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揺らぎをうけとめる

今わたくし、絶賛休憩中です。
ぼちぼち撮影したり、事務作業したりはするけれど、毎日がんがんに動くようなことはしていません。

それは、暑くなったり寒くなったりの気候の変化に身体がついていっていないところもあり、また、がんがんに動きたかった先月から一転、ゆったりと過ごしたい気持ちがうまれたからです。

カリグラフィーをしたり、畑に野菜や花のタネを蒔いたり。お昼寝したり、散歩したり。友だちと会ってごはんを食べたり。好きなアーティストの個展に行って心躍らせたり、クラフトフェア に行って美しい作品に触れたりと、自分の中をとくとくと満たすような時間を過ごしています。

そんな毎日を送っていたら、今日、ある文章に出会いました。オフグリッドな暮らしを実践されている、サトウチカさんのブログです。電力から始まり、婚姻オフグリッド、そして家ナシ移動生活。その、固定観念を外していく考え方に惹かれて、一年くらい前からブログを楽しみにしている方です。

新しい投稿に書いてあったのはこんなこと。

ずっと同じことをし続けること、ずっとがんばり続けること、ずっと同じエネルギーやリズムを固持すること、それらは固定・一定となって揺らぎがなくなってしまいます。変わらないことや変化しないことは、自然界には存在せず、とても不自然なこと。昼があれば夜がある。暑い夏があれば寒い冬がある。元気な日もあれば疲れている日もある。生もあれば死もある。緩急やアップダウンや動静があることが自然の摂理というものです。 花を美しいと感じるのは、つぼみをつけ、咲き、しぼみ、散るから。その揺らぎや動きの中にある儚さに自然の美が宿っているわけで、ずっと咲いているものは造花であってフェイクなもの。それは人間も同じで、ずっとがんばって咲こうとしたらウソモノの自分に近づいていくことになってしまいます。だから、一日のあいだでも、一週間のあいだでも、一ヶ月のあいだでも、一年のあいだでも、身体や心や考えやあらゆるものが変化することを歓迎するようにして、自分自身を自然の一部であるようにしていたいのです。

これ、ああ、ほんと、そうだなあ。って思いました。今私が休憩しているのも、そんなことからきています。

特に女性は、月の中でもリズムがある。
身体の感覚、心の感覚に素直にいたいと思います。また、おやすみしたいというサインを受け取った時、すぐに対処できるように、環境を整えていきたいなとも考えています。

どんどこ動きたいときは動いて。
ゆったり休みたいときは休んで。
どちらもとことん、感覚に素直に。


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