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【小説】異世界に来てしまった中年男性の悲劇(8)

 斧寺さんが我更生(がさらき)小学校の受付に第11師団バッチを見せただけで、校長先生が駆けつけてきた。校長先生は何度も頭を下げると、すぐに亘達を校長室へと案内した。亘が訪ねた時とは明らかなる対応の差。やはり軍人というのはこの世界のヒエラルキーでも上位に位置する組織なのだろう。
 面白くない顔して亘はスリッパを履いた。
 音楽室から聞こえてくるピアニカとオルガン、子ども達の歌声。知っている歌もあれば知らない歌もある。と、いうことは、この世界は途中まで同じ歴史を辿り、どこかの分岐点で別世界になったのではないか? そんな憶測をしながら、どこか懐かしい廊下を歩く。ガラス棚には、数々のトロフィーや表彰状が飾られ、この学校の輝かしい歴史を感じることができる。

 校長室に入ると、客用のソファへ案内され、斧寺さんは、ソファの中央に座った。続いて亘も隣りに座る。

「今すぐ呼んできます」

 校長が教頭先生に小声で指示をすると、教頭はすぐに職員室を出て行った。7歳の亘を連れて来るつもりだ。
 学校全体は物々しい雰囲気に包まれていた。
「小1の古田間亘というやつが、なんかしたらしいぞ?」「1組の亘が何かやらかした」「斧寺の父ちゃんが、学校に不審者連れてきたってよ」
 噂が噂を呼び、ふざけたデマも飛び交う。

 そして、ついに39歳の亘の前に、まだ7歳の亘が現れた。担任に連れられ、特に緊張もしない様子で、むしろ非日常感を楽しんでいるようなワクワクした目をして校長室に入ってきた。

「古田間亘君です」

 担任が7歳の亘と共に頭を下げる。
なんだか背中が痒くなるような不思議な感覚だ。自分の子どもでもなく、親でもなく、同級生でも従兄弟でもない。正真正銘の自分に会えるなんてこと、これまでになかった。古いビデオや写真を見る時の、照れ臭さがある。

「はじめまして」

 斧寺さんも7歳の亘に返事をする。その時、校長室にもう一人、生徒がやってきた。

「お父さん」
「豊? お前を呼んだ覚えはないぞ」
「でも……」

 39歳の亘は思わず「ユタカ」と声を発してしまった。気持ちは時代を遡り、7歳に戻ったような奇妙な感覚だ。

「豊、教室に戻りなさい。父さんは仕事で来ているんだ。いいから、早く」

 何かあっては怖い、というように、斧寺さんは7歳の豊を急いで教室に戻した。

「今、古田間亘君のご両親も呼んでいるところです」

 と、校長先生は斧寺さんに告げた。

 (両親も来るのか!?なんて急展開!!)

 妙な緊張感が胃を軋ませる。目の前の7歳の亘は何も考えていないのか、ずっとニコニコしている。確かにこの頃の自分は、どうにでもなれ精神で生きていた記憶がある。あんまり気にしないタイプだった。

「……ええっと、古田間亘君と、この方とは、どのようなご関係で?」

 緊張の面持ちは校長先生も同じだ。亘は斧寺さんの目を気にしながら、黙っているのも忍びなくなり、7歳の亘を指差した。

「私なんです。彼は、32年前の、僕なんです」

 まあ、そんなこと言っても分かるはずがない。不審がられるだけだ。とはいえ、亘は今ここで、その事を証明しなくてはいけない。この世界の日本国のスパイでないことを知らしめないといけない。

