
高位の承認欲求:自己尊重や意識づけ、自立性を得ることで満たされる


3. ありのままの自分を受け入れられなかった私

<社会人時代の負のループ>
社会人になり、正解がない世界に放り込まれた私は、決められたレールがなくなり、一気に戸惑ってしまいました。自分のやりたいことを真剣に考えてこず、自分で人生を切り開いていくことに慣れていなかったのです。

ぼんやりとしたやりたいことはありました。でもそれって「世界中の人を笑顔にしたい!」と同じぐらい抽象的なもので、ぼんやりしたもの。そんなぼんやりしたものじゃ、すぐ忘れ去られてしまうぢ、原動力にならない。
結果、目の前のある与えられた仕事をとりあえずこなすことで、自分の充実感をえようとしました
でも、、仕事だけの人生、これでいいのかな?と思うようになりました。

そして、人から認められることやステータスから抜け出せていない私は、もともと人から「ありがとう」と言われることが好きな受容性の高い性格も相まって、正解のない社会人生活において軸を、人の言動や行動といった「他人軸」になってしまっていたのです。

その結果、いつも私は疲れていました。「周囲への気疲れ」や勝手に自分が作り出す「すべき」に囚われていたのです。

ありがとうと言われたい(認められたい)→気を遣う→疲れる→でもありがとうと言われたい、と負のループ
に陥っていました。

<承認欲求が強い自分を受け入れられなかった自分>
ここまで書いてきたように
「他人軸」になってしまった根本の要因は承認欲求にあったのですが、さらに厄介だったのが実は、それにあまり気付いていなかったのです。

むしろ、「気遣いができることが自分の強み」だと思っていました。だから「他人軸になること=相手目線」だからいいこと!と、思い込んでいたんですよね・・・

だから、気遣いできない人に出会うと、「自分だったらこうするのに!」と苛立ちを向け、自分軸で行動している人に対しては、「自由でいいなー(でも私はなれない)」と本当はなりたいのに、協調性がない!とどこかで軽蔑する自分がいました。

そして、ワーママとして働き出した時に、自分の気持ちが溢れ出てしまいました。
育児も仕事もこんなに頑張っても誰も認めてくれない。
なんで?みんな私のこと認めてよ、認めて欲しい・・・


ここでようやく、初めて自分の承認欲求の高さに気づいたのです。
でも、プライドも高く、完璧主義者でもあった自分には、承認欲求の高い、「弱い自分」を受け入れる余裕は微塵もありませんでした。
ずっと人に認められるため、模範となる行動を取ってきた自分にとって、弱い自分は許し難いことでした。

こうして、どんどん自分のことが嫌いになってしまったのです。
自分を受け入れることができないと、不思議なことに、自己肯定感も下がり、他人と比較ばかりするように。気づいた時には、自分の軸なんて全くなくなり、他人軸で生きるようになってしまったのです。

4. 私が勘違いしていたこと。

私はずっと、自分は「相手目線に立つこと」ができる人間だと思っていました。でも、本当は相手の反応を常に窺いながら行動していただけです。

本当の意味での相手目線は、相手の関心に関心を寄せること。
相手を主語にして、相手に好奇心を持つ

こうして初めて相手と同じ目線で、相手の見える景色を見ることができる
私は常に主語が「自分」でした。「自分」がどう思われるか。

「自分」をきちんと持っておかないと相手のための人生になってしまう
自分主体の人生でないからいつも不満を抱えていたんです。

周囲の人と自分を比較して、勝手にその人を
羨ましがったり、時には妬んだり。

努力ができるという自分の強みを承認欲求を
満たすために使うのではなく、
「人生を楽しむ」ために、自分以外の「誰かのために」に向け、
本当の意味での「ありがとう」を感じることができれば、
人生豊かになれる
と、今は思います。

だからこそ。いつでも立ち戻ることができる
「自分の人生における軸」って大切だなと思います。
この軸を見つけることができたからこそ、
嫌な自分も全部受け入れることができました。

自分軸で、自分らしいしなやかな人生を送る。
私が実現したいと思う人生です。

最後までお読みいただきありがとうございました♪



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