つぶやき(冬季の節電要請)

 このところ昭和中期の鹿児島の農村の暖房事情について書き続けているが、タイミングを合わせたように、政府から冬季の節電要請が発出された。期間は12月から3月までだって。

 思えばこの夏は「電力需給逼迫警報」とやらが発出された〈133〉。全国の電力予備率が3%を下回ると予測されるとき、この警報が出されるらしい。夏場のいちばん暑いとき、冷房温度を下げ過ぎないよう、でも熱中症に注意して無理しないよう、と、なんとも矛盾する要請(いちおう要請ベース)があり、メディアもこれを大々的に取り上げ「どう安全に節電するか」の具体例が示された。

 幸い夏場はブラックアウトのような最悪の事態には至らず、じき過ごしやすい季節になって、文字通り喉元過ぎれば熱さを忘れていたところへ、今度は冬場の節電要請である。夏場ほど需給は逼迫しない見通しらしいが、それもあくまで予想である。今年の3月だったか、大寒波が襲ったタイミングで発生した地震のため、東北の発電所が故障し、首都圏と東北が東日本大震災以来の節電を要請されたのは記憶に新しい。あんなことがまたないとは断言できないだろう。

 日本の電力政策は、まあ簡単にいうとお粗末だと、いつも思う。

 東日本大震災時の原発事故とその影響については慎重な議論が必要だろうと思うが、その後の化石燃料の大量輸入により、国富はダダ漏れである。加えて、ウクライナ戦争によるエネルギー危機、加えて、円安。長期デフレでただでさえ体力を消耗し続ける日本が、新たに輸入するエネルギーに頼って電力を得るのは、国家レベルのリスクだと思う。

 かと言って、グリーンエネルギーにはすぐには転換できない(太陽光発電は制度そのものとパネル設置に大きな問題があるが、とりあえず置く)。個人的には、短期的にでも原発を活用すべきだと思う。まあ、大方の人からは非難されると思うが。

 しかし、電気のない生活を、みなさん送れますか? 個人や一般家庭でできる節電って、どれほどでもない。もちろんやらないよりはましだし、不必要に国富を消耗することもないが、たかが知れている。なぜ企業への節電要請や企業が節電した場合の効果についてもっと公にしないのだろう?

 なにより、スーパーコンピューターの稼働には大量の電力がいる。先進的とまで言わずとも普通に社会を回すには安定的な電力供給が欠かせないのだ。まして、外資を誘致しようとするなら、十分に余力のある電力が必要だ。外国(企業)に向けて「日本に投資を」と言いながら、国民(居住者)には節電を迫る政府、矛盾している。

 もちろん、資源は大切に使うべきだ。私自身は、多少暗くても、多少寒かったり暑かったりしても、子供の頃の生活に比べれば何ほどでもない。noteに書いている両親やその上の世代の暮らしぶりからすれば、いまの生活は天国だ。電気代節約の意味もあり、最近はふだんから前より節電を意識しているが、まったく不便は感じない。

 でも個々人が節電に努めることと、社会インフラとしての安定した電力供給体制を整備することは、まったくレベルの違う話だろう。

 曽野綾子さんが「電力は民主主義に不可欠」という主旨のことを書いていた。公正で効率的な選挙は電力なしでは成立しない、という趣旨だった。電力の綱渡りを続ける日本は、もはや先進国ではないと強く思う。民主主義国家でなくなる日が近いかもしれない。

〈133〉ただしくは「電力需給ひっ迫警報」。「逼」が常用漢字でないからだろうが、小学生の作文のようで滑稽ではないか? 今日びスマホで「ひっぱく」と入力すればちゃんと「逼迫」と変換されるし、意味もわかりやすい。「ひっ」って何? と思うのはわたしだけではないはず。

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