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庭仕事

ジャスミンの花がいい香りを放っている。



最初は濃い紫色の花が、薄紫を経て次第に真っ白になっていくその色のグラデーションが、とても美しい。
それに、ジャスミンのように毎年決まった頃に咲く花は、
一期一会の美しさと共に、
これまで咲いてきたその時々の全ても、
一緒に運んできてくれているような不思議がある。



どこかあやふやで、
捉えどころのない自分自身だったり人生だったりの何かが、
毎年同じ頃に同じ所に咲いてくれる花に気づくふとした瞬間、
不意を突かれるように映し出されることがあったりする。

それは、ある時のありありとした情景だったり、ある時の情感だったり、
温感だったりと色々だけれど、
そこに一瞬垣間見れるもの、感じられてくるものの中に、
自分自身だったり人生の確かにあった何かが映し出され、
それが色濃く感じられてきたりするから、不思議だ。

そういう時、生かされているんだな。この命を….。としみじみ実感する。



最近は、あっという間に色んな草花が伸びてきて、
数日そのままにしておくと、
地面はあっという間にそんな草花に覆われてしまう。

なので、暇を見つけてはちょっとずつ手入れをしている。

何が正解かは分からないけれど、
私なりの緩めの手加減で、
それで抜ける草花、短く切れる草花に任せて、
まるで散髪する美容師さんにでもなったように、土を触っている。


(手折ってしまったホタルブクロ。咲いてくれるかなと思いながら…)


先日、そんな庭仕事の最中に、
誤って一輪のホタルブクロの枝先を手折ってしまった。

興味深いなと思ったのは、
その瞬間は、自分は手入れにフォーカスしているので、
手折ってしまったその一輪も流れ作業のように淘汰することに、
脳は違和感を感じていない。ということに気づいたことだ。

しかし、気づきがやってくると、選択が変わる。
変わるというか、その気づきの領域にしっくり合うものが選択される。
ひとしきり庭仕事を終えたあと、一輪挿しに飾った。


(日々日々の変化を楽しませてくれて、ありがとう。選択は奇跡の連続で愛おしい。)


もしかすると膨大なことが、違和感を感じず、気づき得ない中で過ぎているのかもしれない。
そんな中で気づく何かに出逢うときは、とても大切な瞬間なのだと思う。

沢山のことが気づきに至らず、見落とされているだろう。
以前は、それが怖かったり心配だったり、苦しいときもあった。
だけれど、本当に本当に大切なもの、大切なことはおそらく、それに気づくまでいつでもすぐ傍で、佇んでくれているのだろう。

宇宙には、そんな優しさが満ちているような気がする。
だからどこまでも安心だ。









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