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山登り再び

このところ、歩くことが気持ちよくて、
日々日々、近所を散歩する習慣が続いている。

そのうえ、山歩きするのも楽しくなり。
先日もまた、相方さんの馴染みの山の一つを案内してもらった。


(急こう配の道が延々と続く)


近道と巻道があるけれど、
どっちでもいいよと言われると、
なぜか近道を選びたくなる不思議。


(途中から石だらけの道に)


確かに近道の方が険しいんだけれど、
巻道も楽ではないわけで…。

なんとなく楽ではない道をダラダラと行くよりは、
きっぱりと険しい道です!と主張ある道を行く方が、
気が張るんですよね。


(丸太のようなものが組んであるけれど、下は深い崖。おそるおそる渡るけれど、泣きそうになった。)


一挙手一投足に気を付けないと、
怪我や命に関わることが、真っ直ぐ伝わってきて、
自然に集中できる。

途中、巻道も何度か選択してみたけれど、
緊張感が緩むのか、
すぐに考え事が浮かんできたりして、
全然集中度が違うんですよね。


(ノルディックを差し出す石と石の僅かな隙間を探しながら、心折れそうに。)


それにしても、今回登った山は
大小様々な石がゴロゴロしていて、
ものすごく歩きにくかった…

「石」と「意思」は同じような音だったりする面白さがあるけれど、
人生の道も、自分の「意思」というのか、観念があまり多くあると、
歩みにくいだろうなということを見せられたような気がした。



途中、急にゴーっと轟音が響いてきた。
と同時に、物凄い水の流れが、目の当たりに広がった。

山の中の不思議は、だんだんそうなるというより、
いきなり聴こえたり、いきなり見えたり、いきなり天候が変わったりすること。

この水流の中に入ったら、ひとたまりもなく呑み込まれてしまうのだろう…
初めて見る光景にしばらく見入った。


(どんなことを思いながら暮らしていたのかな)


山頂まで後少しのところまで来た時に、
集落跡地のような所を通った。
家屋はもう無くなり、樹が生い茂っていたけれど、
何かを煮炊きしていたかまどのようなものなどの跡が
そこここにあった。

当時の生活の息吹が、ほんのりと伝わってきた。
自然の中に人の営みを感じると、不思議な安心感が湧いてくる。
逆に、人の営みの中に自然を感じるときも同じ…

自然と人は、相互に呼応し合ってこの地球に存在している。
どう呼応し合うかも完全に委ねられて…



一時的な疲労はくるけれど、それもどこか爽快で、
身体の中は新鮮な氣がみなぎり、心も澄んでくる。

海もいいけれど、山もいい…

しばらく山歩きを楽しむつもりです。


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