つぶやき 香港(自由について)

 前々項前項で、香港出身の友人との再会から感じたことなどを書いた。

 アメリカの彼女の職場にも中国大陸出身の人が増えたそうだ。それらの同僚との関係についても悩んでいた。

 彼女の分析は、現在の中国的な統治は人々の行動や考え方を一定の方向に統一しようとする、職場にあっても異なる意見や提案を認めない、というもの。残念ながら、わたしも長年の中国とのつきあいから、おおむね同じように理解している。

 言論や思想の自由と体制の安定は、矛盾する部分もあるだろう。何をどこまで認め(あい)つつ、社会の秩序も保つのか。難しい問題だからこそ、いろいろな考え方とアプローチがあり、ひとつの国(体制)の中でも議論がある。

 ただ、少なくとも思想の自由は保障されるべきで、自分と他者の自由もまた同じように尊重されるべきだろう。

 それを許さない社会を、日本は曾て経験し、それゆえに自由を守ることには敏感になっている。はずなのに、他者の自由には鈍感な部分もあるように感じる(海外の、自由を奪われている、あるいは奪われつつある人々に対して、を含む)。

 相互の自由の尊重はいうほど簡単ではないにせよ、意識のどこかに常に置いておくべきことだと思う。

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