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短文投稿の世界で物事が簡略化されていく

安倍首相が辞任を表明されましたね。個人的に政策に心から賛同することは少なかったように思いますが、長期間重責に耐え社会を引っ張ってくださったことに敬意を表明するとともに、どうかご自愛いただければと思っています。

もう昨日までの話題かと思うので若干今さらですが、SNSでは"病気の人を責めるべきではない"vs."政策や功績は批判の対象となってしかるべきだ"という構図がよく目に着いた気がします。vs.と書いてしまいましたが、正確には"責めるべきではない派"が"対象となってしかるべきだ派"を理解しようとしない/できない、という風にも見えますが。ほんとは"〜派"という言葉も適切じゃないような気がするので、思いついたら直します。また、"批判の対象になってしかるべき"というのは"非難/批判されて当然"という意味で書いたわけではありませんので、念のため記載しておきます。

この構図、起きてることは結構単純なのではと思っています。両者とも"病気になったことを責めるべきではない"という意見では同意するんですよね。では何が違うかというと、"その人がやったこと"と"その人自身"の価値や評価を同一と捉えるか、別物だと捉えるかだと思うんです。※そして、偏見ですがnoteユーザーの皆さんは後者だろうと思っています。すべての人の価値は同等ですし、そもそも誰かの価値をジャッジして良い人はいないはずですし、、前者のように捉えている方はとてもしんどいのではと思います。。。

話は戻りますが、短文投稿の世界だと"前提のずれ"を説明したり認識したり議論する機会が少ないのかなという気がします。また、"前提が違う/意見が異なる"人を敵だと捉え、世界を2つに分断して考えるような過激な方もいるのかなぁとも思っています。そんなに単純な世界ならむしろ生きやすいかもしれませんね。

上記は極端な例ですが、基本的には"分かりやすく""二項対立的な比較がある"ものが受けやすいのかなと思います。情報量の多い時代なので、受け取るものが多すぎて咀嚼する時間なんて無いという人もいるかもしれないのですが、世界の捉え方って生き方にも影響すると思うので、どうか皆さん、簡単な構図に世界を落とし込まないで、と思います。

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