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"差別"と"差別意識"は明確に分けて考えたほうが健全だと思う


"これは冗談ですが、優れた人の遺伝子は管理したら良いと思うのです"という呟きに対する"この意見の何が悪いの?"という声。 →即ち、誰かが決めた"優れた人・普通の人"の尊厳や"優れてない人"の命は守られない構造になるけど良いのでしょうか?

"ハイヒールを履かない選択肢を増やしませんか?"というムーブメントに対する"ハイヒールを履きたい人からハイヒールを奪うな!"という声。 →履きたい人は引続き履けばいいじゃん、それも必要だよねって話ですよ

"あらゆる局面でマイノリティーとなる人々が生きやすい世の中を作りたい!"という意見に"片方ばかりを甘やかすな、逆差別じゃないのか!"と反対する声。 →既に不均衡な状態なのに"物理的に同じ扱いをすること"を平等とは呼ばないのでは


わたし自身の感覚からはかなりかけ離れた意見が世の中にはたくさん溢れているのだなということを日々感じます。

個人的には賛同しがたいものが多く、また、賛同する人が沢山いること自体も受け入れ難く、少しナーバスな気持ちです。(受け入れ難いばかりに、色々と反対意見を書いてしまいました。。)

そんな気持ちのままではありますが、誰かが自身の眼差しについて考えるきっかけやヒントになればと思って書きます。言いたいことは下の3つです。


①差別はパワーバランスが不均衡な社会で起こる"構造"起因の問題

②差別意識は、誰しもの心の中にある自身の優位性を過大評価し他者を見下す考え方※構造差別による刷り込みもあるかも

③いずれも個人の尊厳を矮小化するもの。自分や周りの大切な人がきちんと1人の人間として扱われる社会であるために、自分の考え方は構造的な差別に加担していないか、差別意識に基づいて発言していないか、意識的に考える習慣を持って欲しい


書ききれないのでそれぞれ詳細は割愛します。

個人的には、差別意識を持たないのが理想的ではあるものの不可だと思っています。それに、そもそも人が内心何を思うかについて制限をする権利なんて誰も持ち合わせていません。

でも、自分自身の考えが差別意識に基づくか否かは判断できる人でありたいし、誰かの(社会の)差別意識に基づいて作られた構造によって搾取され続ける人を少しでも減らしたい。この考え方に共感してくれる人が1人でも増えてくれたら嬉しい。


差別に対して意識的でない人というのは、得てして"たまたま"マイノリティーとして扱われた経験が無い、もしくは少ない方なのかなと思います。でも、そんなの"たまたま"でしかありません。たまたま社会の中でマジョリティーと言われる属性に当てはまっているだけ。それは自分で選んだものではなく、本当にたまたまなのです。


どうか届いて。だれか1人でも多くの人に届いて。

そんなことを思いねむれない夜です。




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