見出し画像

奈良に行くなら[31]〜檜原神社編

さて。綱越神社を起点に、大神神社の一の鳥居をくぐり三輪明神への謎を深め(詳しくは以下に)

久すり道を経て鎮池に座す市杵島姫命にごあいさつ、狭井神社を抜けて、これまた謎の龗神神社でさらに「???」を散らかしながらも足取りを軽くして(こちらも詳しくは以下に)

その後も山の辺の道をてくてく…てくてく……歩き続け。大神神社からは1.5kmほどなんですかね、やっと檜原神社に到着です。ひとまず社務所前のベンチでひと休み。

ここへ来ると時代感がバグる気がするのは私だけでしょうか。

ベンチに座ってぼーっとしていると「あれ?今いつ?」「私ここで何してんだっけ?」という軽いタイムスリップ感とともに「え…私の脳ミソ大丈夫なのか?」と…w
ここまで歩いてきた山の辺の道がそうさせるのか、単に人の少なさがそうさせるのか。

こんな道を歩いてきたせい?

奈良には千年前の人たちもこの景色を見たのかなぁ〜と感じさせる場所があちこちにあると思うのですが、ここはカラダごと時代を超えてきたような錯覚に陥る…妄想に拍車をかける地なのです、個人的に。

記紀の系譜で第十代とされる崇神天皇は、猛威をふるう疫病を治めるため、それまで大殿内に祀られていた天照大神と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)を宮の外に移すことにします。日本書紀の記載では「畏其神勢、共住不安」と。二神の神威を畏れ同床同殿が解かれた、というわけです。

崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大神を託し、笠縫邑(かさぬいのむら=これが諸説あるものの現在の檜原神社とされる)に祀るのですね。

一方、倭大国魂神は、こちらも皇女である渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に託され、その後、市磯長尾市(いちしのながおち)によって天理にある大和(おおやまと)神社に祀られました。

そして垂仁天皇(崇神天皇の皇子)の時代になって、豊鍬入姫命に代わり倭姫命(やまとひめのみこと。垂仁天皇の皇女)に天照大神が託され、笠縫邑から新たな地を求めて旅立ち、紆余曲折を経て天照大神は伊勢に辿り着くわけです。

豊鍬入姫命はどんな想いで天照大神に仕えたのか。
天照大神と倭姫の旅はどんな旅であったのか。
その時代の人々は何を願い祈ったのか。
そんなことばっか考えながら歩いてるから脳がバグるんですかね。

さて大神神社の特徴のひとつである三ツ鳥居。大神神社では拝殿の向こうにあるため拝観申込をしないと見られませんが、ここだと心ゆくまで眺められます。

目の前に三ツ鳥居

ここに立つと、社務所前ののんびりした空気感とまるで違って、ピリッとした緊張感が漂います。人を寄せつけない気配を感じるのは、開くことのない三ツ鳥居のせいでしょうか。つい今しがたまでのほほ〜んと休憩してたのに、神域を前に急に背筋が伸びる感じ。
閉ざされた鳥居は神界と人間界を隔てる扉のようで、畏怖の念を呼び覚ますような…そんな空間なのかなと思うのです。

くぐれない鳥居の向こうに座すのは。そして三輪山に眠るのはどんな神さまなのか。気になりますねぇ。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?