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戦時のウクライナ、ひとり旅 4 〜たどり着いたハルキウと攻撃の痕〜

眩しいほどの青空のもと到着したウクライナ第二の都市、ハルキウ。かつて、首都であるキーウ(2022年までは「キエフ」というロシア語だった)、だれもが覚えている(あるいは知っている)であろう原子力発電所事故のあったチェルノブイリぐらいしかウクライナの地名を知らなかったが、今頃になってようやく「ハルキウ」という都市名を覚えた。

前線の都市、ハルキウはロシアによる開戦後まもなくその名前をよく聞くようになり、多くの人が関心を持ったのではないだろうか。このハルキウはウクライナの北東部に位置し、ロシアとの国境までわずか30キロ。私の住む町に20年前から住んでいるウクライナ人のグリゴリーもこの町の北部で生まれ育ち、「ロシアとの国境まで自転車で行けた」というほどのわずかな距離の思い出を語ってくれた。

ハルキウ北部、サルティフカ地区の団地。手書きのひまわりの壁画。
(c) Miyuki Okuyama

2022年の春にロシアからの爆撃で多くの被害を被り、侵略から1年後には「市民7199人が死亡した」と言われる。この記事を書こうとしている今(2024年5月10日)、またロシア軍がハルキウ州の間近まで迫っているという。これからここハルキウがどのような状況になるのか、ウクライナ侵略はいつ、どのように終了を迎えるのかは、全く予想がつかない。

ハルキウでの1日目は、午後遅くにロパン川がハルキウ川に合流する市立公園まで歩くだけだった。豊かな都市だったことを思わせる19世紀ごろの建物が並ぶが、あちこちに爆撃の跡が見える。そのような中でも、爽やかな空の下、川の合流点の豊かな水の上で親子たちがボートに乗って楽しんでいる。戦争と幸福、まったく繋がりのない2つだったが、戦争の中でも人は食べて、眠り、親子や友人やカップルで楽しむことも必要なのだと、はっきり見えてくる。

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ハルキウでの2日目。こじんまりとした建物だし、古びた団地の建物の陰で見つけづらかったが、ハルキウでの1泊目を静かなホテルでくつろげた。鉄道でオランダを出発して以来、ドイツ鉄道の大幅な遅れもあれば、寝るのは寝台車どころか座席だったりと、4泊目でようやくベッドに横になれた。たとえ爆撃警報音が聞こえても、ゆっくりと休めるというのはどれだけありがたいことなのだろう。ロシアからの攻撃を受けているウクライナの人々や兵士たちも、これをさらに、さらに苦しくする日々を過ごしながら、ゆっくりと休めるころがあれば似たような気持ちになるのではないか。こんな一夜を過ごしたハルキウでの2日目も、昼までホテルで休んでからいよいよ多くの爆撃を受けたハルキウの北まで地下鉄に乗る。

戦争になって以来、このハルキウの地下鉄駅には市民が避難生活を続けていた。土子文則氏もこのハルキウの地下鉄で無料で温かな食事を提供し、後にはカフェも開店した。幸いにも今、この地下鉄に避難する人々の姿は見えない。戦争が始まってから、地下鉄は無料で利用できる。ソビエト連邦時代に建設された地下鉄は、1970年代様式の建築と言われているようだが、モスクワで乗った地下鉄を思い出させてくれる。モダンさと重厚さが兼ね合う、印象的な駅だ。この地下鉄で終点のHeroiv Pratsi駅まで行き、さらにサルティフカ地区まで北へ歩く。そして少しずつ見えてくるのは、避難先からハルキウに戻って来た女性が花の手入れをする姿(シャクヤクの周りの雑草を抜いている)、道路脇に捨てられたミニカーやぬいぐるみ、爆撃で割れてしまった窓を覆う合板、爆撃で焦げた壁。

もう誰も住めない団地の入口。戦争が始まってからよく見かけるウクライナの国章が発泡ウレタンスプレーで描かれている。(c) Miyuki Okuyama

特にひどい爆撃を受けたのはどこだろう、とうろついていると、びっくりするぐらい大柄ながらも優しげな、グレーと白の毛の猫が花壇の周りをゆっくりと歩いている。ハルキウに到着してからは野良犬しか見かけなかったため、可愛がられている猫を触りたいという気持ちがあふれ、そこにいる飼い主らしいカップルに声をかけた。この女性はイリーナ。背が高く、長い髪の美しい英語が得意な女性だが、大学で学んだのは中国語だという。そして猫の名前はシモン。このイリーナが彼氏に頼んでシモンをアパートに連れ帰ってもらい、爆撃の特にひどかった団地を私に案内してくれることになった。

彼女と飼っている猫のシモンを抱き上げる男性。猫も一緒の約1年の避難から最近戻ったばかりだ。サルティフカ団地、ハルキウ。(c) Miyuki Okuyama

「一昨年ころ、ロシアが責めてくるといううわさがあったの。でもそんなことを言う人はバカにされていたのに、、、あの時頭に浮かんだ悪夢が本当になってしまった、、、」
ロシアによる侵略後、イリーナは猫のシモンを連れて国内避難をした。シモンが車での移動が平気なのは助かった。運良く自分のアパートは破壊されておらず、1年ほど避難したあとに帰郷がかなった。

このイリーナが、恐ろしいほど崩れかけた団地を案内してくれて、当時の様子が見えてきた。それは、破壊と犠牲の眺めだった。

サルティフカ団地、ハルキウ。(c) Miyuki Okuyama
サルティフカ団地、ハルキウ。破壊を悲しむ少年のグラフィティ。(c) Miyuki Okuyama

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