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父を看取って

諸行無常…というと大袈裟ですが、どんな状況も必ず変化していくことは止められず、いつかは家族とも別れが来ること、これはどう足掻いても避けられません。
だからこそ、今こうして一緒に食卓を囲めること、喧嘩もするけれどとりあえずそこにいるのが当たり前の日常が、当たり前ではないことを確認できて良かったと、心から思います。いつまで続くのかは誰にもわかりませんが、この何でもない時間は私自身はもちろん、いずれ娘にとっても思い出になり、糧となるのだろうか…そんなふうに思いを巡らす今日この頃です。

ー2020年7月30日の自分自身の記事「そして再びレッスン室へ」より

約一年ぶりにnoteに戻ってきました。
胃癌ステージⅣと診断された同居する父の闘病を、本人の了承のもと私自身の所感とともに綴っていましたが・・・上記の記事をアップした後、思っていたよりも状況の変化は早く訪れました。
2020年11月末にがんが脳転移していることが発覚し、緊急入院、一時退院、介護、再入院・・・そして2021年2月6日に息を引き取りました。
病気が発覚してから約一年でした。

悲しみが癒えることはありませんが、家族として出来るだけのことをし、穏やかな最期を迎えられたことは本当に良かったと思っています。
気持ちを整理しがてら、記録の続きを残しておこうと思います。


夏の間、父の体調はかなり良くなり、定期的な検査と化学療法を続けつつも体力増強を図って軽く運動をするまでになっていました。
闘病食が功を奏したと言いたいところですが、実際は運よく抗がん剤がよく効く体質だったというのが本当のところでしょう。
でも食事に気を遣うことは無意味ではないと信じ、「良い」といわれることは引き続き継続していました。
食事の準備は母と半々。ただ、朝食に限っては父自身が用意するように。
それまでの上げ膳据え膳の状態からするとえらく待遇が変わったかのように見えますが、本人も何を食べて良いのかしっかり勉強し、その中で好きなものをチョイスして楽しんでいたようです。
量は食べられませんが、質の良い食材を少しずつ薄味で。

そうこうしているうちに、父の体力はどんどん回復し、長時間の外出も難なくできるようになっていきました。
9月の半ばにはパークゴルフをしたり、自転車に乗って往復2時間はかかる距離まで出かけるように。以前よりスリムになったので服を買い替えに母とショッピングに行き、久しぶりの外食を楽しめるようにもなりました。

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写真は大学病院通院時(9月)。ステージ4のがん患者とは思えないほどシャキッと元気に歩いていました。
血液検査の結果も順調、CTの結果も良好なうえ、主治医も驚くほど体力もあるので、付き添いで行く私も毎度の診察が楽しみなくらいでした。
それでも、抗がん剤の投与にはかなり時間がかかるので、治療の日は1日仕事です。持って行ったお弁当を休憩室で広げて二人でランチを済ませたら、父は化学療法センターへ、私は院外で時間をつぶす・・・というパターンが続きました。
結果がとても良かったときは父も嬉しさのあまり、帰りに「みんなに美味しい肉でも買ってくれ」と、自分は食べないのに買い物に寄ることも。
今思えば、この頃がいわゆる寛解期の一番充実した時期ではなかったでしょうか。本人も家族も、癌が消えた!と喜び、すぐに悪化することはないだろう、と信じきっていました。

秋ごろには地域のいろいろなお世話にも復帰し、ゴルフの予定を入れ、11月の連休に毎年恒例の高校時代の野球仲間との温泉旅行に出かけるのを当面の楽しみにしていました。
ただし、この旅行に関してはさすがに感染症のリスクや万一のことを考慮して、私が車で送っていくことに。福井県の芦原温泉まで高速で2時間弱、2往復はしんどいので鯖江市にある夫の実家に私は一泊し、翌日父をピックアップして帰ることにしました。
旧友との再会はよほど楽しかったのでしょうか。
帰りの高速ではいつになく饒舌で、昔話を途切れることなく語っていたので「ん?」と思いました。

その一泊旅行から帰宅した数日後から、疲れが出たのかなかなか起きてこなくなりました。
ある日、顔を洗おうと起きてきたときに、急にふらついたかと思うと足が勝手に動いて小走りになったのを見て「これはまずい」と娘と一緒に両脇を抱えて停めました。
本人も調子が悪いのを自覚していたのか「今度は良くない気がするんだ・・・」というではありませんか。

診察の結果は脳髄膜への転移でした。
直近のCTでは内臓での癌の増殖が認められないのに腫瘍マーカー値が上がっていたので、急いで頭部のMRIを撮って発覚しました。抗がん剤の効きは良くとも、癌細胞が脳へ転移するルートは遮断できず、脳での増殖を抑制するのは難しいので、予防のしようはなかったと言わざるを得ません。
取り急ぎ緊急入院し、脳転移にも効くかもしれないオプジーボの投与を開始することになりました。

