学校の英語授業はもっと減らしてよいと思います。
私の趣味は英語です。
中2のころから好きなので、もう生涯の趣味と言っていいくらいです。
でも、実力はヘボいレベルです。
英検2級なら1ヶ月くらい準備すれば多分なんとかなりそうですが、海外ドラマを見ても、内容は半分も理解できません。
これまでずっと気が向いたら練習する程度でしか取り組んでいないので、まあこんなもんでしょう。
いつか準1級を取ってみたいという願望はありますが、たとえ取れたとしても、その先に得られそうなものは何もありません。
仕事に活かそうなどという、そんな恐れ多いことは考えてもいません。
ゴルフ好きのサラリーマンの方々が、「100切った」「90切った」と、別にプロを目指している訳でもないのに、一喜一憂しているのと同じ感じです。
その程度の者ですが、数十年しばしば英語を練習してきたなかで感じた、日本の英語教育についてを意見したいと思います。
内容は・・・
それでは・・・
1、英語は学問ではなく技能
学校で習った国、数、理、社、英の5教科のうち、英語だけ異質です。
英語は、他の4教科のように机で勉強をして成績が上がるというよりは、訓練して上手くなる教科です。
アメリカに行けば幼児でもペラペラと話せるのは、幼児が机に向かって、英語をガリ勉しているからではありません。
毎日英語に囲まれて生活をするなかで、自然と訓練されているからです。
また、英語は他の学問とは違い、極めても物事の本質が理解できたり、見識が広まったりはしません。
単に英語を使う人たちとの意思疎通が便利になるだけです。
例えば、英語はダメだけど科学に詳しい人は、英語の難しい科学論文でも、日本語版なら内容が理解できます。
逆に英語はペラペラでも科学の知識がなければ、その論文は、英語版でも日本語版でも理解できません。
英語はただのコミュニケーションのツールに過ぎないのです。
上達の方法はたった1つ。
時間をかけて、読む・聞く・話す・書く訓練をするだけです。
スポーツや音楽の練習と同じですね。
しかも、どうやら語学は、スポーツや音楽ほど才能も関係ないようです。
練習すれば誰でも上達するし、練習しなければいくら頭が良くても上達しません。
2、英語ペラペラへの道は険しい
言語とは、ウィンドウズとかアンドロイドなど、パソコンのOSのようなものだと思います。
1台のパソコンやスマホに一種類のOSしかインストールされていないように、ほとんどの人の脳にも、一種類の言語しかインストールされていません。
母国語は、生まれたときから年月をかけて少しずつ、子供の脳にインストールされていきます。
私の子育ての経験から言って、だいたい小学3年くらいで脳へ日本語OSのインストールは完了し、文法も発音も完璧、自由自在に話せるようになる印象です。
脳内に日本語の回路が完全にできあがるのです。
英語を勉強するということは、脳内に日本語OSのほかにもう1つ別の英語OSをインストールするようなもの。
そもそも無理があるうえに、日本語と英語は違い過ぎます。
英語圏の人にとって、最も習得困難な言語は日本語だとか・・
西欧の言語はお互いに共通している点も多く、フランス人もドイツ人も日本人ほど英語での苦労はないとのこと。
英語は、日本人にとりわけ厳しいのです。
例えば、日本語と英語は全くと言っていいほど、語順が反対です。
そのため、日本人は脳内で一度日本語で考えてから、英語に置き換えて話し始めるのですが、それじゃコミュニケーションの道具としては遅すぎ。
ネイティブと、スタッフとかビジネスパートナーとかの関係になるのは無理でしょう。
日本語脳の私達が、自分の言いたいことを瞬時に英語の語順で話せるようになるには、相当の慣れと訓練が必要です。
更に何千語もの語彙力も必要ですね。
そのうえ、リスニングも辛いです。
私は英語のLとRの聞き分けができません。
(BとVも、SとTHも、SとSHも、lock鍵とluck幸運も・・・)
英語ネイティブには、LとRは全く違う音に聞こえるそうです。
(もちろん、他のカッコ内のやつも・・・)
一方、日本語脳の私達は人が話す発声音を、五十音表にあるいずれかの音として認識します。
Lの音もRの音も、私達は「ら行」の音として日本語脳がキャッチするので、聞き分けができないのです。
同様の例は、反対のケースとして外国の方にも発生します。
先日ユーチューブで、ドイツの方が「旅館(りょかん)」と「羊羮(ようかん)」が同じに聞こえる、と言っているのを見ました。
ドイツ語にはRY(りゃ、りゅ、りょ)の音がないからだそうです。
英語ネイティブも、同じだと聞いたことがあります。
日本人の私には、旅館と羊羮が同じに聞こえるって、信じられません。
アメリカ人もきっと思っているでしょう。
「lightとrightが同じに聞こえるなんて、信じられない。」
It's incredible to hear the pronunciations of light and right identically.
