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言葉を知っているということ、言葉と感情がつながっているということ


5年ほど前からSNSをフォローしていて、とても気になっている芸人さんがいます。その方は、社会学を大学・大学院で研究されていた方で、"芸人さんであること"がきっかけというよりむしろ、"社会に対するまなざしに共感する"という理由でフォローしています。

今日唐突に、なぜかふと"その芸人さんにいつかお会いして、お話ししてみたいなぁ"と思いました。私はけっこうびびりな性格なので、実際に会いに行くことはしないかもしれません。でも、お会いしてお話ししたい、と思った理由を残しておきたくて、なんとなくnoteに書いてみます。

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"社会や物事に対して客観的であろうとする自分自身を客観視している"

"言葉選びが丁寧である"

たぶん私は、彼のそんなところが好きなのだなと思います。私自身もそうありたいな、という思いがあるからなのでしょうか。憧れに近い気持ちがあるように思います。

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客観的であること、の正確な定義はよく知らないのですが、私は"自分が立っている場所を理解していること"だと解釈しています。他者から見た自分を想像できるということだけでなく、社会の構造の中でどの場所からどの場所に対してまなざしを向けているのかを分かっている、ということです。※"社会の構造"なんてものは私には輪郭がぼやけて見えてよく分からないのですが、垂直方向ではなく水平方向に並列した集合体が複雑に絡み合っているのではないかなぁと予想しています。

私もそんな視点がほしい。そのためには社会を知らないと。もっと人間を知らないと。

閉じこもって狭い世界に生きることに快適さを感じる性格の私にはなかなかハードルが高く感じますが、たまにはコンフォートゾーンの一歩外(先)を目指してみた方が良いのではと思わざるを得ないですね。

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それから、言葉選びの丁寧さについては、とても優しさを感じています。

言葉の解釈や受け取り方を相手に依存しないこと、自分の意図が誤って伝わらないよう配慮することって、対面のコミュニケーションでも難しいことだと思います。ましてや短文のSNSでは、かなり意図的に言葉を選ばないといけないのでは。※それだけ神経を使って言葉を選んでも伝わらないこともある、ということをこのコロナ禍でかなり感じましたが。。

あたりまえの様に他者に配慮するその在り方が素敵だなぁと思います。

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そんなこんなで、気が合うかどうかは分からないけど、お会いできたら私は好きになっちゃうタイプの方なのかなぁと想像を膨らませながら過ごしています。まぁ、私の勝手な思い込みかもしれないですが。会ってみたいなぁ。

この方のSNSを見ていると、"言葉を知っていること""言葉と感情が繋がっていること"ってとても重要だなと感じます。

言葉を知っているからこそ、物事をより詳細に認識して捉えることができる。言葉と感情が繋がっているからこそ、自分の考えや気持ちを伝えたいままの形で伝わるように配慮できる。

同じ社会で、きっと違う世界を見ている方なのだと思います。

端的に羨ましい。目指していきたいな。




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