「ええーっ? なーんでやねんねんころり」

 7歳の亘は何が面白いのか、突然、床に寝転がり、いびきをかく真似をした。と、次の瞬間、すぐに飛び起きて、

「ねかすな!」

 と、一人ツッコミを入れた。
 当然、誰も笑わなかった。32年後の本人でさえも。

「まあ、こんな感じでした。私も。あの、あれですね、発達障害みたいなやつで、ええ、はい、そうです、ADHDとか、そんなやつです」

 何故か分からないが非常に恥ずかしくなった。そしていつのまにか言い訳をしていた。すると、今度は7歳亘が大きく腕と足を振って39歳亘に近づくと、両膝を曲げて左手の指先を後頭部に、右手で39歳の亘を指さすと、

「おいおいおい、お前は一体、だれなんだー、だれなんだー、お前は一体、サラマンダー」

 そう言ってトカゲみたいなポーズをとると、

「ナーマンダー、ナーマンダー、ギャグがすべってナーマンダー!」

 と、今度は両手を合わせて坊主の真似をする。やはり誰も笑わなかった。こんなやつと同じ人物だと名乗ることが恥ずかしくなってきた。

(「やっぱり違いました」と言いたい…全力で、違います、と言いたい……)

「ええっと……この子、ワタル君が、あなたご自身ということでしょうか?」

 戸惑う校長先生に対して、39歳の亘の顔もひきつっていた。しかし、口角は崩さず、「はい」と何度もうなづいた。生き残る為だ。

「おーまえーの、あったまーに……うんこ!」

(つまんねーよ、やめろよ。もう7歳なんだろ? 子どもっぽ過ぎだろ!恥ずかしくねーのかよ? 周りを見ろよ、誰も笑ってなんかいねーんだよ、なあ、なあ、気づけよ昔の俺!32年前の俺!)

 7歳、亘の攻撃は続く。

「おっまえーの、あったまにー……うんこ!」

 自分で言ってゲラゲラ笑い転げている。なんとも寒い状況だ。ヒッヒッヒヒヒ、アーヒッヒヒ、と、両手で腹部をおさえ、苦しんでいるようにも見える。何度聞いても全く面白くない。

「失礼します!古田間さんのご両親、お連れしました」
 体育の先生とおもしき、ジャージ姿の先生が校長室の扉を開けた。

 2人の亘の目の前には、若き日の、父と母の姿があった。胸が詰まる。

「お母さん!お父さん!」

 気がつけば泣いていた。涙がぼろぼろ溢れて止まらない。異世界に迷い込んでから3日間、ずっと心細かった。不安しかない気持ちを歯を食いしばって我慢してきた。そんなところに若く、頼り甲斐のあった頃の父と母が、目の前に現れたのだ。子どもの頃、何度も助けてくれた父と母。2人がいなければ、亘は生きて来れなかった。
 こんなの絶対変だと思われる、おかしいことだよ。まだ30代半ばの両親に、39歳のおじさんが「父よ、母よ」と涙を流すなんて……。でも、それでも亘は、心のどこかで両親を信じていた。
 きっと2人なら、お母さんなら、お父さんなら、俺のことを亘だって解ってくれる、と……。
 だから、もう一度、昔のように呼んでみた。

「お母さん!お父さん!」

 しかしだ、亘は思い出した。両親のことを。両親はいつも亘の期待を裏切る。思ってほしいことを思ってもらえず、分かってほしいことを理解してくれない。それが、両親というものであることを……。

「誰ですか? この気持ち悪い人」

 唖然とした。実の母親に、気持ち悪い、と言われるとは……。いや、確かに普通に考えれば気持ち悪いだろうけど……でも、親子の愛が奇跡を起こすのではないんだろうか?

