苦しみの先にあった幸せ
ここのところ起こっている自分の事を振り返ると、
私は本当に幸せな人生を歩いているのかもしれないと思い始めた。
根拠はない。
ただ、そう感じる。
過去の大変な時から比べると、心の耐性がついたせいかもしれない。
それから比べると、こんなことくらい…と思えるようになったからなのかもしれない。
母子家庭で、毎月毎月、どうやって食べさせていったらいいか…と
恐怖で眠れないときもあった。
自分に何かがあると、息子二人の生活ができなくなる。
その時の私は、
①息子を成長させること
②それが終わってから、自分の楽しみに時間を使う
「友人は、両方を一緒にしてもいいんじゃないの?
息子の成長だけに集中して自分をおろそかにすると、心にひずみがくるよ」
と心配してくれていた。
だが、私は、器用な人間ではない。
息子の成長と合わせて、自分の楽しみに時間も使うという、両方をうまく並行させることができないのだ。
私は、まず息子の成長を自分が納得するまで力を注がないと、必ず後悔するから、同時に並行させることはできないと友人にかたくなに言っていた。
かといって、教育ママでは決してない。
息子の成長に力を注ぐという私の意味合いは、
・息子を肯定的に見ること
・家に息子の居場所を作ること
この2つだけだ。
だが、私なりの小さな楽しみも作っていた。
友人が言うような、自分の楽しみに時間を使うという意味のものではないが、カフェで勉強したり、本を読むことが小さな幸せだった。
家庭と切り離した空間で、自分の時間を少しだけ持つことが、私の唯一の贅沢だった。
残りの時間はすべて会社で数字をあげること、営業の勉強、
そして自己啓発に時間を費やした。
この時間はとても楽しかった。
息子たちには、学んだことや、営業が面白いことなど、仕事の事をいろいろ話していた。
これだけ聞くと立派に思うかもしれないが、実はそんなことはない。
家で、ホラーの話をすると怖すぎて、オイオイ泣いてるようなへなちょこな親だ。
そんな怖がりの親が精一杯頑張っている姿を見ると、息子たちも嫌でも自分たちがしっかりしないといけないと思うのだろう。
今では、いざという時に助けてくれる頼れる存在に成長した。
おかげで、今は、大きな心配事もなく、本業、動画、ライティング、ジムと
好きなことに集中できるようになった。
私がしたいことがあり、希望を話したときに、息子からダメ出しされたことは一度もない。
「いいじゃん、やってみなよ」といって応援してくれる。
自分の人生は自分で作る。
息子の人生は息子のもの。
これからもお互いを認め合いながら、歩いていきたいと思う。
成功とは到達すべき目的地ではなく前進し続けるプロセス
アソニーロビンズ
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