グッバイ 国道二号線
この旅にはいくつかの、私なりの理由がある。そのうちのひとつが、「グッバイ 国道二号線」だ。
今から考えてみれば、大学に入学した頃の私は、すでに私の可能性を「こんなもんだろ」と低く見積もって、あきらめていたように思う。夢を追って傷つくのも怖かったし、自分の実力を思い知って愕然とする場面に出会うことも避けていた。現状がリアルでこれ以上の夢をいだかないようにするという意味で、「ささやかなしあわせ」を大切にしたいと思い、日々の小さなことを喜んだり愉しんだりしていたのだと思う。
その頃出会って私の心をつかんで離さなかった世界があって、それは今でも大切な世界で。大切にするあまり、今を生きることへの足枷になっているんじゃないか、そんな風にもチラリ思える。だからこそ、そんなものたちへの気持ちをを、昇華するために車を走らせてるんじゃないかと思えてきたのでした。
僕のものさしでは、多分君を測る事はできなかったんだろう
人と人とが分かり合うなんて、ありえないと思ってた僕を120°ぐらい変えてしまった君は、僕の心の本当に偉人でした
国道二号線の、風景はあの頃と同じで
僕は久々にここに来たら、なんかホッとしてしまった
君よ幸せに 二号線の道のりのように長い人生を
「国道二号線」をくちづさみながら、星ヶ丘へ向かう。こんなに20代がプレイバックするシチュエーションはあるだろうか。完璧すぎて可笑しい。
そう、私はわたしの青春を終わらせているんだ。こうやって車を走らせ、憧れを現実にすることで。
初めて訪れた場所なのに、懐かしくて胸がしめつけられる。それは、ぎゅっとスポンジをしぼったときのように、涙腺をゆるませる。つくづく、風景をどう見るかは、感情に支配されているのだなと思う。だってきっと、その場所は淡々といつもそこに存在しているだけなんだもの。
アルバイトへ向かう早朝の山手通り、大好きだった街の本屋さんで手にした数々の本や雑誌、ライブ会場、長崎の夜、チョコレートのクロワッサン、冬の電話、エッグバッグ、横浜、桜並木、イラストレーション、ワンストラップシューズ。記憶の断片たちが、浮かんでは消える。
わたしのひとつの時代に、色をくれた風景たち。
ありがとう。
いい加減、わたしは次の時代を生きるよ。
グッバイ、わたしの青春。
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