見出し画像

自分が楽しむことを許可しよう

娘を託児所に預けはじめたとき、
「ごめんね。お仕事行かなきゃいけないの。」
と言っていました。
保育施設の建物を出ても響き渡る娘の泣き声を聞きながら、胸が張りさける思いでいっぱいで、泣き声や娘に対する申し訳ないという気持ちを振り切るように、駅まで早足で向かってました。

娘を預けることに罪悪感を持っていたんだと思います。私とくっついていたい小さな子を他人に託して、私の楽しみである仕事にいくことに。だから仕事を義務みたいに装っていたんですね。

でも、幼い娘を預けて自分が楽しむことって、いけないことなのかな?
男性は子どもがいても、誰の許可がなくても飲み会に行ったり残業したり出張したり、以前の生活を続けることができます。
でも、女性は?

これ、社会的な風潮のように思っていたのだけれど、実際は自分がどうしたいか、自分が自分をどう扱うのか。そこの比重がとっても大きいんだと、最近になってようやく気がつきました。

つまり私は、わたし自身が楽しむことを許可していませんでした。他でもない、自分が。子育て中のママって、そういう方多いんじゃないかな?本当は、仕事に「行かなきゃ行けない」じゃなくて「行きたい」だけなのに。

そして、最近は。
「お仕事楽しんでくるね。みーちゃんも先生と遊びに行く?」
「うん!ぶろっくしたいー!」
私が仕事を楽しんでいる間、娘もめいっぱい遊ぶことを楽しんでいるようです。

私の両親は、仕事を楽しんでいます。暮らしの中に働くことが自然に存在しています。その姿を見て育ったので、「仕事=つらいもの」という認識がありません。働くことって(報酬を得る得ないに関わらず。)、人生の大部分を占めること。その長い時間を苦しいと思って暮らすより、幸せを感じて暮らしたい。娘もそうであったらいいな。それにはきっと、自分が楽しんでいることがいちばん。(だから、逆に働きたくない方は、働かないという選択をすればいいんですよね!だってそれじゃ生活が…という議論はまたの機会に。)

子育て中で、自由を感じられず苦しんでいる方。罪悪感を持つのは、自分で自分を縛っているだけ。心がうきうきすることに時間を使いましょ。

いつも読んでくださって、ありがとうございます! いただいたサポートは、新しい働きかた&暮らしかたを模索する実験に使います。