見出し画像

戦時のウクライナ、ひとり旅 8 〜イジュームをあとにクラマトルスクまで〜

ローカルバス会社マネージャーのコスティア。
列車でイジュームに到着したものの、宿泊場所さえないこの町の案内を手伝ってくれた。
彼が呼んでくれた知り合いのタクシーで、惨劇の場所を幾つも巡ったあと、さらに仕事の終了したコスティアが車でイジュームを巡ってくれる。

爆撃されたかつてのオフィスを案内するコスティア

すでにタクシーで巡って、惨劇を見るのに心身がつかれてしまっていた。しかし、地元に生きるコスティアのような人物が、外部の者である私に見せたいという場所は、やはり見て受け止めるしかないのだろう。

ロシア軍占領下にあったイジュームには、爆撃の跡は尽きない。
そのうちの一つは、コスティアのかつての職場、バス会社のターミナル兼オフィスだ。2階建ての建物はひどい爆撃を受けてしまい、もう使えない。
ワイヤーなどが天井からぶら下がり、ガラスはすべて砕け、壁は焦げ崩れている。
コスティアがかつて働いていた彼の事務室に残っているのは、崩れた壁と焼け跡のみだ。

コスティアのオフィス
バス会社のオフィスの屋根の爆撃の跡

「これより戦線に近くなると、ATMも使えないから」というコスティアのアドバイスで現金を引き落とす。私だけではない、少ないATMには、子連れの女性なども並んで順番を待っている。コスティアがまた臨時の小さなバス乗り場まで戻ってくれ、ここでお礼と別れを告げる。

まもなく、小型のバスが到着する。
列車が古い、などと書いたが、このミニバスはずっと古い。傷ついて、ペンキは剥げている。エアコンなどはない。
コスティアに別れを言ってバスに乗り込むと、20人乗りの座席はすでに満席だ。

イジュームからクラマトルスクへの古びたミニバス


私が座れるよう、まだ若い兵士がシートを空けてくれ、自分はドライバーのすぐ後ろのベンチに移動した。彼の首には、まだ新しいウクライナの国章のタトゥーが見える。タトゥーは新しいが、この国章は10世紀ごろに遡る国章ということだ。

ウクライナ国章をタトゥーにした若い兵士

バスに乗り込む頃は雨が降りそうな気配だったが、夕方近くなると傾いた日が照り、ミニバスの中は暑い。
イジュームからクラマトルスクまでの1時間半ほどの道中、2個所のチェックポイントがある。全員バスから降ろされ、検査を受けるが、どこからどう見ても外国人の私はバスの中で待たされるだけ。

小さなバスだが、ロシアからの攻撃を避けるためか、それともこれは普通のスピードなのか、早々にクラマトルスクに到着。バスの乗客はあっという間に散らばった。
この町に泊まれるホテルはあるのだろうか。前線に近いため、多くのホテルは休業している。イジュームのバス会社マネージャー、コスティアが「ここなら営業中」と教えてくれたホテルも、休業してからもうしばらく経つ様子だ。
タクシーを広い、言葉の通じないドライバーに「ホテル?ホテル?」だけで連れて行かれたのは、小さめのホテル。
レセプションで空室を聞くと、すぐ後ろの椅子にいる若い男性が、流暢な英語で教えてくれたのは、最後の1室だけあるが、シャワーとトイレは共用を使う、とのこと。いや、クラマトルスクで宿泊できる部屋が見つかっただけでもありがたい。
英語ができる若い男性、ホテルの従業員かと思いきや、フランスの国際ニュース局のFrance 24のカメラクルー、オレストだった。今、このホテルにビジネスや観光で泊まる客は、いない。戦争を取り扱う外国メディアのジャーナリスト、リポーターやカメラクルー、コーディネーターばかりだ。
France 24チームは、明日は戦場の前線、東部のバフムートまで行くことになっている。

いつの間にか夜になった。
窓はすべて、爆撃で砕け散るのをいくらかでも防げるよう、テープが貼られている。
このホテルの部屋のドアは、しっかりとした防音ではないようで、他の部屋のジャーナリストとクルーたちが打ち合わせをする声がかすかに聞こえる。
この町、クラマトルスクに到着した前日、30キロほど東のバフムートはロシアの民間軍事組織ワグネルに完全掌握されていた。メディアの人々は、これの取材について打ち合わせていたのだろう。

クラマトルスクの町中を歩く以外の予定がたたないまま、ベッドに入り一日を終えた。

#ウクライナ #ウクライナの旅 #イジューム #ロシア国境 #爆撃された団地 #鉄道旅 #ウクライナ侵略 #戦争の記録 #一人旅 #旅の写真 #バス旅 #クラマトルスク #戦場への旅 #旅日記 #トラベルダイアリー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?