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誰かの生活の一部

私は、ソフトウェアエンジニアをしています。

ソフトウェアエンジニアをしていて良かったなと感じた経験について書きます。

前職で、携帯電話いわゆるガラケーの開発に携わっていたことがあります。

当時、携帯電話の開発は、デスマーチが多かった(当時のウチの会社だけかな?)のですが、その中でも、炎上案件の火消しに走り回っていた時期があります。

ある意味、仕事は充実していたのですが、ハードワークで仕事以外のプライベートは寝るだけという生活を送っていました。

そんな中、様々な業種の人が一緒に受講する研修会に参加することになりました。

ハードワークの合間を縫って研修に参加するのは、しんどかったのですが、プライベートも削って、仕事をしている中、強制的に業務から離れられるというのは魅力的というぐらいに仕事に追われる日々を過ごしていたのです。

その研修中に、知り合った友人と、自分の仕事について話していた時のことでした。

彼が使っていた携帯は、私が開発に関わったもので、特にメールのアプリケーションには、私が開発したモノが多数組み込まれているモノでした。

普段、私は、バグや使いづらさ等の話しを聞くのが嫌という思いがあってで、自分が開発に携わった機種について明言することはありませんでしたが、特に思い入れのあった機種なので、つい

「そのケータイのメーラーを作ってたんだ」

と、言ってしまいました。

その友人は、にこやかに

「そっかー、俺、メールすっごい使うからさ、俺の生活の何%かは、miyoshiくんが支えてくれてんだな。もう生活の一部だね」

と言ってくれたのです。

その時の嬉しさ、エンジニアやってて良かったなと、思ったことは忘れられません。また、自分が大きな目に見えないシステムじゃなくて、エンドユーザに直接触ってもらえるモノのエンジニアになりたいと思って、会社に入った初心を思い出すことも出来ました。

その友人とは、SNSで時々イイねするぐらいですが、未だに繋がっています。

今は、セキュリティに関するリサーチがメインの仕事になっていますが、誰かの生活を支える仕事が出来ているかを、自分に問いかけながら仕事を続けています。

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