性と命について アウトプット

ツイッターでタイツメーカーATSUGIやタカラトミーの公式が炎上している件、類似する案件が度々浮上することについて、毎回登場する自分の中のモヤモヤがなんなのか、書きながら考えてみたいと思います。

「性的なこと」を茶化すこと・笑いにすること

これを不快に感じる人は多いのではないでしょうか。私もこういう場面を見たり聞いたりするとき、基本的にとっても不快に思います。何故か。

「性とは、とても大切なことだから」

今度この本を読んで勉強しようと思いますが、性とは命と関わる大切なことです。命は性から始まります。性は、自分の命を守り、子どもの命を守ることと深く関わっています。

自分にとって大事なことを、茶化したり、笑いにしたりされると、大変不快になります。

不快になるということは、生体反応的に言うと、身体(命)の危険を感じているということ。

茶化したり、笑いにする、というのは、される側からすると、見下されていたり、軽視されているような気持ちになるわけです。

性とは命と関わる大切なことで、自分にとって大事なことを茶化したり、笑いにしたり、そういうことをされると、見下されていたり、軽視されているような気持ちになって、身体(命)の危険を感じる=不快(という感情)になるということなんですね。


「性的な視線」が気持ち悪い

自分に向けられるものでないとしても、これが気持ち悪いと感じるのは、↑の理由とだいたい同じなのではないでしょうか。

自身の子孫を残すために、性的魅力を求め、性的魅力を持つ対象に好意を向けるわけですが、そういう目から自身の身体を守るのも、自分を守るため・自身の子孫を残すためなのです。

男性に比べて女性がより敏感に感じるのもよくわかります。

性犯罪やセクハラなどの悪質なことに限ったことではなく、そのような視線自体が不快でたまらないのは、やはりそれだけで身体に危険を感じるからです。

黒板をひっかく「キーーーー」音が不快なのと同じです。
(祖先の危険を知らせる鳴き声に似てるから)

子どもが苦い食べ物を嫌いなのと同じです。
(腐敗した食べ物など有害なものと似ているから)

つまり必ずしも危険ではないが、危険を感じる信号なんです。

結局どうしたらいいか

男VS女だとか、フェミVS萌え絵だとか、TPOとか表現の自由とか、煽ってるとか、炎上商法だとか、何かと論争が絶えません。不快に思わない人は不快に思う人の気持ちがわからないので、基準を設けて規制しない限りこういう案件は消えることはないでしょう。

基準を設けるのは、その不快レベルや不快に思う人の割合、どこからが、とか、これはどうか、とか、難しい。

私は、不快なら不快だと声をあげるべきだし、表現の自由は公共の福祉に反しない限り認められるべきだし、PRはしっかり戦略をもって行った方が良い結果になると思います。



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