夫が急性心筋炎で倒れた話の続き
2021年8月18日に夫が急性心筋炎で倒れ、救急搬送された。
8月13日にワクチン(ファイザー1回目)を接種してから劇的に体調が悪化したのだが、その後の経過について記録しておく。
倒れた経過は以前のnoteに記載した。
また前回も書いたが、このnoteは「ワクチンは怖い」「ワクチンを打たないで」というメッセージではない。
夫がGICUに入った後の経緯
8月19日(木) 前回の続き
夫が救急搬送されGICUに入って2日目。
深夜から早朝に電話が来ないので、少しだけホッとする。
前日は涙が出て仕方がなかったが、涙もだいぶ枯れてきた。それでも、どうかすると涙が出る。
会社は休んだ。ぼんやりしている。
ぼんやりしていると言えば、自分でも面白いことがあった。
夕方に食料品の買い物に出かけたときのこと。自宅が車(つまり夫の運転)でないと日常の買い物も困る場所なので、電車で出かけた。
目的地の駅に到着して改札でSuicaをかざすと、ピンポーンと鳴る。
残高は足りているはずなのに変だなあ?と思ったら、通り方を間違えていた。
目的地の駅は私鉄とJRが乗り入れているのだが、わたしは私鉄の改札を出れば、そのスーパーに到着する。ところが、なぜか私鉄とJRの乗り入れ口からJR側に入り、JRの出口から出ようとしていたらしい。
どうやってそうなったか最初自分でもわからず、「ええっと、なんで鳴ったのかな?」と考えて思い至った。
頭の回転速度が通常の半分以下になっている。
そして出かけるときに鏡を見ると、顔もひどいことになっていた。
普段は年齢よりは少し若く見られるのだが、おばあさんのような顔がそこにあった。
二重はパンパンに腫れて幅が倍に、顔はむくみ、目の下に深い皺と、絵具で塗ったようなひどい茶色の隈ができていた。普段から泣き虫の私だが、ここまでひどい顔になったことはない。
たしか佐伯チズさんが美白メソッドを開発したのは、夫が亡くなって泣きすぎてひどい顔になったことがきっかけだったと思うが、なるほどな〜と、思った。
昨日に引き続き、LINEやメッセンジャーで色々な人とやり取りをして、人の温かみにほっとする。
困った手続き上のことも相談できたし、夫や私に心を寄せてもらったり。
特に、私がたった1人で自宅にいることを気にかけてくれた人が少なからずいて、本当にありがたかった。
しかし文字のやり取りもいいが、人の温かみがほしいとも思った。じっと家に一人でいると、心細くてたまらなくなる。
とりあえずnoteを書くことに没頭した。
食事は何とかしないといけない。それにはヒントがあった。
今年になってInstagramで猫沢エミさんのポストを毎日見ている。
猫沢さんが愛猫のイオちゃんを看取った時も、亡くなった後も、猫沢さんは日々食事をとられていた。
彼女の著書「ねこしき」のタイトルは、
「哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。」
まさに!!
夫が倒れた日は、前日に作ったおかずの残りを少しだけ食べた。みぞれ肉豆腐。夫の大好物なので、体調が悪い彼のために作ったものだ。
その時に豆腐は食べつくしたが、肉と大根おろしや野菜の入った汁が残っていたので、賞味期限の切れそうな木綿豆腐をごま油で焼いて、そこにかけてみる。(肉豆腐の永久バージョンみたいな感じだけど・・・)
そして作ったそれは、更に翌日に取っておくことにし、お惣菜売り場で買ったサーモンフライのタルタルソースかけを食べる。素晴らしく美味しい。
クイーンズ伊勢丹、ばんざいだ。
今日の自分が明日の自分を助ける。
これも猫沢さんのポストで知った言葉。もちろん通常の生活でもそうだけど、こんなピンチの時は本当にそうだと思った。
深夜はやはり落ち着かない。病院から電話がかかってきたらと思うと、なかなかベッドに足が向かない。
深夜3時すぎに、ぬいぐるみとスマホをもってようやく寝る。
8月20日(金)
夫がGICUに入って3日目。
朝見ると、階段のところにタオルが3つ置いてある。
私は朝、タオルをすべて入れ替えるのがルーティン。タオルは2階に置いてあって1階に持っていく。どうやら昨日はタオルを取り換えようとして、そこに置いたままだったらしい。
これまた驚く。
少々潔癖症の私がタオルを替えずに気づかないまま過ごしていたなんて。しかも何度も1Fと2Fを往復していたのに、置いてあるのが目に入らなったことになる。
悲しいと人はここまでポンコツになるものなんだ!