「それなんですが……まあ、なんと仰いますか、この方は、古田間亘さんと言って、未来の亘君だと……」

 校長先生は既に狼狽している。そこに、ずっと無口だった斧寺さんが立ち上がる。

「信じ難いことですがね、彼が、未来から来た人間だと名乗っているわけです。しかも、未来の古田間亘だと。もちろん私も怪しいと思うんですがね、確かに彼の身分証には、同名の表記があるわけなんですよ」

 そう言うと、斧寺は亘の身分証(運転免許証と健康保険証、社員証)を取り出して見えるようにテーブルに並べた。

「……緊急事態って、まさか、こんな冗談を言うため、ですか? わたしは仕事を途中で抜けてきたんですよ?」

 父親の短気は相変わらずだ。

「お父さん、よく見てよ。誕生日とか、血液型とか。これ、俺の身分証だよ」

「勝手に俺を父親呼ばりするな。馬鹿らしい。いい加減にしないか。仕事に戻りますよ」

 父親は呆れて校長室から出て行った。この男は信じないものはとことん信じない。科学で証明できないものはすべてオカルトだと言い張るタイプだ。夢もロマンも、ましてや人の心など分からない短気なクソ親父だった。思い出した。
 一方、母親の方は、身分証をまじまじと見ながら、間違い探しをしているみたいだ。

「1984年1月4日、まあここはあってるけどね、でも、『昭和59年』ってところが無知を物語っているわね。正確には天元46年。しかも、この人の住所、『東京』ってなってますけど、これって日本国の首都じゃない? たまたま同じ名前でもスパイにしては甘かったわね」

 これだ、思い出した、この勝ち誇ったような口調で人を見下すような言い方、これも母親の特徴だ。俺は何度も母親と口論を重ねてきた。顔を合わせ、口を開けばすぐに口論になる、それが母親だった。思い出した。
 正面で7歳の自分が、変顔の舐めくさった挑発攻撃を繰り返している。

 (なんて家族だ……)

 家族の絆とか愛の奇跡とか、そんな感動の再会を期待した俺が馬鹿だったよ!少し離れると現実を忘れ、つい美化してしまうものなんだな、記憶って……。

「どうするんだ?」

 斧寺さんのプレッシャーに39歳の亘は、困りきった顔で、だけど笑顔を保ったまま「本当なんです」と無駄に涙を流したまま訴えた。

「分かった、もう行こう」

 斧寺さんは学校側に深くお詫びをすると、39歳の亘を連れて校長室から出た。
 途中、廊下で若い父親と母親、そして7歳の自分にすれ違った。怪訝な顔でこちらを見る両親の前に、亘は立ち止まった。
 こうして見ると、自分より若い両親だ。
 自分も親になって苦労は分かる。特に、こんなクソガキだ。育てるのも人並み以上に苦労したに違いない。彼らはこれからも苦労するのだろう。社会環境も背負っている歴史も、自分の知っている世界とは違う。さらに苦労するかもしれない。話すと嫌なやつらだが、俺がここまで生きてこれたのは、間違いなく両親のおかげだ。

「お母さん、お父さん」

 39歳の亘は、34歳の父親と35歳の母親に向かって叫んだ。

「俺をここまで育ててくれて、ありがとうございました。7歳の俺をよろしくお願いします!!」

 亘は両親に深く頭を下げ、斧寺の隣りに戻る。
 自分の生まれた世界とは何もかもが違う。なのに、それでも同じ日に、同じ名前で生まれてきた異世界の自分。国の名前も年号の名前も違うのに、人の名前と生まれた年も変わっていないなんて、それこそ奇跡だ。
 父親と母親が出会わない可能性だってあったはずなのに、そんな並行世界だってあるだろうに。
 亘は、はじめて、この異世界冒険に奇跡を感じた。ここは単なる並行宇宙ではないのだろう。この世界は自分の世界と何か特別な繋がりがあるのかもしれない。

「あの、斧寺さん……」

「心配するな。俺にはお前がスパイだとは思えなくなった。きっと違うんだろう。日本国だって馬鹿じゃない。スパイにするにも人を選ぶ筈だ」

「なんか……そう言われるのも……」

「日本国のスパイなら多く見てきた。みんな優秀で勇敢だったよ。あの、日野智子みたいに。だから分かる、君はスパイじゃない」

 素直に喜べない亘の隣りで、斧寺は安心と優しさの混じった微笑みを浮かべていた。


続く

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