つぶやき 香港(補足)

 前項「つぶやき 香港」で、香港出身の友人との再会から感じたことを書いた。

 彼女との出会いは30年以上前のこと。わたしが住んでいた池袋の小さなアパートに、日本語がほとんどできない留学生が入居してきた。多少中国語ができるわたしに大家さんが「面倒みてあげて」と言ってきて以来のつきあいだ。

 彼女が大学に行けるくらいの日本語をマスターし、進学して住まいを変えたときはちょっと寂しかった。その後、それぞれの仕事や学業で行動範囲や生きる方向も変わり、会う機会はほとんどなくなった。しかし、なぜかふいに会う機会が訪れる、という関係が続いている。

 彼女と知り合った頃、わたしは旅行の仕事をしていた。主に中国大陸へ行っていたが、広州や桂林など華南地方の旅の場合、日本からのゲートウェイはまず香港だった。大陸は物資もサービスも豊かとは言えず、香港でのワンストップの華やかさは際立った。ショッピングもグルメも、足裏マッサージなどのリフレッシュも、リーズナブルながらアジアで(多分世界でも)一流だった。

 イギリス統治が作りあげた合理的で洗練されたシステムと、アジアらしい猥雑さが、矛盾なく並存していた。生活では広東語を話しながら、場面が変わると英語を流暢に操る人々が、さまざまな場面で活躍していた。人々はアグレッシブで、現状に安住せず、より高い所に向かってスキルアップに余念がないように見えた。一方で生活も楽しみ、わたしが知り合った人たちは、いつも賑やかに話し、笑っていた。

 東洋の真珠に喩えられた香港。真珠の輝きがたしかにあった。いまも、あるのかもしれない。でもそれは彼女やわたしが知っていた輝きとはちがうだろう。それを受け入れるのか、そこから目を逸らすのか。

 行きたい。でも行きたくない。そんな思いをずっと抱えている。

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