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映画『護れなかった者たちへ』を観ました。

『護れなかった者たちへ』という映画を観ました。

私は、茨城の北部出身で、実家にいるときに東日本大震災を経験しました。自分が被災したこともあったので、その年大学に入学するとともに、ボランティアサークルに入り、何度も東北に行った経験があります。その背景もあって、『護れなかった者たちへ』のテーマは観てみたいと思い、久しぶりに映画館に足を運んだのでした。

震災をテーマにした映画だろうな~くらいの前情報で行ったのですが、予想以上に深く、私にとっては重いテーマな気がしました。


私は、この映画を観て、改めて”正義とは何か?”を考えたのです。


震災が日常を壊し、そこにいた多くの方々が生きていくことに精一杯。一生懸命生きていくことをしていく中で、余裕があればもっとしたい、でも出来ない、という状況にきっと誰もが立たされていた。それでも、自分なりの正義を持って尽力していた。

そんな背景はある。でも、事実、普通は出来たことで、出来なかったこともある。もっと、余裕があれば、パワーがあれば、当たり前のように出来ていたのかもしれない。でも、その時は出来なかった。色んな背景はあろうとも、事実として、出来なかった。

”出来なかったこと”のせいで、苦しい思いをしてしまった人がいる。辛酸を嘗めた人を想う人がいる。その過酷な世界から見れば”出来なかったこと”は、イコール理不尽極まりないこと。「なぜ、しなかった?もっと、頑張らなかった?」憤りを感じる。それもまた正義。

その状況を総合的に見れば、何が正解とも言えない、むしろ正解など定義できない”正義”がぶつかってしまい、悲しい事実となってしまう。

本来、とても優しい心を持つ人たち。過酷な環境の中で、様々な理由・背景があって、その優しさが掛け違ってしまう。せっかく人を想う気持ちがあるのに、周りには伝わらないのが悔しい。


映画の一視聴者なのですが、まるで、その場所にいるかのような感覚で観てしまいました。


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