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『ネギ玉牛丼大盛り』を読んで

牛丼を読む。
字面が不思議な状況ですが、タイトルが『ネギ玉牛丼大盛り』という小説の感想なので、牛丼を読んだ のです。

作品はこちら
下平慶祐さん『ネギ玉牛丼大盛り』

とある牛丼屋でのお話です。

主人公は、病院では泣けなかったのだろうな。
病院はどちらかというと非日常で、非日常の中では緊張が勝って気も張っていると、感情は動きにくい。

そんな非日常の場所から離れて、日常そのものの牛丼屋へ入る。

牛丼屋の店内は挨拶の声が飛び交っているけれど、意味のある会話はあまりなくて。さっと店に入っては、それぞれがそれぞれエネルギーを蓄えて出ていく。

明るくて、暑くも寒くもなく、人の気配があるけれど関わりのある人はいない。
牛丼屋は一人泣くのには丁度よいのかもしれない。
深刻になりきらないし、おまけに腹まで満たしてくれるから。

いつもの場所で、いままで目に入っていなかった世界が一夜を境に目の前に展開しはじめる。
その始まりが、「いつも自分が注文していた並盛りの器が小さい」だ。
精神的に器が小さいうえに、食器も小さいと(それは胃袋の許容範囲なのだろうけれども)飛躍する思考が可笑しいし、その順番なのかと感心する。
たしかに、その飛躍には「そんなこと気にしてないよ他の人は」と思わずにいられない。

でも、難産のすえに母子ともに無事で父になったのだから
動転するのも世界が一新するのも当たり前だ。


ラストシーンで
どんぶりの中と、人生にも異常なしと
贅沢をしすぎたみたいだと
明日からまた、がんばって生きていこうと
主人公は思う。

そうなのかな? 「贅沢」なのかなと気持ちがざわつく。

三省堂 国語辞典によると、
「贅沢:1)その人の身分や立場に比べて、程度をこえておごっているようす。
    2)おかねを多くかけ(てあ)るようす。」
 〈三省堂 国語辞典 第三版─中型版─ より〉

とある。


贅沢ではないと つよく思った。


物語の中の新しい父に

これからも大変なことや不安はたくさんあるんだろうけれど
ともかく、何よりもまずはおめでとうございます、と

贅沢なんかじゃ全然なくて、
これからもっともっと幸せになるんだと

それが確定事項みたいに思う。
(牛丼の器のほうは、ジャストサイズのほうがよいけれども)


この話は休職されているご友人へ宛てて書かれたものだそうで
物語の中に生まれた新しい命のように
休まれているご友人にも新しい芽が生まれますようにと祈る。
休んで、食べて、蓄えて満ちてゆかれますようにと願う。


【余談?】
タグの牛丼をみて、牛丼から小説にたどり着くのも不思議だよなと興味本位で見てみたら
さまざまな世界が展開していて面白かったし
あまり違和感がなかったし
牛丼が食べたくなってきた。

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