と、ちょっと発見でもあった。
一般的には奥さんのほうが残されることが多いと聞くけど、我ながら心配になる。遠い将来であると信じたいが、いつかこういう生活になるのかなあと思うと、なかなかに切ない。
対策として、Googleカレンダーのリマインダーにやるべきことを登録しておく。「洗濯物を取り込む」といった、普段は自然と覚えていられるようなことも。
さすがに3日目となると、だいぶ気持ちも落ち着いてきた気がする。
ある人が毎朝「麻子さん、大丈夫?」とLINEをくれる。
それが何より有難かった。
その人の優しさに触れていたら、ふと、夫の母は私より辛いのではないか?と思い至った。優しさは循環するものだと知った。
慌ててLINEをしてみる。
そうしたら「わたしは大丈夫。〇〇(夫の名前)を、体力を、信じます」と、返事があった。素晴らしい言葉。
なるほど、わたしも夫の力を、病院を、信じよう。
土曜日は私もワクチン接種1回目だ。
熱が出たら病院から呼ばれても入れないかもしれない。しばらく悩んでいたのだが、夫の母に相談して受けることにした。まずは一歩進もうと・・・。
一般病棟に移動したら色々と必要になるものがありそうだが、とりあえずもういいやと、ゆるく家で過ごす。現実逃避に本を読む。こんな時はあり得ないような話のほうがいい。
夕方になって、そうだ、近所の猫とふれあいに行ってみようと思い立つ。
うちの周りには野良・半野良の猫が多く、わたしは特に「海老」と「烏賊」と名付けた子たちのファンだ。
(名前は夫が勝手につけたもので、二人で呼んでいるだけ。二匹は仲良しで、冬は寿司2貫のようにくっつくから、寿司ネタが海老と烏賊だなあと、彼らの色から夫が決めた。)
ここ最近、やっと烏賊のほうが懐いてくれて、たまに触るとその小ささ、温かさがじわーと心を温めてくれる。その温かさを感じようと思いついた。
部屋着のまま出る。普段は着替えるけどもういいや、という気持ち。
2匹がいるところにいくと、何となくの飼い主らしき、少し強面の、でもおそらく彼らにはとても優しいオジサンがウロウロしている。オジサンが家に入ると、猫たちはそのへんでゴロゴロしているが、敷地の中なので近づけない。
仕方がないので、今度は公園に向かう。徒歩5分のところに、鬱蒼とした森のような公園があるのだ。
その先にセブンイレブンがあるのでシロクマを買いに行くことにした。ワクチン接種で熱が出ると、なぜかシロクマを食べたくなる、という記事を読んだからだ。さもあらん。
いつもは何でも夫に甘えてやってもらうのが癖になっていたが、独りだと先読みして自分のために用意しないといけない。34歳まで一人暮らしの時はそうだったが、だいぶ長い間忘れていた感覚だ。
若干遠いので暑さでひるむ。
セブン到着。残念ながらシロクマは売っていなかった。仕方がないので、他のかき氷系のアイスを買って、家に戻る。
帰り道に散歩がてら、公園の中に入る。
広大な公園で時々どこにいるかわからなくなる。溶けるまでに帰らないといけない。だんだんあたりも薄暗くなってきた。
その時、電話がなった。番号を見ると、おそらく病院から。
震える手でおびえながら出る。
主治医からだった。
わたしの声がおびえているのを感じたのか、「悪いニュースではないので安心してください」と、最初に言われる。
2日目もやはり心不全の状態だったこと、
肺に水が貯まっていたが、利尿剤で尿が出てだいぶ排出できたこと、
心臓の壁が厚くなっていたが、炎症による腫れがあったとみられて、薬で通常の厚さに戻ってきたこと、
心房と心室の電気信号が疎通するようになったこと、
など事細かに説明される。
結論として「急性期は脱したと思っています」ということだった。
倒れた時が一番ひどい状態でそれからは悪くなっていないらしい。しばらくはGICUに入ると思うが、数日たてば一般病棟に移動する。
こんなにうれしい電話ってあるだろうか。
多分生きていた中で一番うれしい電話だったと思う。
搬送されたときも思ったが、とてもまじめで、誠意のある先生だなあと思った。
「ありがとうございます!先生のおかげです」と伝えたら、「いえ、循環器内科全員でやったことです」と付け加えられた。そのへんも義理堅くて、ちょっとおかしい。
わたしが翌日ワクチンを打つことについても、
「ワクチンによる発熱だったら、わたしがその場にいたら許可します。ただ宿直など別の医師の場合は、その医師の判断によりますが。」
とのこと。
なんだか一遍に心が晴れた。
あの公園に行ってみようかなと思ったのが良かったのか、noteで公開したことで更に色んな方に応援してもらったことが良かったのか。
すぐに夫の母と妹に電話して大喜び。
彼が倒れて以来、初めて安眠した。
8月21日(土)
夫が倒れて4日目。
今日は私自身のワクチン接種日。夫と同じ集団接種会場に向かう。これまた車でなければ出にくい場所で、無免許の私は電車を乗り換える。
しかも途中で10分程歩くのだが、サンダルが滑って、ステーンと転んでしまった。かなり激しく転んだのだが、まったく怪我はしなかった。白い服を着ていたけど汚れてもいない。
なんてこったと思ったし、やっぱりぼんやりしているな~と思ったが、怪我がなく汚れがないのはラッキーなのかもと感じた。
集団接種では流れ作業のようにスルスルと事が運ぶ。看護士の他、若いスタッフがたくさんいる。この人たちはどこから集めてきたのだろう?
