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いま、なぜ舞台を観にいくの?の答えを、 東京夜光『BLACK OUT』で見つけました

(お芝居を見るのが好きで、見た後にあれこれ考えるのが好きなので、そのようなことをこれからぽつぽつと記そうと思います)

東京夜光さんは、外出自粛期間の配信で『ユスリカ』という作品をみたことはありましたが、劇場は初めましてです。

『ユスリカ』という作品は、最初から息が詰まるような緊張感を感じる舞台で、舞台装置がとても印象的でした。
テーブルとベンチのような椅子が2つ、床に置いてあるのではなく、上から吊られていました。役者が動くたびに不安定にテーブルと椅子が揺れて、とても落ち着かない気持ちになりました。
うわ、なんて的確でかっこいい!と、今度は劇場で観たいと思いながら、劇場で舞台をまた観られるのはいつだろう、という心許なさもありました。

そして、緊急事態宣言以降はじめて久しぶりに劇場に舞台を観にいったのが『BLACK OUT』でした。

観たあとに、世界がすこし生きやすくなった気がします。
この作品に出会えてよかったと思います。


↓これから、『BLACK OUT』て舞台を観たの!観られてよかった〜〜!という思いを語りますので、まだ観てないから知りたくないというかたは、どうか観終わったあとにまた来てくださるとうれしいです。
ちなみに、上演されている三鷹市芸術文化センターは最寄りの三鷹駅からちょっと離れています。
路線バスが通ってるけれど、わたしはのんびり16分くらい歩きました。
開場前でも文化センターには入れるので、空調の効いた広い空間でゆっくり待てたし、このご時世で館内飲食はできませんでしたが、自販機で飲みものを買い、風がよくとおる気持ちよいピロティで飲めるしで、ありがたいです。あと、ガストもコンビニも近くにありました。こんなところ(下の写真)です。

02020823_ホール



劇場に入ってまず最初に思ったことは、開演前が静かだということです。
いつもはおしゃべりが聞こえるけれど、事前に劇団からお知らせいただいた感染対策のため、しんと静かでした。
これまでの感染症を考えなくてよかったときとは違うということを肌で感じました。

そして開演して暗転、大きく音楽がかかったときに、劇場で舞台をみているんだという、わたしの好きな場所にいるんだということが実感できて、それだけで嬉しくなりました。


タイトルのBLACK OUTには、「暗転」という意味があるとチラシにありました。
暗転、ひとつのシーンが終わるだったり、始まりますだったり、いままでと違いますよという合図です。

『BLACK OUT』は、
〜くらやみで歩きまわる人々とその周辺〜
というサブタイトルがついている、その何かが変わる間のくらやみにいる人たちのお話です。


登場人物は、
作・演出家を目指しながら演出助手として働く真野歩向と、大学時代に真野といっしょに公演をした制作の青戸円子と照明の山川明美。
青戸の勤める制作会社がつぎに手がけるプロデュース公演の作・演出をする鬼木飛雄。
座長の日向純、ヒロインで初舞台の東みなみ、ベテラン俳優の江戸崎一、鬼木の劇団員でもある佐藤信代。
音響の田沼リカ、舞台監督の氏原拓人、演出部の小倉柚季、プロデューサーの井原八重子。


わたしは舞台を観にいくことは好きですが、舞台がつくられている様子をみることはありません。
舞台制作の現場が描かれている『BLACK OUT』は、ものつくりの現場拝見ということでも興味深くもありました。

単語だけは知っている「演出助手」というひとは、こんなことをしているんですねと知れるのが面白かったです。
いろいろな日程を決めたり、稽古をどんな順番で進めるのか、円滑に進むためのに必要なことごとを整える。わたしには全然覚えきれていないくらい、たくさんのやるべきことがありました。
「助手」という文字通り助ける手で、やりがいありすぎなくらいの、しかも助けるのだから即時対応が必要という、なんともハードなものです。


