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通勤電車のセレンディピティ

イヤホンで音楽を聴きながら外出していると、時折、心を見透かされたようにぴったりの曲が流れることがある。

ちょうどゼロ年代を学生として過ごしたわたしはたぶん、データで音楽を聴き始めた最初の方の世代だと思う。高校の入学祝いを母に買ってもらうとき、iPodかベースかで散々悩んで、iPodにした。実家から高校が遠くて、片道1時間半は電車に乗らなければならなかったからだ。確か15GBのモデルだったと思うけれど、5つ上の兄の持っていた音楽をぱんぱんに詰めてもらって、大きなヘッドホンで耳を塞いで、毎日飽きもせずに聴き漁っていた。

あの時、もしベースを選んでいたらどうなっていただろうと思わなくもないけれど(そういえばフルカワミキさんのポジションに憧れていたんだった)、おかげで長い通学時間も退屈せずに済んだ。当時はまっていた遊びが、iPodに入っている全曲のリストからランダムで1曲を選び、そのままシャッフルで聴き続けることだった。

きっと、上の世代の人たちがラジオで経験していたような感覚だったのだろう。その日の運勢を占うように、次に何が来るか分からない偶然を楽しんでいた。朝からとんでもないハードコアな曲が流れることもあり、そのミスマッチに思わず吹き出しそうになったりした。

しかし、そんなプライベートなDJは時に、本当はぜんぶ必然だったんじゃないかと思うくらい、その瞬間の情景や気分にぴったりの曲を流してくれることがある。快速電車の窓の外を流れ落ちる景色と耳元の音楽が見事にシンクロして、自分だけのミュージックビデオが突然、目の前に現れる。

音楽はマジックを呼ぶ、とfishmansは唄っているけれど、それはこういうことなのかもしれないと思った。家と学校とバイト先と、あとは電車の中と。郊外の女子高生の世界はとても窮屈だったけれど、音楽を聴いているときだけは、どこにだって行けるような気がした。

大学を卒業して就職し、ようやく実家を出て、電車に乗る時間が少なくなったのに比例して、音楽を聴く時間も少なくなった。iPodもいつのまにか使わなくなり、iPhoneとApple Musicでじゅうぶんになった。でも、今でもたまに、ご褒美のような偶然が起こることがある。例えば平日の夜、残業上がりのぼんやりした頭を抱えながら電車に乗っているとき。ねえDJ、夫や仲良しの先輩からのメッセージに励まされて、なんとか吊り革に掴まっているときにキリンジのDrifterを流されたら、うっかり泣いてしまうよ。

大人になっても、音楽はマジックを呼ぶよと、あの頃のわたしに伝えたら喜んでくれるだろうか。

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