夫の母からLINE。
驚いたことに夫から電話があったと。一般病棟に移ったというのだ。より重篤な人がGICUに入ってきたためらしい。(前もってその可能性があることは、昨日の電話で医師から聞いていた)
スマホを持ってきてほしいと、言われたとのこと。
急いで自宅に戻る。
留守電に夫の声が入っていた。思った以上にガラガラと枯れた声である。
ワクチンのせいか、わたしは腕と肩も痛むし、疲労感がひどい。
とりあえず病院は面会が夜8時までなので、昼ご飯を食べ、少し休み、向かうことにする。
スマホの他、充電ケーブル、電気髭剃り、ウエットティッシュなど、必要と思われるものをまとめて用意。
通常ならパジャマや下着、タオルが必要だと思うのだが、入院セットを申し込んであるし、毎日機械的に取り換えてもらったほうが患者も家族も多分楽だ。
「自分が心地いいもの」は自分で伝えると思うので、言われるまではやめておこうと、予定どおりの物だけ持って出る。
気軽にはけるサンダルなども欲しくなると思うが、必要か不明なので、これもなし。
病院到着。
若干面倒な場所にあるが、近いのはありがたい。
頼まれたものを看護士さんに渡して、当直医に簡単な説明を聞いて、外に出る。やはりこれがコロナ下でのの面会の真実だなと思った。
夫が倒れてから、自分自身が無理しないようにしている。
さっさと会社も休んだし、タクシーもすぐ使うし、頼まれたものも見つからないときは買うことにしている。多少のことは必要経費だと割り切っている。このへんは昔より賢くなったかもしれない。
夫とスマホとLINEでやりとりができるようになった。ますます安堵。
電話してきたときだけ車椅子に乗ったが、基本的にはベットに寝たきりらしい。でも意思疎通ができるようになって、本当に安心した。
8月22日(日)
夫が倒れて5日目。
わたしがワクチンを打ったので熱が出ていないか気にしている。妻は、まったく熱も出ずに元気だ。
爪切りとリップクリームがほしいというので、持っていく。
来週からリハビリが始まるとのことなので、ホテルの使い捨てスリッパも頼まれた。またなぜかワクチン接種券の入った封筒も(これはあとで担当医に頼まれたとわかった)。
以前、帰省ついでに足を延ばした、雲仙観光ホテルのスリッパ。いったい、いつのだろう。
夫は物を捨てられない人なのだが、こんなところで役に立つとは。
夫はオシャレなポーチを買うのが大好きで、それに頼まれたものを入れていったら、とても喜んでいた。
なかなか精神状態は元気のようだ。私のほうが心労で倒れそう。
首から入れていたペースメーカーが外れたらしい。
8月23日(月)
さすがに大丈夫そうなので、わたしも出社することにした。
夫からLINE。
まだ自力では起き上がれないが、だいぶ順調に回復してきているらしい。
入院生活は意外と忙しい。往診があったり、看護士さんが身体を拭いたり、意外とやることがある。
そんなとき、ふとLINEが既読にならないと、少しドキリとする。
また意識を失ったのではないかと。
ペースメーカーを入れるための管と、万一のためにECMOを入れるために足に入れていた管を抜いたとのこと。
なぜかワクチン接種で健康上の問題があった場合の補償があるというニュースと、厚生厚生労働省のサイトのリンク「予防接種健康被害救済制度について」を送ってきた。
自宅で調子が悪かったときに見つけていたのかと聞いたら、GICUで見たらしい。なんとGICUではテレビ見放題だったのだ。
またその時に見ていたらしい「八天堂社長が選ぶクリームパンランキング」も送ってきた。
「え?頼めっていうこと?」
と聞くと、
「いや、これは退院してから」
「・・・・・・・・・」
この話を友人にすると、
「自分がGICUに入りつつ、ワクチン補償のニュースを見ているなんて、たくましいというか、カッコイイ!」
と、なぜか褒められた。
確かに夫はいつも、繊細なわりにしたたか、デリケートなのにたくましい、上品そうでふてぶてしい、という人だ。
すぐに感傷的になるわたしとはだいぶ違う。