ひとつの公演をつくるために、複数のひとがいればそれだけの考えがあるから、ストーリーはさまざまなことがぶつかり合い進んでいきます。

作品を演じるためにできることはなにか、
生活がある、家族をどうやって養っていくか、
自分のやりたいこと、
どんな作品が求められるのか、今求められる作品を届けたい、
予算や時間は限られているなかで公演をつくりあげていくこと、
いろいろな事情や思惑があります。なにかを作るというのは、本当にたいへんだなと思います。
しかも、新型コロナという感染症があって、こうすれば絶対に感染しないから大丈夫という方法がわからない。現実とストーリーの世界とが同じです。

脚本の全面改稿、追加の道具などなど、さまざまな問題をどうにかこうにかやりくりして稽古も進み、今日は通し稽古という日。
ヒロインのみなみが「感染症がこわい。どうして公演をできるの」とトイレに閉じこもるシーンがあります。

どうして?に、音響の田沼が「舞台が終わった後の、拍手が忘れられない」と答えるシーンは胸を突かれました。
ほかの登場人物も、同じ思いでそれを聞いてるんだろうなと思う、物語のなかだけでなく、この舞台をつくっているひとたちもそうなんだろうなという印象的なシーンでした。

みなみは初舞台なので、終演を経験したことがない。だから、田沼の言葉では納得できず出てこれない。
結局、鬼木が彼女のために新作を書くという約束をして、「続きをやります」と、みなみはトイレからでてきます。欲しいものを全力で取りに行く彼女が、その正直さが好きだなとちょっと笑ってしまいました。

舞台をつくるために、ゆずれないこともあるし、どうにかゆずるように自分を納得させることもある。
登場人物たちは、自分がなにをするのかを自分で選んで、他の人もそうだから、なんとか折り合いをつけてやってく。

難しいけれども、そういうふうに受け止めあっていけるっていうのはいいなと、そんな風に思います。


自分を見失わずに、ひとを受け止められたらいいけれど、難しいことです。
演出助手の真野にとっても難しく、ときどきでその場をおさめようと精一杯で、彼は自分がどうしたいのかということを考えるのではなく、周りがどう思うのかを考えて、滞りなく場を収めるのが仕事、自分の望みではなく、望まれることをいうことが大切と働きつづけて追い詰まっていきます。

制作現場がスムーズにうごくためにと、
「おもしろくない」と感じた自分を無視して「おもしろい」といってしまう。まるでそう言うように何かに脅迫されたように、本心ではないことなのに。やがて、あらゆることが自分の思い通りにいかなくて、不満や不安を抱えて、抱えすぎて抱えきれなくなって、本心が溢れ出すときがきます。

稽古の休憩時間に、学生時代からの仲間の山川に、この作品どう?と聞かれて、真野は「全然おもしろくない。自分の方がずっとうまくやれる」と、
鬼木よりも真野自身の方がうまくやれると、思わず言ってしまいます。
稽古中に、資料映像として撮影していた映像の録画スイッチを切り忘れて。
こぼれて消えるはずの言葉が記録に残って、それを全員の前で再生されるシーンは、背筋が凍るというか、とても怖くてわたしが逃げ出したくなりました。

隠れて言ったつもりの不満の言葉が皆に知られた。
真野はなりふりかまわずに、自分が悪い、本当はそう思っていない
申し訳ありませんでした、自分が間違っていましたと謝り続けるけど
鬼木はなにもいわずに、そのまま稽古が続きます。

真野の本心からの言葉だと分かったから、それがどんな言葉であっても、本心から出た言葉をその場にいた皆は受け止めたのじゃないかな。
だから稽古を続けて、そして面白くなければ面白い作品にするよ!って
そのために、なにができるか考えろと、謝るだけじゃなくて、自分たちは面白い作品をつくるために集まってるんだろうと言っていたんじゃないのかなと思います。

