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変わっても変わらない

15才だった愛犬が旅立って、今日でちょうど一年になる。
昨年の6月初旬に急に容態が悪くなって、丸3週間で虹の橋を駆け登っていった。
無我夢中で看病をしていたその数週間を、今年の6月は振り返るように感じている。
特に昨晩は、刻々と過ぎていく時間の流れに、愛犬とのお別れが近づいてくる感覚をまるで今のように重ね、胸が苦しかった。

眠りにつく前に、愛犬に沢山の感謝を伝えた。
そして、今どんな風に過ごしているのか、もしできれば夢の中で教えてほしいとお願いした。
お願いしたりしていいのかなとふと思ったけれど、その判断も含めて天に丸投げすることにした。

夜中に、私は自分の右手が何か温かく柔らかいふさふさしたものの上に乗っかっているのに気づいて、目が覚めた。
何だろう?と手の下にあるものを見ると、愛犬の手だった。
まるで、私が愛犬の手の上にお手をしているような感じ。
それまでぼんやりとしていた意識が、え!っと即座に鋭敏になり、何度も愛犬の手を握り、その感触を確かめた。
知っている、馴染みの感触…
愛犬の全貌は捉えられないけれど、手だけがはっきりと感じられた。

ふと愛犬は、今どんな風に過ごしているのだろうと意識したその時、
とても静かで穏やかな境地が感じられた。
それは、嬉しそうに跳ね回っているような境地ではなく、
まるで動きのない、だけれどどこまでも永遠に続く安寧の境地のようだった。
私は、心の底から安心を感じ、これが「安心」というものなのかと思った瞬間に、目が覚めた。

夢だった。
だけれど、右手に感じた愛犬の手の感触は鮮明に残ったままだった。
そして、寝る前に感じていた胸苦しさはすっかり無くなっていた。

今、こうして書いておこうと文字に起こしながら、
この文章を以前書いたことがある、すなわちこの体験をもうすでにしていたことがあるというような不思議な既視感すら感じている。

世界は不思議に満ちている。
そしてその不思議は愛と同義なのだろう。










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