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愛すべき探偵エルキュール・ポアロ

母譲りのミステリー好きで、しかも、ベタと言われそうな、「古典」が好きだ。
トリックも犯人も知っていても、つい何度も読んでしまう。

その中でも、確実に3回以上は読んだと思うのが、アガサ・クリスティ。特にエルキュール・ポアロシリーズがお気に入りだ。

クリスティは、彼女が生み出した主人公の中では、ポアロよりミス・マープルへの愛が相当強いが、わたしは都会的な、時に鼻持ちならない、このベルギー人の活躍が好きである。

クリスティの作品は、何度読んでも飽きないし、新しい発見がある。


子供のときは意外な犯人が見つかる過程や、トリックが面白かった。

思春期には、事件と並行してよく発生する恋愛ドラマが気になった。

悪い男は魅力があるとか、表面とは裏腹な態度の奥に愛があるとか、一瞬で魅了される瞬間とか。少女マンガにはあまり興味がわかないのに、クリスティが描く文字だけの展開に胸がときめいた。

そして大人になると、人物描写や心理描写、場面の描写が非常に深いことに改めて気づく。クリスティの作品は推理小説であるとともに、優れた抒情詩や文学のような雰囲気がある。

当時のイギリスの風俗や文化、人々の考え方(もしかしたら現在のイギリスにも通じることもあるのかもしれないが私にはわからない)にも自然と詳しくなった。

時に明確に、時にうっすらと存在する階級社会、その崩壊と残り香、イギリス本国以外の人間への偏見の強さ、ウーマンリブと女性、イギリス人の夕食がとにかく遅いこと、これまたおどろくほど遅い時間に広げられる夜の娯楽!

面白く感じたのは、やはりファッションだった。

原作は戦前から1920年代から1970年代にまでいたる話なので、女性の服装も変化が激しい。
帽子をかぶるのがとびきり粋な時代もあれば、帽子をかぶるなんて古臭いわ!と言われる時代もある。後期の作品ではヒッピーファッションも登場する。



デビット・スーシエがポアロを演じたドラマも好きだ。

こちらは時代設定を1930年代にギュッと限定したらしい。

アール・デコ風の室内装飾、伝統的な洋館からモダンなアパートメントまで美しい建物。クラシックカーマニアがよだれを流しそうな古い車たち。それが今まさにそこにあるかのように息づく画面。

ポアロのタバコケース一つ、卓上ライト一つとっても、すべてため息の出る美しさ。まさに「眼福」である。

女性のファッションも、タイトスカートにコンパクトなジャケット、斜めにちょこんと頭に置いた帽子、しっかりめの太いヒール、ハンカチとコンパクト以外何も入らなそうな(!)薄くて小さいハンドバッグ。徹頭徹尾クラシックな装い。

この映像作品は私のBGMと化していて、何もないときに、つい見なくても流してしまう。
また見てるの?と家族にあきれられながら。ただ、この雰囲気に浸りたいだけなのだけど。

スーシエのポアロの研究は見事と言うしかなく、彼以上のポアロ役はいないであろう。

20年以上かけて完結したという信じられない長さの番組なのだが、前半と後半で、趣がまったく違うのも面白い。

前半は主役を演じたスーシエもまだ若々しく、ポアロは自信満々。彼の部屋には相棒のヘイスティングス、秘書のミス・レモン、スコットランド・ヤードのジャップ警部が出入りし、ワイワイとにぎやかだ。
話もコミカルで、クスッと笑いたくなる展開が多い。そういう意味ではバランスもよく、楽しく見れる。

後半はドラマ制作方針が変わったらしく、一転して重厚になる。そもそも尺も長い。

そしてワイワイとにぎわかしたメンバーたちがほとんど出てこない。ポアロは相変わらず名推理を披露して事件を解決するが、老いて(実際に演じたスーシェも老いている)孤独だ。

スーシエはそれを目の色だけで演じている。

そして非常に強く出てくる、あるメッセージ性がある。



それは「どんな理由であっても、人は人を殺してはならない。殺人は許されない」ということ。たとえ相手が猟奇的な殺人鬼や、生まれつき良心が欠落したような悪魔的な人間であっても、である。

実は前半でもその点については時々触れられるのだが、後半に来て、非常に深いテーマとして浮かび上がってくる。

特に私が胸を打たれたのは「オリエント急行の殺人」。

小さい頃にクリスティのファンになったきっかけもこの作品だった。当時は日曜洋画劇場などで映画を見たのだと思う。

イスタンブール発の豪華列車で起きる殺人。意外すぎる真相。屈指の名作だが、1974年公開の有名な映画とスーシェ版のドラマはだいぶ違っていた。

1974年の映画はローレン・バコール、イングリッド・バーグマン(ちなみにものすごく地味な中年女性役で、言われないとイングリッド・バーグマンとはわからないのだが)、ショーン・コネリー、など、絢爛豪華なキャストが話題だったヒット映画だ。

展開も素晴らしく美しい映画だ。

子供の時に持っていた単行本の表紙がこの映画のポスターを模してて、子供心にうっとりと眺めた思い出がある。

そして「悪い人がいなくなってよかったね!」みたいなハッピーエンド感のあるラストだったと思う。


だがドラマ版の「オリエント急行の殺人」では、そんな雰囲気はなく、どんなに悪い人でも人が人を殺めてはいけない、それを許しはいけないと、ポアロが怒り、苦悩する。

そして最後に苦渋の決断をするポアロの涙。
一人立ち去りながら、顔を歪め、ひとり涙する。
そして背後にしんしんと降り続ける雪。

切ない。圧倒的に切ない!

それまでシリーズでずっと見てきたほうとしては、苦しい。

「どんな理由があっても殺人は許さない」

ずっとそう言い続けたポアロ。一緒に彼の価値観に寄り添ってきたファンとしては、悔しさはいかばかりかと思ってしまう。

途中で、法とは?神とは?といった対話がポアロと一部の登場人物たちの間に入り、やや話も難しい。

1974年の映画があまりに豪華だったので、最初に見たときは「役者が地味だな」と思ってしまったのだが、内容はテレビドラマのほうが濃いと感じた。

そして一つの作品でも、これだけ解釈が変わるんだなあと。
それはやはり原作が優れたテキストだからなんだろうし、読む側にゆだねる余力を残したミステリーの傑作だからではないかと感じる。

ちなみに「カーテン」だけは寂しくて一度見たきり見れない。やはりポアロは私の最も愛する探偵だ。

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