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自分を見くびることなく、怖いながらも歩いていくこと

久しぶりにnoteを開きました。
この夏はなんだかやる気もでず、どちらかというと疲れていました。

でも、ようやく、長いトンネルから出る時がくるのかもしれません。
(このトンネルは昨日今日のものじゃなく、もう相当に熟成されています)

そんな風に思えたのは、尊敬するライターであり撮影でもお世話になっている一田憲子さんのwebマガジン「外の音、内の香」にあった記事を読んで、泣くことができたからです。

私の場合は、結婚して3年で離婚してしまったからエラそうなことは言えないけれど、どうして失敗したかと、今考えてみたら、それは自分の人生を生きる前に、結婚に逃げ込んでしまったからだと思う。
若い頃は、早く「上がって」落ち着きたい、ラクをしたいと思っていたけれど、私は今50歳を過ぎて、人生の後半が見えるようになったら、途端に「上がっちゃった」ら面白くないんだ、って思い始めました。先が見えなくて、どこを歩けばいいかわからなくて、不安だからこそ、歩き出すために、自分の力を総動員する。そのジタバタする過程こそ、最高の人生の面白さなんだよね。もうしばらく、私はジタバタしたいと思っています。

私も自分の人生を生きる前に、結婚に逃げ込んでしまったクチです。

それはどうしてだろうと思うと…。
最近考えるのだけど、私は本当に私のことを信頼していなかったからなんだと思う。自分のチカラだけで人生を生き抜くなんてこと無理!って思ってたし、だから誰かに甘えていたかった。私には、私の人生を生きるチカラがないなんて思ってたんです。自分を見くびっていたんですよね。

昨日あさぎさんのオンライン読書会に参加させていただいたのですが、
「自分を信頼しているかどうか」と「人を信頼しているかどうか」はイコールだとおっしゃってました。

私は、この方程式通り、自分を信頼していないのと同じように、人のことも信頼してなかったんです。そんなこと全然気がついていなかったけど!(ここでいう人を信頼していないというのは、ジャッジしていたということ。こんなことしたら嫌われるんじゃないかとか考えるのは、相手のことを信頼していないから。みんな本当はとっても懐が深いのに、自分で勝手に決めつけてしまってる。)

人を信頼して、もっと心を開いていれば。見張るのをやめて、ただ身近な人の幸せを願っていれば。大きく見せたり、「大丈夫」なんて口癖を使い続けずに、等身大の自分を見せることができていれば。何か違っていたのかもしれません。

でもきっと、これは、この世界で私が身をもって勉強したいことの一つなんだと思います。ただただ、怖かっただけなんだよね、私。これからしばらくは「人を信頼する」をキーワードに、安心できる世界を築いていきたいと思っています。(昔は悩みを友達に相談できなかった私が、最近では少しずつ開示できるようになってきました。)

そうやって、自分のチカラを信じようとしたり、人を信頼するために意識してみたり、怖くなったり、奮い立たせたり。ジタバタしてみることが、人生の醍醐味なのかもしれません。人生の先輩である一田さんが、「もうしばらく、私はジタバタしたいと思っています。」と書いていること。すごく勇気付けられました。そのうち嫌が応にも「ジタバタしたい」と思う日がやってくるということなのかなって。

後々このジタバタも愛すべき時間だと懐かしく思う日がくるなら。不安でも、歩いて、先が見えなくても、ジタバタしてることすら愛しく思えたら。
今はチカラの限りジタバタしてていいんだよなって思えたんです。

自分を見くびることなく、怖いながらも歩いていきたいと思っています。
そうしたら、感謝しかないね。


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2018年9月12日(水)

これまで蒔いた種が、
実りのときを迎えていく。
新月がふくらみ満ちていくように、
満ちる私を味わおう。

さあ収穫のとき。

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