ただ、あまりにも心の準備が出来ていない状態だったので、この日は本当に辛かったです。
予後が良くないことを突然知らされ、着の身着のまま入院する父を見送る前に「もしかするとこれが最後かも」と、待合室で慌ててスマホを取り出し撮影しました。
なぜなら、このコロナ情勢で一度入院してしまうと、もう面会がかなわないのがわかっていたからです。この日の付き添いは私だけだったので、家で帰りを待つ母に、入院前の父の姿を残しておきたかった一心でした。

実際、その後毎日病院には行きましたが面会はできませんでした。
医療スタッフの方にスマホを渡してビデオ通話を試みたりもしましたが、耳が遠い父には直に語りかけないとコミュニケーションが難しい。カメラ越しに見る父が、日に日に自分でできることが少なくなっていく様子を看護師さんから伝え聞くたびに胸がつぶれる思いでした。
ただ、生来の性格が朗らかなためか、医療スタッフの方々とは本当に仲良く楽しく接していたそうで、随分可愛がっていただいたようです。
「あんなふうに歳を取りたい」とまで言ってくださった看護師さんがいたそうで、それは家族としても本当に嬉しかったです。

そうこうしているうちに、約3週間でほぼ全介助が必要な状態となりましたが、年末年始にようやく自宅に帰ってこれることになりました。
年を越せるだけでもありがたいと、この頃はもういつ何があってもおかしくない覚悟が出来ていました。
あのまま、入院中にお別れとなっても仕方がなかったけれど、こうしてまた家族水入らずの時間が持てることに感謝し、精一杯のことをしようと。
家に戻ってからは、しばらく出なかった声が出るようになったり、歩こうとベッドから降りてみたり、少し回復の兆しが見えたこともありました。
家族が集まるリビングにベッドを置いて、少しでも頻繁にコミュニケーションを取れるようにしたからか、いつも笑顔を浮かべていたように思います。
とはいえ、初めて経験する全介助は甘くなく、家族総動員でてんやわんや、寝不足に加えて慣れない力仕事で腰痛になりました。世の看護師、介護士は本当にすごい・・・と実感するほどに。

数週間自宅で過ごしたのち、家族で話し合い、積極的な投薬治療はやめることにしました。
在宅介護をしながらオプジーボ投与の通院治療もできたかもしれませんが、完治どころか現状から状態が好転することをまず望めない以上、余命を伸ばすことよりも自然に寿命を迎えることを選ぼうと。
というのも、退院時に私に本人がつぶやいたのです。
「じじはもうすぐ死ぬから」と。
この時、ああ、入院中の3週間に父は一人で覚悟を決めていたんだ、とわかりました。ほとんど聞き取れないような小さな声でしたが、はっきりと。そして少しだけ笑顔でした。

意識が薄れたり、記憶が曖昧になったり、思っていることを伝えられなくなったりすることがどれだけ不安なのか想像がつきません。
ステージⅣの胃がんが消えて喜び、体力をつけて来春からはまたゴルフコースを回ることを楽しみにゴルフ保険まで更新していたので、生きる意欲満々だったことは間違いありません。それが、突然の脳転移宣告で入院。あれよあれよという間に身体が思うようにならなくなるのは、普通に考えてどれだけ無念だったことか。
でも、そんなことはこれっぽちも見せず、足掻きもせず、淡々とあるがままを受け入れているように見えました。もともと我慢強く、弱音を吐くところを見たことがありませんでしたが、最期までそれを貫こうとしているのか。
全ての医療スタッフ、家族に対してにこやかに、素直に身を任せている父からは、不満や不安、物事への執着は全く感じられませんでした。

そしてある時、介助する母の頭と肩を撫で、かすれた声で「ごくろうさん」と言ったのが父の発したはっきりと聞き取れる最後の言葉でした。

・・・・・・・・・・・・

見送ってから5か月。寂しいし悲しいけれど、父の死が不幸なこととは思いません。どのみち人間の死亡率は100パーセントなので。
ひとつだけ、少しだけ思うことがあるとすれば、このご時世なので闘病中のお見舞いは面会がかなわず、最後に会っておきたいと思われた方々と会えなかったこと、そして大きなお葬式も出来なかったことでしょうか。
お通夜もお葬式も感染防止のため規模を縮小して、流れ焼香という形で執り行いましたが、遠方の肉親や友人は来ることができず、そこはやはり残念でした。
若い頃は社会人野球で活躍し、在職中も様々な方面の交友関係が広く、退職後は人の世話をすることが大好きな父だったので、本来であればもっと大勢の方々に直接お別れをしていただきたかったです。とはいえ、このような状況の中にもかかわらず、駆けつけて私たちと一緒に涙を流し悼んでくださった方々がたくさんいらしたことは父も嬉しかったはずです。
このnoteにたどり着く方の中には父の友人も多いと思うので、もしよろしければこちらの映像をご覧いただき、故人を思い出していただければ幸いです。(葬儀の際に急いで提出した写真で作ってもらったメモリアルです。限定公開)
https://youtu.be/T34Nq7VY_v0


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