こっちはこの1週間、まともにニュースも見ていないというのに。
(緑が目に優しく音がないと寂しいのでゴルフチャンネルを流しっぱなしにしていた。岡本綾子さんの解説って面白い。)
8月24日(火)
今日は私もテレワーク。
心臓の壁は倒れたときに1.5㎝ぐらいだったものが、1.3㎝、1.1㎝と、だんだんと正常の厚さになってきたとのこと。
またほかに心臓疾患(静脈瘤や狭心症)もなく、合併症も見つかっていないようだ。
医師の話によると、ワクチンが原因である可能性が高く、よくわからないがしかるべきところに報告がされるみたいだ。
補償を申請する場合は、書類に記入もしてもらえるとのこと。
夫は昨日から髪も洗ってもらえるようになり、気持ちもだいぶいいようだ。
今回の件では、ファイザー、モデルナはもう無理そうなので、アステラゼネカ社のワクチンを接種できないか、医師に相談している。
やはり夫はなかなかしっかりしている。
まとめ
わたしは今回の件で、ますます冷静に対応することや、医療に適切にアクセスする必要を感じた。
もちろん医療や医師を盲目的に信じてはいない。
そもそも同級生に医師が多いので、それほど神格化していないというのもある。
また29歳で病気が見つかって手術するまで、散々、嫌な病院や医師と会い、何度も泣いた。患者の気持ちから遠くにいる医師はたくさん存在する。
夫も、自分の父親に咽頭がんが見つかった時、最初にかかった医師の言葉をいまだに恨んでいる。彼はすぐに別の病院を見つける方向転換をした。
そもそも彼自身がアトピーで30歳ぐらいの時に将来を悲観し、無謀に薬断ちをしようとしたことがある。その結果、彼の皮膚は大変なことになり、最終的に父親が病院に連れて行ったら炎症のために即入院となった。
それ以来、彼は「薬と上手に付き合うこと」が最善と結論付けている。しかし薬断ちをしようと思った当時は、これでもかというほど、怖い話、怪しい話が目に入ってきたらしい。
病気と怪我のオンパレードの私たちは、わりと「患者慣れ」しているのかもしれない。
また夫がヘタレで、「痛い、辛い」と言うタイプで良かったなと思う。
我慢して頑張る人だったり、動悸ぐらい平気だとか、多少高いけど熱も37度台になったからと動く人だったら、多分死んでいたのではないかと思う。
それでも今回は幸運だったとしか言いようがないのだけれど。
そして私自身は、SNSに少し食傷気味であったのだが、今回ほどFacebookやnote、Instagram、ブログをやっていてよかったと思ったことはない。
SNSをきっかけに直接話をするほど知り合った人もいれば、遠方なのでずっと言葉のみでやり取りしてきた人もいるが、そういう人たちの言葉にどれだけ励まされたかわからない。
コツコツと数年かけて知り合った人たちは、わたしのことをよくわかってくれている気がする。
もちろんSNSを始める以前からの友人もいるのだが、わたしは不義理をするほうで、1年も何年も、連絡していない人ばかりだ。(そして彼女たちはなぜか全員、SNSを一切やっていない)。
1年ぶり、数年ぶりに連絡して、いきなり話題が「夫が倒れた」なんて、伝える方もハードルが高くなってしまう。
こういう時にSNSで「普段の私」を知っている人だと、その延長で話ができるし、1対多なので報告も楽だ。
そしてこれからは私も、大切な人や好きな人が同じような投稿をしているのを見たり聞いたりしたら、必ずコメントやメッセージを送ろうと思った。(もちろん関係性に考慮しながら)
災害だとか病気だとかに見舞われた話を聞くと、お節介だと思われるかもしれないとか、今はそれどころじゃないかもしれないとか、いろいろ言い訳を考えて遠慮することもあった。
でもそれはやっぱり怠慢だったなあと思う。
気持ちは伝えたほうがいい。どう思うかは相手次第なんだから。
また何か有益な情報があれば追記していきたいと思う。
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