周りを見回して、あるのかどうかもわからない正解を探すのではなく、
自分の中の答えを探して、見つけたものを出しあって、考えていっしょに進んでいってみよう。

そうしていけば、もっと面白い作品ができるんじゃないだろうか。

そうやって舞台を作っていく彼らは、ほんとにすごいです。


物語は、公演の中止が告げられ、真野は自分の公演の用意を始めます。
ラストシーンの、確かなものはなくて、不安も多いけど、自分が目指すものを求めて動いている彼のすがたに希望を感じて感動しました。


自分がしんどいときに、しんどい人たちをみるのはしんどいこともあります。
だけど、そうやってしんどい人たちが、生きて、今がBLACK OUT(暗転)の最中のくらやみだったとしても、
こういう風に生きてみたら、これから少しは楽しく生きられるかもね
という「希望」を差しだしてくれるんです。どんな奇跡だろうと思います。

『BLACK OUT』は演劇をつくっている人たちの話を演劇で語られるのでリアリティがあるというものでなく、舞台を見ていると、ストーリーのなかの登場人物というより、そこで本当に生きている人たちの生き様をみているように感じるときがあります。

そしてこの公演自体も、感染症への対応としてどうしたら安全か?ということも確かでない、中止になるかもしれないなかで、さまざまな工夫と努力と用意、お知らせがあって、わたしは観客としてこの舞台を見ることができました。いろいろなひとたちのおかげで、舞台をみて、感動して、希望をもらいました。

受付でようこそとチケットを渡してもらい、いらっしゃいませと劇場内に迎えられる。
俳優が演じ生き、照明や舞台装置や音があわさって、物語を見せてくれる。
終わった後には、ありがとうございますと送り出してくれる。

そんな舞台にまつわるいろいろなことが好きなので、
感染症の心配は尽きないけれど、できるだけの対処をして、気をつけて、見終わった後も、体調に気をつけてを繰り返して、舞台を観に行こうとおもうのです。


なんで観に行くの? と聞かれると、
好きだから、と答えます。

なんで好きなの? といわれたら、
世界がちょっと生きやすくなるからかな。
そんなわけで、わたしは舞台が好きです。


【BLACK OUTにみる、舞台のここが好きなんです その1】
演出助手の真野が何か言うときに、照明があたって周りにいる人は青く、真野一人がスポットで明るく照らされるシーンが好きです。
真野が、周囲の人たちがどう思っているかを気にしてしゃべるんだよということの表現、現実にはないけれど、こう表現しましたという、舞台の言語のようなものが好きです。どうしてこうなっているんだろう? という謎かけのようで楽しいです。

真野が、そう感じてもいないのに「おもしろい」と答えたとき、周囲のひとは真野に手でつくったピストルを向けていました。そんなふうに脅されてるくらいの重さを感じてた真野は、苦しかったろうなと思うのです。


【BLACK OUTにみる、舞台のここが好きなんです その2】
ハンガーラックを、鬼木の自宅の扉に見立てるシーンが好きです。
扉が引き戸なくらいに古いアパートなのかなと想像できて楽しいです。
そのハンガーラックが、舞台のなかの稽古場でハンガーラックとして扉に見立てられて、さらに、みなみが閉じこもるトイレの扉になる。

お話の中の見立てと、わたしが直接みている見立てと、入り混じっているのに、不自然に感じない。そんな舞台の不思議が面白いなと思います。


【BLACK OUTにみる、舞台のここが好きなんです その3】

コロナ対策として座席がひとつおきになっていて、座れない席には紙が貼ってありました。
その紙に、使用できない旨の文章とひとのシルエットがかいてあって、シルエットの髪型がショートだったり、ボブだったり、ロングだったり、いろいろでした。
実際にお客さんは座っていないけれど、見てる人がいるんですよという制作さんの励ましなのかな?それともはっぱをかけてるのかな?と、いろいろなひとがそれぞれ公演を支えているんだな、すごいなと思うと嬉しくなります。

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