(添削願います。)
こんな例は、日本語・英語間で他にも山ほどあります。
これほどまでに、幼少期にインストールされた日本語OSは強力で、他国の言葉を容易に受け入れたりはしないのです。
更に実際の日常会話のシーンは、もう絶望的です。
外国の方が日本語を勉強する例で考えてみましょう。
日本語学習テキストには、例えば
「私は昨日コストコに行って、食品をたくさん買いました。」と書いていても、日常会話で実際にこんな話し方をする日本人はいません。
「きのうコストコ行ってさー、食品、なんかー、すごい買ったんだよね~」のように、もっとカジュアルに話します。
日本語を勉強する外国の方にとって、「行ってさー」とか「なんかー、すごい」とか「だよね~」などの表現は、???となるでしょう。
英語ネイティブの英語も同じです。
日常会話にて、早口・テキストにないカジュアルな話し方をされると、簡単な内容でも、私には太刀打ちできません。
英語ができるレベルとして、「日常会話くらいは・・」的な表現がありますが、ネイティブの日常会話が理解できれば、それはかなりの上級レベルです。
この様に語学の習得とは、とても険しい山なのです。
3、小学校と高校の英語教育は意味がない
以上を踏まえ、私は日本の学校で行っている英語教育にあまり意味がないと思っています。
よく言われる「話す練習が足りないから」という理由からではありません。
理由は、英語の授業コマ数が全然足りないから。
そして、学校教育で獲得したレベルの英語ができても、役に立たないからです。
前章で述べたとおり、英語マスターの道は険しく、長い長い訓練が必要です。
学校でひとコマ50分の授業を週4~5コマ程度やったところで、コミュニケーションが取れるレベルには決してなりません。
英語の新聞も小説も読めようにはならないと思います。
高校3年間、全部が英語の授業ならなんとかいけそうですが、そんなことはもちろんできません。
勉強しなければならないことは、他にもたくさんあります。
小学生に英語はもっと無意味です。
週に1回、ネイティブの先生が来て、
Hello everyone! How are you? What's your name?
などとやったところで、英語が話せるようにはなりません。
せいぜい、何人かの一人がそれをきっかけに、英語に興味を持つ程度でしょう。
実質的な英語トレーニング効果はありません。
小学生が英語をマスターするためには、外国で1年間、英語まみれの生活をするしかないでしょう。
私は学生のとき、そこそこ学校の勉強した方だと思います。
そのなかで、国語、数学、社会、理科は勉強したことが、仕事に活かされたり、世の中の出来事の理解に役立ったりしています。
でも、英語の知識が自分の人生に役に立ったという感じは全くしません。
体育と美術と音楽も同じです。
どれもせいぜい趣味の範囲。生きていくための糧にはなりえません。
それでも唯一、中学で教わる英語は意味があるように思います。
理由は、実際にネイティブとコミュニケーションを取るために、文法に関してだけは、中学英語で十分と感じるからです。
中学の文法をしっかりマスターして、語彙を増やしていけは、少なくとも普通の英文は読めます。(新聞とか雑誌とか小説とか)
また、発音の訓練は必要ですが、中学英語の文法で言いたいことも大抵は話せると思います。
ネイティブは文法など知らなくても言葉をマスターしますが、すでに日本語脳になった私たちは、まず文法をマスターしてから語彙を増やすほうが早道だと思います。
いずれにしても、日本の英語教育は学習量が少なすぎて、よほどの人でないと習得できません。
そもそも英語ができなくても日本国内では全然困りません。
英語で身を立てたい、ワールドワイドに活躍したいという志の人だけが、語学習得の険しい山を登ればよいのです。
あとの日本人は、私のように英語の練習をすること自体が楽しければ、自分のペースでまったりやるか、あるいは英語と関わらない人生を送るで良いと思います。
日本語と英語は違い過ぎます。
学校教育だけで英語ができるようには、絶対になりません。
カタコトで挨拶程度ができるようになっても、人生になんのメリットもありません。
できないことはできないと割り切って、学校での英語教育のウエイトはもっと下げていいと思います。
国語、数学、理科、社会に力を注ぐほうがよほど国益にかないます。
英語さえできれば国際的な人材になれる訳でもないし、日本経済が世界を席巻していたかつての時代も、日本人のほとんどは英語なんて出来なかったのですから。
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